新型コロナに怯える絶対の幸福の体現者
現在、世界中が新型コロナで大騒ぎしています。いわゆる疫病の一つですが、疫病は人類の歴史の中で常に流行して、夥しい死者が出て人口が激減したことが何度もあります。これだけ医療が発展しても、疫病を克服することは容易ではないと皆さん実感されていることと思います。
経典や真宗の聖教にも、疫病に関することが記されていますので、仏教史、真宗史においても疫病の流行は身近なものであったと言えます。
存覚上人の『持名鈔』にはこのように書かれています。
されば阿弥陀仏は、現世・後生の利益ともにすぐれたまへるを、浄土の三部経には後生の利益ばかりを説けり、余経にはおほく現世の益をもあかせり。かの『金光明経』は鎮護国家の妙典なり。かるがゆゑに、この経より説きいだすところの仏・菩薩をば、護国の仏・菩薩とす。しかるに正宗の四品のうち、「寿量品」を説きたまへるは、すなはち西方の阿弥陀如来なり。これによりて阿弥陀仏をば、ことに息災延命、護国の仏とす。かの天竺に毘舎離国といふ国あり。その国に五種の疫癘おこりて、ひとごとにのがるるものなかりしに、月蓋長者、釈迦如来にまゐりて、「いかにしてかこの病をまぬかるべき」と申ししかば、「西方極楽世界の阿弥陀仏を念じたてまつれ」と仰せられけり。さて家にかへりて、をしへのごとく念じたてまつりければ、弥陀・観音・勢至の三尊、長者の家に来りたまひしとき、五種の疫神まのあたりひとの目にみえて、すなはち国土を出でぬ。ときにあたりて、国のうちの病ことごとくすみやかにやみにき。そのとき現じたまへりし三尊の形像を、月蓋長者、閻浮檀金をもつて鋳うつしたてまつりけり。その像といふは、いまの善光寺の如来これなり。霊験まことに厳重なり。
阿弥陀仏は、後生の利益はもちろんで、現世の利益も与えて下されるのですが、浄土三部経には、後生の利益ばかりが説かれ、他の経典には現世の利益が多く説かれていることを仰った上で、『金光明経』寿量品の現世利益の内容を紹介されています。
インドの毘舎離国という国で5種の疫病が流行り、多くの人が感染したので、月蓋長者が釈尊を訪ねて、「どうしたらこの病気から逃れることができますか」と申したところ、釈尊は、「西方極楽にまします阿弥陀仏を念じなさい」と仰いました。そこで月蓋長者が家に帰って、釈尊の仰せの通りに阿弥陀仏を念じたところ、5種の疫病の神が国を出ていったのを見た。すると5種の疫病がすべてなくなり、その時に現われられた弥陀三尊の形をそのまま金で鋳造した。その像が現在の長野にある善光寺の本尊である。
親鸞聖人も『浄土和讃』現生利益和讃に
阿弥陀如来来化して
息災延命のためにとて
『金光明』の「寿量品」
ときおきたまへるみのりなり
と仰っていますのも同じことです。
なお、親鸞聖人は越後に流刑に遭われて関東に向かわれる途中で善光寺に寄られたと伝えられていまして、『正像末和讃』には善光寺についての和讃を
善光寺の如来の
われらをあはれみましまして
なにはのうらにきたります
御名をもしらぬ守屋にて
等、5首も残されています。
親鸞聖人も存覚上人も、名号本尊に反する善光寺の本尊を間違いだとか否定するようなことはどこにも仰っていないので、親鸞会の名号本尊論の嘘はここからも言えます。
『持名鈔』に書かれた現世利益はこのような内容ですが、ならば、新型コロナを無くすために阿弥陀仏を念じれば良いのかという素朴な疑問に対して存覚上人はこの後に
ただし、これはただ念仏の利益の現当かねたることをあらはすなり。しかりといへども、まめやかに浄土をもとめ往生をねがはんひとは、この念仏をもつて現世のいのりとはおもふべからず。ただひとすぢに出離生死のために念仏を行ずれば、はからざるに今生の祈祷ともなるなり。
と仰っています。真剣に浄土往生を願っている人は、現世の利益を願うのではなく、ただ一筋に出離のために念仏を行ずれば、現世の利益もついてくるのだということです。
要するに、信心を獲て往生が定まれば、現世利益もついてくるということですので、信心を獲ていない人は信心を獲ることに心を掛けましょうということです。
なお、存覚上人は「ただひとすぢに出離生死のために念仏を行ずれば」という言い方をされています。信心を獲ていない人は信心を獲て往生が定まるためにすることは「念仏を行ずれば」です。「念仏を行ず」ることは、「出離生死のため」と副産物の「今生の祈祷ともなる」のです。
ところで、高森顕徹会長は現在、F館に籠って、F館には掃除をする係以外は入れないようにしているそうです。新型コロナに怯えているこの高森会長の無様な姿を会員はどう思っているのでしょう。新型コロナに罹らない現世利益を信じていない絶対の幸福の体現者とは、お笑いですが、本尊論、信前の人に対する念仏の勧めも含めて、何一つ真宗らしいところが無い高森会長と親鸞会です。
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