盗作

2013年6月24日 (月)

高森顕徹流詭弁「極重の悪人に善を勧められているのは、善のできない者と知らせるため」

ここ数年、多く親鸞会教義批判ブログができ、それらを見た真面目に親鸞聖人の教えを求める人は、親鸞会を去っていきました。

これに対する親鸞会の対応は、

ネットを見るな

の指導だけです。
高森顕徹会長には、もともと法論ができるような聖教の勉強をしてこなかったから、情報遮断しか退会を食い止める手段がないのです。

高森会長には仏教の基礎も、真宗の基礎もないために、妄想で教義を創作するより仕方がなかったのでしょう。

衆生と、善・念仏と関係については、浄土門も聖道門も同じ立場です。

善人に善を勧められ、悪人には念仏を勧められた

これが仏教の基礎であり、真宗の基礎でもあります。

そのものズバリの根拠は存覚上人の『持名鈔』にある

如来はすなはち良医のごとし。 機をかがみて法を与へたまふ。しかるに上根の機には諸行を授け、下根の機 には念仏をすすむ。

ですし、『勅修御伝』にある法然上人の御言葉、

口伝なくして浄土の法門を見るは、往生の得分を見うしなふなり。其故は極楽の往生は上は天親竜樹をすすめ、下は末世の凡夫十悪五逆の罪人まですすめ給へり。しかるをわが身は最下の凡夫にて、善人をすすめ給へる文を見て、卑下の心おこして、往生を不定におもひて、順次の往生を得ざるなり。しかれば善人をすすめ給へる所をば善人の分と見、悪人を勧め給へる所をば我分と見て得分にするなり。かくのごとくみさだめぬれば、決定往生の信心かたまりて、本願に乗じて順次の往生をとぐるなり。

もそうです。

ところが高森会長は

極重の悪人に善を勧められているのは、善ができると自惚れているから、一度善をやらせてみて善のできない極重の悪人と知らせるためだ

と言います。その根拠が、大沼師の創った瀬戸物の譬えです。
これと機の深信や『歎異抄』の「いずれの行も及びがたき」と結び付けて話をすると、なんとなく筋が通っているように騙されがちですが、これも当然詭弁です。

機の深信にしても『歎異抄』の御言葉にしても、

微塵の善もできない

ではありません。

出離できるだけの善ができない

です。
この違いを弁えておかないと、高森会長に騙されます。
このことがよく判るのは善導大師の『散善義』にある

わが身は無際よりこのかた、他とともに同時に願を発して悪を断じ、菩薩の道を行じき。他はことごとく身命を惜しまず。 道を行じ位を進みて、因円かに果熟して、聖を証せるもの大地微塵に踰えたり。
しかるにわれら凡夫、すなはち今日に至るまで、虚然として流浪す。 煩悩悪障は転々してますます多く、福慧は微微たること、重昏を対して明鏡に臨むがごとし。たちまちにこの事を思忖するに、心驚きて悲歎するに勝へざるものをや。

です。
無始より、多くの仲間と共に悪を廃して善を修してきたが、その中で聖者のさとりまで到達した人は、数えられないくらい多い。しかし、私たち凡夫は、僅かな善しかできなかったから、出離できずに流転してきたのであり、嘆かずにおれない。

こういうことです。ここで善導大師が仰っていることは、

  • 善をして聖者となり出離した人
  • 微微たる善しかできずに出離できない人

の2つに分かれ、善導大師を含めて凡夫は後者であるとの嘆きです。

機の深信も同じですし、「いずれの行も及びがたき」も同じです。

極重の悪人の意味は、どこにもありません。

法を捻じ曲げ続ける高森会長は、極重の悪人で文句ありませんが、善導大師や親鸞聖人、そして他の人まで同類にするのは止めてもらいたいものです。

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2013年5月25日 (土)

無二の善知識の種と仕掛け

親鸞会は、様々な意味で年々衰えが目立ってきました。高森会長の年齢的なこともあるでしょうが、絶対正しい筈の教義が、悉く間違っていたと広く知れ渡ったことが、最大の原因でしょう。

高森会長は、常識を超えた存在だと思われてきました。世間を知らない高森会長が、世間常識から大きく外れているのは当然としても、教義解釈までも真宗の常識から逸脱していることが、高森会長の偉大さの証明とされてきました。

