法論

2020年1月18日 (土)

最近の親鸞会との法論6

『観無量寿経』に説かれた上品上生の機について、聖道門の諸師は、以下のような解釈をしていたと善導大師は『玄義分』に紹介されています。

上品上生の人は、これ四地より七地に至るこのかたの菩薩なり

これを善導大師は否定なされて仰ったのが、前回も紹介した

まさしくこれ仏世を去りたまひて後の大乗極善の上品の凡夫、日数少なしといへども、業をなす時は猛し

です。
上品上生の機は、四地から七地までの菩薩とする聖道門の諸師に対して、大乗極善の凡夫と善導大師は断言されました。もっと簡単に言うと、上品上生の機は菩薩ではなく凡夫だということです。

ここで前回紹介した『散善義』至誠心釈で善導大師が仰った

まさしくかの阿弥陀仏因中に菩薩の行を行じたまひし時、すなはち一念一刹那に至るまでも、三業の所修、みなこれ真実心のうちになしたまひ、おほよそ施為・趣求したまふところ、またみな真実なるによりてなり。

が何を意味しているかですが、阿弥陀仏の浄土に往くには、法蔵菩薩の真実心と同じ真実心なければならない、ということを考えてみますと、法蔵菩薩の真実心は、四地から七地までの菩薩なら自ら発すことはできるかもしれませんが、菩薩になれない凡夫が発すことは不可能です。上品上生の機は菩薩ではなく凡夫だと解釈された善導大師が、法蔵菩薩と同じ真実心を凡夫に発せと仰ったのかという疑問が出てきます。そこで別の解釈として、至誠心は阿弥陀仏から真実心を頂くこととすることもできます。

なお、この至誠心は、九品全部に共通する信心と善導大師はされていますので、尚更、自分で発す心ではあり得ません。

それで親鸞聖人はそのことを明確になされるために、善導大師の至誠心釈の読み替えをなされるのです。その一つが親鸞会でも有名な『愚禿鈔』の

外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐ければなり。

です。善の勧めどころか、善の抑止とも採れる表現です。
それを元の『散善義』の

外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮を懐くことを得ざれ。

が善の勧めであったなら、善導大師と親鸞聖人は正反対のことを仰ったことになります。
普通に考えたなら、そんなことはないと判断して、明らかに善の勧めではない親鸞聖人のお言葉を基に善導大師のお言葉を理解しようとするのでしょうが、高森顕徹会長の頭では、善導大師と親鸞聖人の教えられたことは反対でも平気なのです。尤も、最終的には親鸞聖人も善を勧められたとするのですから、高森会長の理屈は滅茶苦茶です。

思考が少しでも残っているなら、人並みの判断をして、高森会長の詭弁に気付き、思考停止の講師を見限ってにもらいたいものです。

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2020年1月15日 (水)

最近の親鸞会との法論5

次に某講師が言ってきたことは、

「19願を勧められた善知識はおられない」と言うが、善導大師は「外に賢善精進の相を現じて、内に虚仮を懐くことを得ざれ。」(散善義)と仰っているではないか。

というものでした。
何でも、善の勧めだと勘違いしているのが親鸞会ですが、これもこの文の前後を読めば簡単に論破できます。

このお言葉は、『観無量寿経』の上品上生に説かれた三心である至誠心・深心・回向発願心の至誠心について、善導大師が解釈なされた一文です。

『散善義』の中では上品上生のことを

これすなはち大乗を修学する上善の凡夫人なり。

と解釈され、また『玄義分』では

まさしくこれ仏世を去りたまひて後の大乗極善の上品の凡夫、日数少なしといへども、業をなす時は猛し

とも仰っています。大乗仏教で教えられる善を行ずる最上の凡夫で、その日数は少ないけれども行業を修める時は非常に勇猛であるということです。

つまり、この「外に賢善精進の相を現じて、内に虚仮を懐くことを得ざれ。」の前提が、上品上生という「大乗極善の上品の凡夫」のことについてのお言葉であることを知れば、我々のような者と関係があるのかないのか、判りそうなものですが、上品上生のところで仰ったお言葉だとは、高森顕徹会長をはじめ、講師部員は知らないので、的外れなことを平気で言えるのです。

更には、善導大師が至誠心についての解釈をなされたところですので、至誠心の内容です。前後を紹介しますと、

一切衆生の身口意業所修の解行、かならずすべからく真実心のうちになすべきことを明かさんと欲す。外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮を懐くことを得ざれ。貪瞋・邪偽・奸詐百端にして、悪性侵めがたく、事蛇蝎に同じきは、三業を起すといへども名づけて雑毒の善となし、また虚仮の行と名づく。 真実の業と名づけず。
もしかくのごとき安心・起行をなすものは、たとひ身心を苦励して、日夜十二時急に走り急になすこと、頭燃を救ふがごとくするものも、すべて雑毒の善と名づく。
この雑毒の行を回して、かの仏の浄土に生ずることを求めんと欲せば、これかならず不可なり。

です。
外に賢善精進の相を現じ」るのが、上品上生の機です。これ前提で、たとえ善をしていても、内が虚仮では、「雑毒の善となし、また虚仮の行と名づく。 真実の業と名づけず。」と仰っています。
更には、このような内が虚仮でする善では、「かの仏の浄土に生ずることを求めんと欲せば、これかならず不可なり。」と断言されています。「上善の凡夫人」「大乗極善の上品の凡夫」ではあっても、内が虚仮であっては、往生できないという善導大師の解釈です。
なぜ往生できないのかの理由が次にあります。

