『なぜ生きる2』の出版から7年ー6
親鸞聖人が19願を勧められた根拠も、善を勧められた根拠も全くありません。高森顕徹会長が、勘違いしていた根拠はありますが、その勘違いを指摘すると反論できず沈黙するしかありません。日本語が判るなら、そうせざるを得なくなります。
これですんなり引き下がるのならかわいいのですが、醜態を晒すために最後の奥の手を出してきます。それが因果の道理です。
仏教の根幹は因果の道理だ!
高森会長お得意のフレーズです。
『なぜ生きる2』10章には
悲しむべきこの実態を見られて釈迦は、諸善を勧める弥陀の十九の願(修諸功徳の願)を生涯、説き明かされた。
弥陀の十九願は、十方衆生(すべての人)を弥陀の十八願・真実(絶対の幸福)へ導くに、極めて重要な方便願であるからだ。まず釈迦は、誰もが納得する三世十方を貫く因果の道理を説き刻まれる。
因果の道理は釈迦のみならず、大宇宙の諸仏共通の教えである。「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教」
(七仏通戒偈)”諸々の悪を作すこと莫れ、衆の善を奉行し、自ら其の意を浄くせよ、是れ、諸仏の教えなり”
因果の道理は仏教の入口であり、教えの定規である。仏教の根幹と言われる所以だ。
とあります。ところが、それを聞いて疑問に思われたことがある方もあるでしょう。
仏教の根幹の因果の道理を教えられた親鸞聖人のお言葉は?
そう、親鸞聖人が因果の道理について教えられたお言葉を高森会長は一度も出したことがありません。なぜなら、無いからです。
親鸞聖人が因果の道理について教えられていないと言うことはどういうことか考えてみれば良いですが、普通に考えれば18願の救いには関係ないという結論に達するでしょう。正確には、
因果の道理は18願の救いの妨げになる
が親鸞聖人の教えです。
根拠は山ほどありますが、最も判りやすいのが『正像末和讃』誡疑讃の
罪福信ずる行者は
仏智の不思議をうたがひて
疑城胎宮にとどまれば
三宝にはなれたてまつる自力諸善のひとはみな
仏智の不思議をうたがへば
自業自得の道理にて
七宝の獄にぞいりにける仏智不思議をうたがひて
罪福信ずる有情は
宮殿にかならずうまるれば
胎生のものとときたまふ
などです。因果の道理を否定的、それ以上に、仏智の不思議をうたがう心、つまり疑情と親鸞聖人は断言されています。
親鸞聖人が因果の道理を教えられていない理由は、因果の道理を信じることが阿弥陀仏の18願を疑う心そのものだからです。18願を疑う心を無くそうとして、疑心を煽ることをする知識があれば、その知識を悪知識というのです。
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コメント
親鸞会で話される因果の道理は、初めて聞く人が納得しやすいとともに、多くの人がそうであってほしいと思う内容です。
実際には『善いことをすれば善い結果が現れる(善因善果)、悪いことをすれば悪い結果が現れる(悪因悪果)、自分が蒔いたたね(因)は自分に返ってくる(自因自果)、これに一切の例外はない。したがって、正直者がバカを見るようなことは決してない』という感じで話がなされます。
お金で不正をして儲けた人を見れば誰でも腹が立ちますし、真面目に働いている自分にはいい結果がきてほしいと思います。
共感できる内容かつ、理路整然とした話に仕立てやすいです。
私もかつて、因果の道理の内容に共感し、話を聞き始めました。
そして人間の罪の深さを刷り込まれ、『それを救ってくだされるのが…』と話は続くのですが、肝心の救いの話は曖昧そのもので、『凡夫の知恵ではわからないところ、矛盾しているとしか思えないのはあなたが正しく聞けていないからだ』などと言って誤魔化されてきました。
今思うと、因果の道理は、初めての人を引き込むために、親鸞会が最も力を入れて内容を精査した話なのではないかと思っています。
確かに仏教の根幹と言われていましたが、親鸞聖人のお言葉でそれを示されたことはありませんでした。
会長から繰り返し聴かされていると、聖人のお言葉に無いことでも、会長が言うのだから間違いないとして受け入れてしまっていたのですね。
恐ろしいものです。
投稿: 元会員 | 2021年1月14日 (木) 14時55分
悪の知識とは、 仮の善知識、
偽の善知識、 邪の善知識、
虚の善知識、 非の善知識、
悪の善知識、 悪性人なり。
投稿: | 2021年1月14日 (木) 23時36分
元会員様の発言こそ、皆が思っていることの総意でしょう。いいことを挙げてくれました。
自分はそれを「縁起の道理」とおきかえて理解しています。
何が起こるのかわからないのが、私たちのこの世です。それをどお受け止めていくかで、その人の人生が決まるのが仏教の教え、と教えられています。
18願成就文で教えられている世界は、至心回向の世界です。
>普通に考えれば18願の救いには関係ないという結論に達するでしょう。正確には、
因果の道理は18願の救いの妨げになる。
飛龍師の仰ることに同意せざるを得ません。
投稿: 愛読者 | 2021年1月15日 (金) 08時34分
私も一時、「親鸞会」に所属していた者です。飛雲さん「新人太郎氏」や「桜ん坊さん」の動画を何回も拝聴して呪(親鸞会)から解放されました。
感謝申し上げます。
有りがとうございました😊
今後共よろしくお願い致します。藤田
投稿: 藤田康博 | 2024年8月19日 (月) 01時59分
それは良かったです。
こちらこそ宜しくお願いします。
投稿: 飛雲 | 2024年8月19日 (月) 06時04分