これに多くの人が騙されてしまいました。

高森会長が真宗の常識から逸脱しているのは、単に高森会長が真宗の常識を勉強してこなかったからです。更に悪いことに、高森会長は常識から逸脱していることを恥ずかしいと思うのではなく、逆に誇りに思う、という性格であったがために、真宗学を学ぼうとする気持ちさえ起らなかったのでしょう。

その高森会長の非常識と性格が選んだのが、大沼法竜師の独特な味わい解釈でした。

三願転入も、善の勧めも、みな大沼師からのフルパクリです。

ただし、大沼師の場合は、常識的な真宗教義を身につけた上で、自由な味わいを述べているので、言葉は同じでも、高森会長とは意味が違います。

大沼師の言う三願転入も善の勧めも、獲信・往生のための19願・諸善は否定しています。それを知ってか知らずか大沼師フルパクリで大学者を気取っているのが、高森会長の実像です。

大沼師の『方便より真実え 浄土真宗』は、高森会長の一番の愛読書でしょう。

 真宗では、方便の二願は第十八願に誘導する階段と説かずに、むしろ邪魔物のように無視しておらるるが、方便の二願を捨て、第十八願がどうして真実であると知ることができますか、第十八願の真実を真実と知らすための方便の願ではないのですか。三願は孤立した願ですか、関連した願ですかと問うているのです。
(中略)
 だから聖人は、三願は孤立した願と扱うてはおられません。方便の二願を並べて、真実の第十八願に趣入する道程を見ておられます。
 至心信楽欲生と    十方諸有をすすめてぞ
 不思議の誓願あらはして真実報土の因とする。(第十八願)
 至心発願欲生と    十方衆生を方便し
 衆善の仮門ひらきてぞ 現其人前と願じける。(第十九願)
 至心回向欲生と    十方衆生を方便し
 名号の真門ひらきてぞ 不果遂者と願じける。(第二十願)
 三願転入が入信の順路でございます。これが方便から真実に帰入する道程であります。

『本願寺なぜ答えぬ』を始め、今でもよく使われるフレーズ

三願は孤立したものでない

の原点はここにありますし、

十九・二十の方便二願は、真実、十八願に転入する、十方衆生の道程と、みておられることがよくわかる。

もそうですし、『本願寺なぜ答えぬ』に出した三つの御和讃も、ここからきています。
もちろん、この「十方衆生」に着目したのも、元は大沼師です。

同じく『方便より真実え 浄土真宗』に

 彌陀の本願に十方衆生を救うという摂生の願が三つあると前にいったでしょう。第十八願が絶対他力の随自意の願で、この王本願の独り作用で救おうとしても、私たちの自力の執着が捨たらないから、その心を見抜いて、それならどれだけ自力ができるかやってみよと第十九願の随他意(凡夫の心に随うた願)の方便の願を建て、自力の行を自力の心で勤めてみて、自己の無能を知らして、もう一歩進めて、第二十願の随他意の方便の願を建て、他力の行(名号)を自力の心で励む、他力の中の自力なりまで進ますのが、親の念力です。(中略)
この第十九願の自力の中の自力なりを、上人が雑行といわれ、第二十願の他力の中の自力を雑修といわれ、この二願の相手の機は、自力の機執が捨たらないから「自力の心を振り捨てて」といわれ、第十八願の他力の中の他力こそ専修正行だから、この境地まで進みなさいと進められたのが、「もろもろの雑行雑修自力の心をふり捨てて」と仰せられたので、上人が勝手なことを仰せられたのではなく、彌陀の三願の真意を諦得したうえで述べられたのです。

とありまして、”摂生の願”も”蓮如上人の三願転入の根拠”さえも、やはり大沼師です。
宿善の厚薄も大沼師が言っていますし、高森会長の説く”善のすすめ”は、すべて大沼師からの盗作です。盗作でないと考えられていた『本願寺なぜ答えぬ』も、かなりの部分で盗作しています。本願寺に対する悪口、”死に本願寺、干餓死本願寺”でさえも、大沼師の盗作です。

無二の善知識の、種も仕掛けも判ってしまえば、高森会長は俗人以下と気が付くでしょう。それが親鸞会の衰退を招いているのです。

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2013年5月19日 (日)