まさしくかの阿弥陀仏因中に菩薩の行を行じたまひし時、すなはち一念一刹那に至るまでも、三業の所修、みなこれ真実心のうちになしたまひ、おほよそ施為・趣求したまふところ、またみな真実なるによりてなり。

阿弥陀仏は法蔵菩薩の時に「真実心」で菩薩の行を行じられたのだから、法蔵菩薩と同じ「真実心」でなければ、阿弥陀仏の浄土に往くことはできないという理屈です。

簡単に言うと、難しい善のできる凡夫であっても、法蔵菩薩と同じ「真実心」で善を修しなければ往生できない、ということです。

ここまでくればお判りかと思いますが、「外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮を懐くことを得ざれ。」は、善を勧められたお言葉ではなく、「真実心」を勧められたお言葉なのです。

上記ほど詳しい説明はしませんでしたが、「真実心」を勧められているのであって、19願を勧められたのでも、善を勧められたお言葉でもないと言ったら、それ以降は沈黙でした。

至誠心についてはもう少し説明しないと判らないと思いますので、次回に補足します。

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2020年1月 9日 (木)

最近の親鸞会との法論4

親鸞会でも有名な三願転入の文

ここをもつて愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて、久しく万行諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る。善本徳本の真門に回入して、ひとへに難思往生の心を発しき。しかるに、いまことに方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり。すみやかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲す。果遂の誓、まことに由あるかな。ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。

ですが、この意味を高森顕徹会長も親鸞会会員もよく判っていないようです。
三願転入の文で高森会長は19願の説明ばかりですが、ここのポイントは20願と18願です。
論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて」、19願を出て離れて、「善本徳本の真門」20願に入ったとされています。七高僧方の教えによって、19願から20願に「回入」されたのですから、七高僧方の教えられたことに20願があると親鸞聖人は見做されていたといえます。もとろん、そこから18願に転入するまでが七高僧方の教えですが、18願の前に七高僧方の導きで20願に入られたと親鸞聖人は仰っています。

ここで前回の話に戻りますが、19願から20願に入ったことがハッキリするのかどうかについて、この三願転入の文でも、親鸞聖人はハッキリしたと仰っているのです。

この三願転入の文で、親鸞聖人は本当はハッキリしないが20願に入られたと仰っただけというのが、親鸞会の解釈ですか?

このようにも問いましたが、親鸞会某講師からまったく返答はありませんでした。

ただし親鸞聖人の直接の師匠であった法然上人が親鸞聖人に対して直接20願に入ることを勧められたのではないと思われます。なぜなら、法然上人が20願について全くと言っていいほど言及されていないからです。

親鸞聖人が法然上人の法語を編纂された『西方指南抄』には

ただくちにて南無阿弥陀仏ととなえば、こゑにつきて決定往生のおもひをなすべし、決定心を、すなわち深心となづく。その信心を具しぬれば、決定して往生するなり。

とありますように、法然上人は自力でも念仏を称えることで信心を頂けるという教え方をされていましたので、それを20願果遂の誓いと親鸞聖人は味わわれて仰ったのではないかと思われます。

これは19願についても言えることで、親鸞聖人は19願をいつ実践されたのかという問題があります。法然上人のお弟子になられてから19願を実践されたことは考えられないですし、そうなるとその前の比叡山時代に天台浄土教で19願の実践はあり得ない話ではないですが、そこは記録がないので、何とも言えません。聖道門でのご修行を19願に置き換えられて仰ったという見方もできますが、『教行信証』化土巻の要門釈にある、

しかるに濁世の群萌、穢悪の含識、いまし九十五種の邪道を出でて、半満・権実の法門に入るといへども、真なるものははなはだもつて難く、実なるものははなはだもつて希なり。偽なるものははなはだもつて多く、虚なるものははなはだもつて滋し。
ここをもつて釈迦牟尼仏、福徳蔵を顕説して群生海を誘引し、阿弥陀如来、本誓願を発してあまねく諸有海を化したまふ。

より、外道から聖道門、聖道門から19願という流れで、聖道門を断念した人の受け皿としての19願という親鸞聖人の解釈を御自身に準えて19願を通られたと告白されたのではなかろうかと思います。ここは解釈の分かれるところで、異論のある方もいらっしゃると思いますが、親鸞聖人が御自身の道程を仰っていないので、断定する根拠がありません。

いずれにしましても、三願転入につきましては、七高僧方は仰っていませんし、覚如上人も蓮如上人も仰っていない、歴史に名を残す妙好人も言われていない上に、親鸞聖人は『教行信証』の中でこそっと仰ったに過ぎないことですから、三願転入を殊更取り上げて、これこそが親鸞聖人の教えの根基だというのは、根本的におかしいでしょう。

親鸞会がというより高森会長が、私のことを非難するセリフを考えて、会員に伝えたことの1つに、

それでは三願転入ではなく二願転入だろう

というのがありますが、少なくとも19願を勧められた善知識方はおられないですから三願転入ではなく、自力の念仏から他力の念仏へと転入することについて教えられた善知識方の意図をくみ取るなら、二願転入と馬鹿にすること自体が馬鹿にされる非難といえます。

聖教を読んでいない高森会長と講師部員、会員が想像で物を言ってきたところで、何ら恐れることはありません。実際に某講師からの反論は1度だけで、こちらが再反論したら沈黙するほどの情けなさです。

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2020年1月 5日 (日)

