『なぜ生きる2』の出版から7年ー8
『なぜ生きる2』には、韋提希の話が書かれていますが、この話は『観無量寿経』にはない創作話です。
細かい話まで言うとキリが無いので、ポイントだけ言うと、
釈尊は韋提希に定善をさせてみて、韋提希ができないことを知らされて阿弥陀仏に救われた、ということは全くの出鱈目
ということです。
釈尊は、韋提希に定善をしなさいと仰っていませんし、韋提希も定善をしようとも思っていませんでした。
この経緯は『観無量寿経』を読めば誰でも判る内容です。
釈尊が定善を説かれる経緯について、
仏、韋提希に告げたまはく、「なんぢはこれ凡夫なり。心想羸劣にして、いまだ天眼を得ざれば、遠く観ることあたはず。諸仏如来に異の方便ましまして、なんぢをして見ることを得しむ」と。ときに韋提希、仏にまうしてまうさく、「世尊、わがごときは、いま仏力をもつてのゆゑにかの国土を見る。もし仏滅後のもろもろの衆生等、濁悪不善にして五苦に逼められん。いかんしてか、まさに阿弥陀仏の極楽世界を見たてまつるべき」と。
(現代語訳)
さらに釈尊は韋提希に仰せになった。
「そなたは愚かな人間で、力が劣っており、まだ天眼通を得ていないから、はるか遠くを見とおすことができない。しかし仏には特別な手だてがあって、そなたにも極楽世界を見させることができるのである 」
そのとき韋提希が釈尊に申しあげた。
「世尊、わたしは今、仏のお力によってその世界を見ることができます。でも、世尊が世を去られた後の世の人々は、さまざまな悪い行いをして善い行いをすることがなく、多く苦しみに責められることでしょう。そういう人たちは、いったいどうすれば阿弥陀仏の極楽世界を見ることができるでしょうか 」
とあり、この後、釈尊は定善を説かれます。
簡単に言えば、韋提希の能力では浄土を見ることのできないことを釈尊は宣告された上で、釈尊のお力によって浄土を見ることのできた韋提希が、釈尊入滅後の衆生を心配して、衆生が自分の力で浄土を見る方法を釈尊に尋ねたということです。
つまり、すでに浄土をみている韋提希にとっては、定善はする必要もなく、できるとも最初から思っていなかったのです。韋提希にとっては定善は他人事です。
なお、定善のできる人とできない人との違いにつて善導大師は、『定善義』で次のように仰っています。
ただ万事ともに捨てて、なほ失意・聾盲・痴人のごとくなれば、この定かならずすなはち得やすし。もしかくのごとくならざれば、三業縁に随ひて転じ、定想波を逐ひて飛ぶ。 たとひ千年の寿を尽せども、法眼いまだかつて開けず。
(現代語訳)
ただよろずの事をともにすてることが、 失意の人・聾・盲・無智の人のようになれば、 この定は必ず成じやすい。 もしこのようにしなければ、 身口意業が所縁の境にしたがって移り、 禅定の想も波のように動いて、 たとい千年の命をかけても智慧の眼は開けない。
世間から隔離されたところで、五感を停止させることができれば定善は簡単にできるが、そうでなければできない、ということです。したがって世俗の中にいる韋提希には到底無理なこととです。
それに定善十三観は、日想観ができたら水想観、水想観ができたら地想観というようにステップアップしていくものです。日想観ができなかったら水想観、水想観ができなかったら地想観ではありません。
実際『観無量寿経』には
この想成ずるとき、一々にこれを観じて、きはめて了々ならしめよ。
地想成じをはりなば、次に宝樹を観ぜよ。
等とあります。もし韋提希が日想観を実践しようとしてできなかったとするのなら、水想観は韋提希とは完全に無関係に説かれたことになります。
なお、親鸞聖人は韋提希の獲信の道程の話は全く紹介されていません。韋提希がどこで獲信したかも言及がありません。ところが、阿闍世に対しては事細かに『涅槃経』を引かれて、どのような状況で、いつ獲信したかも、明確に判るようにされています。
要するに、高森顕徹会長は親鸞聖人の教えを何も知らないと言っても過言ではありません。
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