高森顕徹会長のパクリの証明「摂生の願」

最近の高森会長の話は、宿善、三願転入ばかりです。会員に勧められていることは、種々の財施が中心です。
一時期、"同朋の里通信"と化していた顕正新聞・顕真が、今では"全国の会館通信"となっています。なぜなら、同朋の里での金集めは終了したので、次なる金集めの名目を大々的に宣伝しなければならないからです。

ここまであからさまな金集めを推進しなければならないほど、親鸞会は追い込まれているのです。年々、会員の負担が重くなっているのは確かです。

さて、いつもの三願の話を、未だに高森会長は物知り顔でしているようです。

18願・19願・20願のことを、高森会長は「摂生の願」と呼んでいます。

皆んさん、「摂生の願」という言葉を聞かれたことがあるでしょうか?
その根拠はなんでしょうか?

「摂生の願」という言葉は、善知識方の御著書にはありませんし、真宗学でも使われていません。

では、「摂生の願」とは高森会長の造語なのでしょうか?

答えは、大沼法竜師からのパクリです。
大沼師の著書『親の念願 親の遺訓』に、

法蔵菩薩の四十八願の中に、衆生摂生の本願は三つあるのです。

とあります。

真宗学では聞いたことのない、変わった話は、大抵大沼師からのパクリです。大沼師は、真宗学から外れたことを言うことがよくあります。ほとんどは個人的な味わいとして、言われていることですが、「摂生の願」については、大沼師の造語か、勘違いだと思われます。

それを何の確認もなく自信満々に会員に説明しているところが、いかにも高森会長らしいところです。

誰しも勘違いはあるでしょうが、高森会長の場合は、勘違いではありません。
高森会長が真宗学を学ぶことは金輪際ないでしょうが、大きな間違いを正す気もなく言い続けることでしょう。

鰯の頭も信心から

ですから、こんな高森会長を信じる人がいても不思議ではないですが、親鸞聖人の教えを信じることと高森会長の言っていることを信じるのは、相入れません。

いつもの10項目

1.獲信していない人の死後はどうなるか

親鸞聖人 六道輪廻(19願・20願の同行は化土往生)
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高森会長 必堕無間

2.五逆罪・謗法罪について

親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる
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高森会長 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている

3.善人と悪人について

親鸞聖人 善人と悪人とがいる
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高森会長 善人はいない、すべての人は悪人である

4.獲信のために善は必要か

親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要
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高森会長 善をしなければ絶対に獲信できない

5.白道とは

親鸞聖人 自力の心にあらず
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高森会長 自力

6.定散二善について

親鸞聖人 定散二善を捨てよ
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高森会長 定散二善をせよ

7.19願について

親鸞聖人 19願を捨てよ
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高森会長 19願を実践せよ

8.宿善について

親鸞聖人 過去世の善根の厚薄と、往生・獲信とは関係ない
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高森会長 過去世の善根の薄い者が、そのままで往生・獲信することはありえない

9.機の深信について

親鸞聖人 自力では出離できない
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高森会長 逆謗の屍と必ず知らされる

10.善知識に無条件服従しなければならないか

親鸞聖人 法に従うのであって、人に従うのではない
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高森会長 善知識に無条件服従せよ

『歎異抄』について

第1章

1.「ただ信心を要とす」の「信心」とは

親鸞聖人 「ただ念仏で往生できる」と信じた心
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高森会長 「助かった」とハッキリした心

2.「本願を信ぜんには他の善も要にあらず」とは

親鸞聖人 本願に救われるには善は不要
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高森会長 救われたなら善は不要だが、救われる前には善が勧められている

3.「悪をもおそるべからず」とは

親鸞聖人 本願に救われるのに、悪が妨げになることはない
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高森会長 悪を恐れ不安になるのは、地獄一定の悪人と知らされていないからだ

第2章

4.「ただ念仏して」の「ただ」とは

親鸞聖人 念仏一行
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高森会長 びっくり仰天

5.「総じてもつて存知せざるなり」とは

親鸞聖人 念仏が浄土に生れる因なのか地獄に行く因なのかを知る智慧を持っていない
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高森会長 知り過ぎた知らん

6.「弥陀の本願まことにおわしまさば」は仮定か断定か

親鸞聖人 仮定
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高森会長 断定

第3章

7.「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」とは

親鸞聖人 善人ではなく悪人のために18願を建てられた
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高森会長 「悪人」とは、全人類のことであり、「人間」の代名詞にほかならない

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