最近の親鸞会との法論3

昨年の親鸞会との法論で、次に某講師が言ってきたことは

信前に善を捨てることができるのか、19願から20願に入ることがハッキリするのか、その根拠があるなら示せ

でした。

善を捨てるのは信一念の時だ

という妄想が親鸞会会員にはあります。高森顕徹会長がそれらしきことを言っているので、そう思うのも当然なことでしょう。私が会員だった時に、30年以上も幹部であった人達に

20願に入るは一瞬で、ほとんど同時に18願に入るのではないですか

という質問をしたところ、誰一人答えられませんでした。
20願がよく判っていないからでしょう。これは高森会長にも言えます。
高森会長は19願の説明はしても、20願の説明をまともにしたことがありません。20願の境地が判っていないからです。

19願と20願の違いについては、ハッキリしています。そのように私は当ブログで書いてきましたので、それを突いてきたのです。

これに対する返答の根拠は、『教行信証』化土巻の

『観経』に准知するに、この『経』にまた顕彰隠密の義あるべし。
顕といふは、経家は一切諸行の少善を嫌貶して、善本・徳本の真門を開示し、自利の一心を励まして難思の往生を勧む。

(現代語訳)

『観無量寿経』に準じて考えてみると、『阿弥陀経』にも顕彰隠密の義があると知られる。その顕についていうと、釈尊は、念仏以外のどのような善を修めてもわずかな功徳しか積めないとしてこれを退け、善本・徳本の真門を説き示し、自力の一心をおこすようにと励まされ、難思往生を勧めておられる。

と、『三経往生文類』の

弥陀経往生といふは、植諸徳本の誓願によりて不果遂者の真門にいり、善本徳本の名号を選びて万善諸行の少善をさしおく。

(現代語訳)

「弥陀経往生」 というのは、 植諸徳本の願 (第二十願) によって 「不果遂者」 と誓われた真門に入り、 あらゆる功徳をそなえた名号を選んで善根の少ないさまざまな行を捨てるのである。

です。
20願とは、「一切諸行の少善を嫌貶して」「万善諸行の少善をさしおく」のです。善を嫌い貶めて、捨てるのが20願の行者です。そして念仏1つになるのです。

19願と20願の差はハッキリしています。善に心が掛かっているか善を心から捨て去るかです。

この2つの根拠だけで親鸞会は全く反論できなくなりました。

実にもろいものです。

高森会長が三願転入した体験があるなら、20願の境地は当然判っていることになりますが、判っていません。したがって、高森会長は三願転入していないのでしょう。

三願について知らない高森会長の代わりに簡単にまとめておきます。

19願―諸善+自力信心
20願―念仏+自力信心
18願―念仏+他力信心

19願と20願の違いは明白です。ただし、19願にも念仏はありますが、諸善の1つとしての念仏です。教学聖典でも19願の念仏を、万行随一の念仏としていますが、その通りです。

なお、20願と18願の違いは信心が自力か他力かだけです。念仏は共通です。言い換えると、信前は自力の念仏で信後は他力の念仏です。通常はこうです。例外的に19願から直接18願、あるいは聖道門から直接18願、もしくは無宗教か他宗教から直接18願ということもないとは言いませんが、稀なケースでしょう。

もう一つ言うと、19願を通るのも稀なケースです。19願を通る人は聖道門から19願が大半ですので、親鸞聖人は19願は聖道門の人(正確には聖道門を断念した人)のための願と解釈なされているのです。

三願について知らない高森会長と親鸞会会員が三願転入について語ることは、滑稽と言わざるを得ません。

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2019年12月22日 (日)

最近の親鸞会との法論2

因果の道理について、親鸞聖人は『正像末和讃』誡疑讃にて次のように仰っています。

不了仏智のしるしには
 如来の諸智を疑惑して
 罪福信じ善本を
 たのめば辺地にとまるなり

罪福信ずる行者は
 仏智の不思議をうたがひて
 疑城胎宮にとどまれば
 三宝にはなれたてまつる

自力諸善のひとはみな
 仏智の不思議をうたがへば
 自業自得の道理にて
 七宝の獄にぞいりにける

など他にもありますが、「仏智の不思議をうたがふ」とは「罪福信ずる」こととされています。
罪福信ずる」とは「自業自得の道理」でもあり、自分に起きる禍福は自分に因があるというものです。
これと阿弥陀仏の救いとは相いれません。なぜなら、衆生が往生し成仏する果の因は、すべて阿弥陀仏の因であるからです。それ以外にはありません。
宿善を厚くして救われる、というような理屈ですと、それは衆生に因があることになります。

『教行信証』信巻に、

しかれば、もしは行、もしは信、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまふところにあらざることあることなし。因なくして他の因のあるにはあらざるなりと、知るべし。

と仰っていますが、行も信も阿弥陀仏から回向されたもので、その阿弥陀仏から回向された行と信を因として往生成仏するのですから、阿弥陀仏の回向された行と信以外には因はないのです。

これは聖道門では考えられない道理になります。
それで覚如上人は『改邪鈔』に

もしいまの凡夫所犯の現因によりて当来の果を感ずべくんば、三悪道に堕在すべし。人中・天上の果報なほもつて五戒・十善まつたからずは、いかでか望みをかけんや。いかにいはんや、出過三界の無漏無生の報国・報土に生るる道理あるべからず。
しかりといへども、弥陀超世の大願、十悪・五逆・ 四重・謗法の機のためなれば、かの願力の強盛なるに、よこさまに超截せられたてまつりて、三途の苦因をながくたちて猛火洞燃の業果をとどめられたてまつること、おほきに因果の道理にそむけり。もし深信因果の機たるべくんば、植うるところの悪因のひかんところは悪果なるべければ、たとひ弥陀の本願を信ずといふとも、その願力はいたづらごとにて、念仏の衆生、三途に堕在すべきをや。もししかりといはば、弥陀五劫思惟の本願も、釈尊無虚妄の金言も、諸仏誠諦の証誠も、いたづらごとなるべきにや。おほよそ他力の一門においては、釈尊一代の説教にいまだその例なき通途の性相をはなれたる言語道断の不思議なりといふは、凡夫の報土に生るるといふをもつてなり。もし因果相順の理にまかせば、釈迦・弥陀・諸仏の御ほねをりたる他力の別途むなしくなりぬべし。そのゆゑは、たすけましまさんとする十方衆生たる凡夫、因果相順の理に封ぜられて、別願所成の報土に凡夫生るべからざるゆゑなり。いま報土得生の機にあたへまします仏智の一念は、すなはち仏因なり。かの仏因にひかれてうるところの定聚の位、滅度に至るといふは、すなはち仏果なり。この仏因仏果においては、他力より成ずれば、さらに凡夫のちからにてみだすべきに あらず、また撥無すべきにあらず。

と仰っています。
因果の道理にしたがえば、凡夫は死後に三悪道に堕ちるしかなく、報土に往くことなどあり得ないことになります。なぜなら阿弥陀仏の本願を信じたと言っても、悪因は悪果にしかなりません。もしそうなら、本願も釈尊の教えられた浄土の教えも嘘になります。
したがいまして、阿弥陀仏の救いというのは、釈尊の聖道門の教えからは、その例がない全く異なった道理になります。もし因果の道理の通りであるなら、阿弥陀仏、釈尊、諸仏方がご苦労なされて教えられた他力の教えが無駄になります。この道理は、阿弥陀仏の願行の因により阿弥陀仏を仏に成す果であり、衆生の側から言えば、阿弥陀仏の願行の因によって、衆生が往生成仏する果となるのです。

この根本にあるのが回向の考え方です。自因が自果に限らず、他果にもなる、つまり利益を自分以外の人にも与えることができるという考え方です。

以上から、因果の道理を聞いて信じることは、この回向を否定することでありますから、「仏智の不思議をうたがふ」ことになり、因果の道理に反する回向の話を聞いて疑いなく信じたことが他力の信心になるのです。

因果相順の理に封ぜられて、別願所成の報土に凡夫生るべからざる」状況に押し込んでいるのが、高森顕徹会長なのです。

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2019年12月15日 (日)

最近の親鸞会との法論1

親鸞会では、講師部員に向けて高森顕徹会長による法論禁止令が長らく出されていまして、退会者との法論を避け続けてきました。しかし、多数の退会者が出そうな状況や大きな行事前の誘いのために、思わず法論をしてしまうことがあります。
今年もそんなことが何回かありましたので、一部を紹介します。
ただし、講師部員の主張をそのまま掲載すると、顧問弁護士から著作権侵害等で訴えられる可能性があり、直接的な文章は紹介しませんので、その点はご了解ください。

まずは、因果の道理についてです。

因果の道理を否定したら、仏教の否定になり、阿弥陀仏の救いもないことになります。

というようなことを言ってきました。
これに対する反論は実に簡単にできます。

ボランティアをする人で、この善が往生のために、もしくは信仰のためにプラスになると思うことは、普通はありません。浄土往生を目指していても、親孝行と往生とを関連付けることも普通はありません。つまり、世間的な因果の道理をどれだけ信じようとも、それと往生とが無関係なら、何の問題もありません。問題となるのは、世間的な善、そして仏教で教える善を往生と関連付けること、つまり因果の道理と往生とは密接不利な関係にあるという考えです。

以下の蓮如上人のお言葉が最も判りやすいでしょう。
『御文章』5帖目13通

それ、当流門徒中において、すでに安心決定せしめたらん人の身のうへにも、また未決定の人の安心をとらんとおもはん人も、こころうべき次第は、まづほかには王法を本とし、諸神・諸仏・菩薩をかろしめず、また諸宗・諸法を謗ぜず、国ところにあらば守護・地頭にむきては疎略なく、かぎりある年貢所当をつぶさに沙汰をいたし、そのほか仁義をもつて本とし、また後生のためには内心に阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、自余の雑行・雑善にこころをばとどめずして、一念も疑心なく信じまゐらせば、かならず真実の極楽浄土に往生すべし。

信前の人も信後の人も心得るべきことは、「王法を本とし」(国の法律を守り)、「仁義をもつて本とし」(倫理道徳の善に心がけ)です。一方で「後生のためには」(往生のためには)、「自余の雑行・雑善にこころをばとどめずして」(仏教で教える善に心を留めない)です。

世間的なこととしては、世間的な因果の道理を信じて、法律を守り、倫理道徳の善をしましょう、だけど、往生のためには仏教で教えられる雑行・雑善は捨てましょう。

こういうことです。
もっと簡潔に言うなら、

世間的な因果の道理は信じるべきですが、仏教で教える因果の道理を信じると往生の妨げになります。

なぜなら、仏教で教えられる因果の道理と阿弥陀仏の救いとは相反するからです。

僅かこれだけで、講師部員は沈黙しました。

この後、まだ説明しようと思っていたのですが、あっけなく終わりました。
一応、ここではもう少し説明しておきます。

仏教で教えられる因果の道理と阿弥陀仏の救いが相反することを最も端的に表現されているのが、蓮如上人の愛読書であった『安心決定鈔』にあります。

まことに往生せんとおもはば、衆生こそ願をもおこし行をもはげむべきに、願行は菩薩のところにはげみて、感果はわれらがところに成ず。世間・出世の因果のことわりに超異せり。

判りやすく訳すと、

仏教で教えられる因果の道理からは、往生しようと思うならば、衆生一人一人が願を発して、衆生一人一人が行を励むことになるはずですが、その願と行を法蔵菩薩が衆生の代わりになされて、その果は衆生が受けることになります。これは世間の因果の道理、仏教の因果の道理をはるかに超えて異なっているのです。

ということです。世間の因果の道理、仏教で教えられる因果の道理と、阿弥陀仏の救いとは全く別なのです。つまり、仏教の因果の道理を信じることが阿弥陀仏の救いを疑うことになるのです。

なぜなら、我々が往生するという果に対する因は、阿弥陀仏の願と行だからです。我々は何一つしなくても良いように、阿弥陀仏がすべての因そして縁も用意して下されているのですから、自因自果、自業自得の道理とは、相反するからです。

したがいまして、自力、疑情について親鸞聖人は「罪福信ずる心」という言い方を多くされているのです。
親鸞会でも知っている御文ならば、『教行信証』化土巻の

定散の専心とは、罪福を信ずる心をもつて本願力を願求す、これを自力の専心と名づくるなり。

です。

この他にも因果の道理に関する御文はたくさんありますが、それは次回に紹介します。

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2019年3月18日 (月)

毎年恒例ですが、これが高森顕徹会長と親鸞会の実態

本願寺をはじめ、外部からの非難攻撃に対して、全て法論を仕掛けて全戦全勝だと親鸞会内で宣伝していますが、実際は全戦全敗です。法論の相手が呆れて、法論を止めたことで表面上は親鸞会が勝利したように装ってきましたが、ここ10年はその偽装もできなくなり、実際も表面上も親鸞会の大惨敗の連続です。

ただ、その事実を知らずに、高森顕徹会長を唯一無二の善知識として、崇めさせられている会員は、哀れなものです。顕正新聞でも、未だに『歎異抄をひらく』発刊から未だに反論がない、その時が11年だ、とか一面に書き続ける根性には、敬意を表したいくらいです。

高森先生が法論に負けたことなどあろう筈がない

という妄想を抱いている会員のために、毎年恒例ですが、その証拠のほんの一端を紹介しておきます。

今から7年前、こんなエントリーを書きました。

書面で法論を申し込んだら、”検討する”だそうです

その後、連絡もなく、内輪でのみ反論したように偽装しただけです。

昨日、ある集まりに、弘宣局長とK講師、他2名の講師部員が乗り込んできて、親鸞会の邪義を喚き散らしていったそうです。その際に、私が弘宣局に書面で正式に法論を申し込めば、検討する、と弘宣局長は言っていたそうです。

そこで本日、法論申し込みの書面を書留で送付しました。それに加えて以下のメールも送っておきました。

W 様


御無沙汰しております、○○です。
昨日の件は、聞いております。法論の申し込みを書面でせよ、とのことですので、本日申し込みの書面を書留で送りました。
内容は以下の通りです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
              法論の申し込み
                            平成24年3月18日
弘宣局長 W 様

御無沙汰しております、○○です。

昨年、K講師を通して、法論を申し込みましたが無視されました。
しかしその件で、「弘宣局に直接法論を申し込むように」と貴方が言われたそうですので、ここに書面をもって法論を正式に申し込みます。

法論の条件は、

1.法論の土俵はお聖教であり、お聖教にない文底秘沈のような主張はしない
2.文章でやりとりをする
3.法論の場は、以下とする
  mixi内の信仰と対話コミュニティ*「三願転入」議論継続トピック*
  
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=53217382&comm_id=2135313
4.相手の質問に対して質問で返さず、相手の質問に答えてから新たな質問をする

以上の4点です。

かつて親鸞会は公約していた筈です。

「親鸞会は公約しています。親鸞会の主張に対して異議、反論のある方は遠慮なく申し出てください。相手が集団であれ、個人であれ、公開であれ、非公開であれ、討論であれ、文書討論であれ、相手の希望される方法で、時と場所を問わず、本当の親鸞聖人のみ教えを開顕するために、喜んで対決に応じます。」

これが口先だけであったとは、言わせません。

私の主張は、「親鸞会教義の誤り」「飛雲」「親鸞会の邪義を正す」等のブログで書かれている通りです。一読された上で、法論に臨んで頂きたいと思います。
親鸞聖人の仰せと高森顕徹会長の主張との相違点を以下に列記しておきます。

1.獲信していない人の死後はどうなるか

親鸞聖人 六道輪廻(19願・20願の同行は化土往生)
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -- - - - -
高森会長 必堕無間

2.五逆罪・謗法罪について

親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
高森会長 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている

3.善人と悪人について

親鸞聖人 善人と悪人とがいる
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高森会長 善人はいない、すべての人は悪人である

4.獲信のために善は必要か

親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要
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高森会長 善をしなければ絶対に獲信できない

5.白道とは

親鸞聖人 自力の心にあらず
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高森会長 自力

6.定散二善について

親鸞聖人 定散二善を捨てよ
- - - - - - - - - - - - - -
高森会長 定散二善をせよ

7.19願について

親鸞聖人 19願を捨てよ
- - - - - - - - - - - - - -
高森会長 19願を実践せよ

8.宿善について

親鸞聖人 過去世の善根の厚薄と、往生・獲信とは関係ない
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -- - - - - - - - - - - - - -
高森会長 過去世の善根の薄い者が、そのままで往生・獲信することはありえない

9.機の深信について

親鸞聖人 自力では出離できない
- - - - - - - - - - - - - - - - - -
高森会長 逆謗の屍と必ず知らされる

10.善知識に無条件服従しなければならないか

親鸞聖人 法に従うのであって、人に従うのではない
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
高森会長 善知識に無条件服従せよ

なお、法論に応じられても応じられなくても、返事を頂いても頂かなくても、すべて公開しますので、御了承ください。
                                           ○○○○
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

mixiでの三願転入の法論は、親鸞会の逃亡とトピック削除で幕を閉じましたが、とりあえずその続きをしたいと考えております。

なお、上に挙げたブログをすべて読まれるのは大変でしょうから、最低限、添付ファイルのところだけでも読んでおいて頂けませんでしょうか。

目的は親鸞聖人のみ教えを開顕するためですので、よいお返事をお待ちしております。

○○○○

法論の実現も、返事も期待しておりませんが、万が一法論が実現すれば、また退会者が増える縁になるでしょうから、喜ばしいことです。

親鸞会は、私を相手にしていないのではありません、相手にして酷い目に遭った経験があるから、怯えて逃げに逃げ回っているのです。

後日、上記の項目に追加して、その解説もしてありますので、以下を会員は是非とも読んで、高森顕徹会長の嘘を知って退会しましょう。

浄土真宗親鸞会は、親鸞聖人のみ教えと同じか?

この程度の内容でさえ、全く反論できないのが、高森顕徹という無知な人物なのです。

反論する元気のある会員は、コメントをください。ただし、聖教の根拠を基として。

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2018年9月26日 (水)

親鸞会との法論の歴史

『教行信証』信巻の

まことに知んぬ、弥勒大士は等覚の金剛心を窮むるがゆゑに、竜華三会の暁、まさに無上覚位を極むべし。念仏の衆生は横超の金剛心を窮むるがゆゑに、臨終一念の夕べ、大般涅槃を超証す。

について、あれだけ懇切丁寧に、くどいくらい書いてきたのに、未だに全く理解できない上に愚かなコメントをしてくる会員がいることが、信じがたいです。

W氏が容易に理解できることさえも未だに理解できない人がいることに、驚嘆しています。

もう一つ驚いたことが、以下のコメントです。

★親鸞会が飛雲様をまともに取り合わなくてもお互い様ですね。

今まで、私がどれだけ親鸞会と法論してきたか知らないからでしょうから、法論の代表的なものだけ紹介しておきます。

まずは高森顕徹会長が出てきた法論です。mixi上で繰り広げられた法論で内容は三願転入についてでした。高森会長が逃亡後に、mixi内の法論の記録まで削除させるという暴挙にでて、高森会長の生涯で最大の屈辱を味わったものです。詳細は以下にあります。

親鸞会法論惨敗の記録~飛雲より

次に、講師部員との法論が以下です。

親鸞会法論惨敗の記録2~飛雲より

親鸞会法論惨敗の記録3~飛雲より

親鸞会法論惨敗の記録4~飛雲より

他にも数百回の法論を親鸞会から仕掛けてきて、100%親鸞会が全く言い返せなくなり、逃亡で終わっています。

また私と法論をすると言いながら逃げまくったK講師に代わってW局長が法論の申し出があれば受けると言ったので、法論の申し込みを書面とメールで送りました。それが以下です。

W 様

御無沙汰しております、○○です。
昨日の件は、聞いております。法論の申し込みを書面でせよ、とのことですので、本日申し込みの書面を書留で送りました。
内容は以下の通りです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
              法論の申し込み
                            平成24年3月18日
弘宣局長 W 様

御無沙汰しております、○○です。

昨年、K講師を通して、法論を申し込みましたが無視されました。
しかしその件で、「弘宣局に直接法論を申し込むように」と貴方が言われたそうですので、ここに書面をもって法論を正式に申し込みます。

法論の条件は、

1.法論の土俵はお聖教であり、お聖教にない文底秘沈のような主張はしない
2.文章でやりとりをする
3.法論の場は、以下とする
  mixi内の信仰と対話コミュニティ*「三願転入」議論継続トピック*
  
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=53217382&comm_id=2135313
4.相手の質問に対して質問で返さず、相手の質問に答えてから新たな質問をする

以上の4点です。

かつて親鸞会は公約していた筈です。

「親鸞会は公約しています。親鸞会の主張に対して異議、反論のある方は遠慮なく申し出てください。相手が集団であれ、個人であれ、公開であれ、非公開であれ、討論であれ、文書討論であれ、相手の希望される方法で、時と場所を問わず、本当の親鸞聖人のみ教えを開顕するために、喜んで対決に応じます。」

これが口先だけであったとは、言わせません。

私の主張は、「親鸞会教義の誤り」「飛雲」「親鸞会の邪義を正す」等のブログで書かれている通りです。一読された上で、法論に臨んで頂きたいと思います。
親鸞聖人の仰せと高森顕徹会長の主張との相違点を以下に列記しておきます。

1.獲信していない人の死後はどうなるか

親鸞聖人 六道輪廻(19願・20願の同行は化土往生)
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -- - - - -
高森会長 必堕無間

2.五逆罪・謗法罪について

親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
高森会長 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている

3.善人と悪人について

親鸞聖人 善人と悪人とがいる
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
高森会長 善人はいない、すべての人は悪人である

4.獲信のために善は必要か

親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
高森会長 善をしなければ絶対に獲信できない

5.白道とは

親鸞聖人 自力の心にあらず
- - - - - - - - - - - - - -
高森会長 自力

6.定散二善について

親鸞聖人 定散二善を捨てよ
- - - - - - - - - - - - - -
高森会長 定散二善をせよ

7.19願について

親鸞聖人 19願を捨てよ
- - - - - - - - - - - - - -
高森会長 19願を実践せよ

8.宿善について

親鸞聖人 過去世の善根の厚薄と、往生・獲信とは関係ない
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -- - - - - - - - - - - - - -
高森会長 過去世の善根の薄い者が、そのままで往生・獲信することはありえない

9.機の深信について

親鸞聖人 自力では出離できない
- - - - - - - - - - - - - - - - - -
高森会長 逆謗の屍と必ず知らされる

10.善知識に無条件服従しなければならないか

親鸞聖人 法に従うのであって、人に従うのではない
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
高森会長 善知識に無条件服従せよ

なお、法論に応じられても応じられなくても、返事を頂いても頂かなくても、すべて公開しますので、御了承ください。
                                           ○○○○
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

mixiでの三願転入の法論は、親鸞会の逃亡とトピック削除で幕を閉じましたが、とりあえずその続きをしたいと考えております。

なお、上に挙げたブログをすべて読まれるのは大変でしょうから、最低限、添付ファイルのところだけでも読んでおいて頂けませんでしょうか。

目的は親鸞聖人のみ教えを開顕するためですので、よいお返事をお待ちしております。

○○○○

当然ながら、返事さえもありませんでしたので、その件をこのブログで公開しました。
それではプライドが許さない高森会長とW局長は、この直後に『顕真』でひそかに反論していました。一部の会員にしか見ることのできない機関紙で「反論できるんだよ」のパフォーマンスをしたという情けなさです。その内容は以下です。

浄土真宗親鸞会は、親鸞聖人のみ教えと同じか?

親鸞会は、私を相手にしないのではなく、相手にできないのです。今まで一度たりとも法論で勝てなかったどころか、引き分けにさえ持ち込めない大惨敗の連続で、その度に退会者がでれば、学習するでしょう。勝つ自信など全くないから、相手にできないのです。

日本語の能力の極めて劣っている人にも判るようにもう一度、

親鸞会は私に対して法論を何百回と仕掛けてきましたが、全戦全敗なので、今は相手にできない

この程度の日本語も理解できないようでは、法論の資格もないです。

ここまでコケにされて悔しと思うなら、私と法論をしましょう。

前提は、

聖教に基づいた内容で公開の場で。
ただし、日本語能力が並み以下の人は除きます。

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2018年4月 5日 (木)

高森顕徹会長が味わった最大の屈辱

mixiでの三願転入の法論について質問された方がありましたので、簡単に説明しておきます。

今から8年前の3月末から、mixi上で親鸞会と退会者による法論が展開されました。結果は、親鸞会の大惨敗で、単なる沈黙逃亡だけでなく、法論の記録自体をトピック管理人であった親鸞会会員に命じて消し去るということまでしました。

親鸞会の法論の歴史上、自他共に認めざるを得ない親鸞会最初の敗北でした。尤も、それまでの法論も親鸞会は議論で負けてはいたのですが、相手が呆れていなくなってから、勝った勝ったと騒ぎ続けて、親鸞会の勝利と宣伝してきたことが大半でしたので、親鸞会が法論に勝ち続けていたというのはフェイクニュースです。勝利を偽装できない程の屈辱的な敗北で、高森顕徹会長は荒れに荒れたことでしょう。

この法論の主題は、三願転入なる教えについてでした。親鸞会側の直接の相手は、講師部のこうへい氏でした。こうへい氏は、他の布教使や同行の間違いを徹底的に正してきた真宗学に極めて詳しいヒーローとしてmixiの中で扱われてきました。その自信と勢いそのままに三願転入の教えを布教してきたのですが、それを完膚無きまでに叩きのめされ、一矢も報いることもできずに、こうへい氏はmixiから姿を消しました。もちろん、こうへい氏を使って高森会長が退会者と対峙していたのは、隠しようのない事実でした。

この三願転入の法論の内容を消し去ったとはいいながらも、途中途中で保存してありますので、記録が残っていない訳ではありませんが、それを公開すると親鸞会お得意の法的手段に訴えてくるでしょうから、公開しないだけです。

当時の内容は、当ブログで取り上げていますので、それを御覧になられれば、概要は理解できると思います。

それをまとめたものは

ですので、興味のある方はこちらを見てください。

このmixiでの大惨敗を知った会員が続々退会したものの、為す術もなかったのですが、私が煽りに煽った結果、『なぜ生きる2』という高森会長の最高傑作を出版するに至ったのです。『なぜ生きる2』は、mixiでの法論の内容そのままです。進歩も発展も勉強もしていない駄作です。

現在の親鸞会において、『なぜ生きる2』がどんな位置にあるかを見れば、高森会長の後悔の念がひしひしと伝わってきます。

mixiでの法論で、最初から最後まで一貫していた問題は、

  • 親鸞聖人が三願転入の教えなるものを教えられた根拠
  • 親鸞聖人が19願を勧められた根拠

でした。

共にないのでこうへい氏は話題を逸らしますが、それをさせませんでしたので、三願転入なる教えは、親鸞聖人の教えではないし、親鸞聖人は19願を勧められてもいないことが証明されてしまったのです。

簡単に言うとこれだけの内容です。

宿善とか方便とかいろいろと言い訳をしても全て論破されて、何一つ言い返すことができない無様な姿を曝しただけでした。

そんな無知の高森会長を信じている会員の哀れさには、嘆息しかでないです。

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2018年3月17日 (土)

退会者からの非難に怯え、更なる退会者続出にも指を咥えて見ているだけの親鸞会

予想されたことですが、最近は退会者が続出しているそうで、大変良い傾向です。朝令暮改ならぬ朝令朝改で、ころころ方針も教義も変わり、今が辞め時と思う会員が増えるのも当然なことです。

ちなみに、当ブログを含む親鸞会批判ブログを読んでいる会員は、結構いるようです。批判サイトやブログを見るな、と言うだけで何一つ反論しないのですから、会員に疑念を起こさせる方針だということに気が付かないところが、独裁者らしい思考です。

さて今から6年前、こんなエントリーを書きました。

書面で法論を申し込んだら、”検討する”だそうです

その後、連絡もなく、内輪でのみ反論したように偽装しただけです。

昨日、ある集まりに、弘宣局長とK講師、他2名の講師部員が乗り込んできて、親鸞会の邪義を喚き散らしていったそうです。その際に、私が弘宣局に書面で正式に法論を申し込めば、検討する、と弘宣局長は言っていたそうです。

そこで本日、法論申し込みの書面を書留で送付しました。それに加えて以下のメールも送っておきました。

W 様


御無沙汰しております、○○です。
昨日の件は、聞いております。法論の申し込みを書面でせよ、とのことですので、本日申し込みの書面を書留で送りました。
内容は以下の通りです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
              法論の申し込み
                            平成24年3月18日
弘宣局長 W 様

御無沙汰しております、○○です。

昨年、K講師を通して、法論を申し込みましたが無視されました。
しかしその件で、「弘宣局に直接法論を申し込むように」と貴方が言われたそうですので、ここに書面をもって法論を正式に申し込みます。

法論の条件は、

1.法論の土俵はお聖教であり、お聖教にない文底秘沈のような主張はしない
2.文章でやりとりをする
3.法論の場は、以下とする
  mixi内の信仰と対話コミュニティ*「三願転入」議論継続トピック*
  
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=53217382&comm_id=2135313
4.相手の質問に対して質問で返さず、相手の質問に答えてから新たな質問をする

以上の4点です。

かつて親鸞会は公約していた筈です。

「親鸞会は公約しています。親鸞会の主張に対して異議、反論のある方は遠慮なく申し出てください。相手が集団であれ、個人であれ、公開であれ、非公開であれ、討論であれ、文書討論であれ、相手の希望される方法で、時と場所を問わず、本当の親鸞聖人のみ教えを開顕するために、喜んで対決に応じます。」

これが口先だけであったとは、言わせません。

私の主張は、「親鸞会教義の誤り」「飛雲」「親鸞会の邪義を正す」等のブログで書かれている通りです。一読された上で、法論に臨んで頂きたいと思います。
親鸞聖人の仰せと高森顕徹会長の主張との相違点を以下に列記しておきます。

1.獲信していない人の死後はどうなるか

親鸞聖人 六道輪廻(19願・20願の同行は化土往生)
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -- - - - -
高森会長 必堕無間

2.五逆罪・謗法罪について

親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
高森会長 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている

3.善人と悪人について

親鸞聖人 善人と悪人とがいる
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高森会長 善人はいない、すべての人は悪人である

4.獲信のために善は必要か

親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要
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高森会長 善をしなければ絶対に獲信できない

5.白道とは

親鸞聖人 自力の心にあらず
- - - - - - - - - - - - - -
高森会長 自力

6.定散二善について

親鸞聖人 定散二善を捨てよ
- - - - - - - - - - - - - -
高森会長 定散二善をせよ

7.19願について

親鸞聖人 19願を捨てよ
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高森会長 19願を実践せよ

8.宿善について

親鸞聖人 過去世の善根の厚薄と、往生・獲信とは関係ない
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -- - - - - - - - - - - - - -
高森会長 過去世の善根の薄い者が、そのままで往生・獲信することはありえない

9.機の深信について

親鸞聖人 自力では出離できない
- - - - - - - - - - - - - - - - - -
高森会長 逆謗の屍と必ず知らされる

10.善知識に無条件服従しなければならないか

親鸞聖人 法に従うのであって、人に従うのではない
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
高森会長 善知識に無条件服従せよ

なお、法論に応じられても応じられなくても、返事を頂いても頂かなくても、すべて公開しますので、御了承ください。
                                           ○○○○
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

mixiでの三願転入の法論は、親鸞会の逃亡とトピック削除で幕を閉じましたが、とりあえずその続きをしたいと考えております。

なお、上に挙げたブログをすべて読まれるのは大変でしょうから、最低限、添付ファイルのところだけでも読んでおいて頂けませんでしょうか。

目的は親鸞聖人のみ教えを開顕するためですので、よいお返事をお待ちしております。

○○○○

法論の実現も、返事も期待しておりませんが、万が一法論が実現すれば、また退会者が増える縁になるでしょうから、喜ばしいことです。

親鸞会は、私を相手にしていないのではありません、相手にして酷い目に遭った経験があるから、怯えて逃げに逃げ回っているのです。

後日、上記の項目に追加して、その解説もしてありますので、以下を会員は是非とも読んで、高森顕徹会長の嘘を知って退会しましょう。

浄土真宗親鸞会は、親鸞聖人のみ教えと同じか?

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