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2020年12月 7日 (月)

『なぜ生きる2』の出版から7年―1

親鸞会は、高森顕徹の高森顕徹による高森顕徹のための会ですので、高森顕徹会長が出てくることがなくなった今、親鸞会は実質的に終わっています。
当ブログは、高森会長の教えを糾弾することが目的でしたので、更新が滞っているのはそういう事情です。高森会長を擁護する講師や会員も当然ながらいますが、影響力もないので、本腰を入れて糾弾しようとまでは思っておりません。ただし、当ブログを非難するようなことがあれば、その限りではありません。

ということで特に新しい話題はないのですが、7年前のこの時期に出版された『なぜ生きる2』について復習しておきます。

『なぜ生きる2』は、出版の3年以上前にmixi上で行われた三願転入の法論がベースとなっています。mixi上での法論では、高森会長が出してくる根拠の解釈が悉く間違いであることを明らかにし、高森会長の全く知らない根拠を豊富に出したために、高森会長は防戦一方で、一矢報いることすらできませんでした。
一番の論点は、

親鸞聖人が19願を勧められたお言葉

についてでした。
今でこそ、そんなお言葉が存在しないことは明白ですが、当時としては思いもしない問いかけに、高森会長は狼狽えて醜態を晒すこととなりました。
その醜態を隠すために、mixiでのやりとりを全削除させるという暴挙にまででたことが、高森会長のショックの大きさを物語っています。

そこで当ブログでは、その内容を事あるごとに取り上げて、高森会長をこき下ろし、退会者も続出したことで、高森会長がその反論本として『なぜ生きる2』を出版したという経緯です。

とは言っても、mixiでの内容と何ら変わったところはなく、完全に論破された高森会長のこれまでの主張を例えで補強しただけです。新しい根拠が出てきたのではありません。

私としては煽りに煽って反論本を促してきたので、すぐに徹底的に糾弾し、結果、傷口を更に広げて、『なぜ生きる2』は親鸞会の中でも取り上げられることさえなくなってしまいました。その証拠に、『なぜ生きる2』は新聞広告で宣伝されることもなくなっています。

『なぜ生きる2』は、当ブログを巡って出版され実質的に消されていったのですから、私が責任をもって、『なぜ生きる2』の出鱈目を再度、取り上げていくこととします。

さしあたって

親鸞聖人が19願を勧められたお言葉

に対する『なぜ生きる2』での直接的な反論は、6章の以下の部分です。

 もし三願転入の弥陀の救いが、親鸞聖人や一部の人に限定されることならば、十九願の人々に、折れず曲がらず速やかに二十願に進めよの、聖人の励ましは『教行信証』になかったであろう。
 それが幾たびも見かけるのだ。

 総ての人々よ。十九の願から二十願に進んでおくれ。必ず十八願・選択の願海へ転入させて頂けるのだから。

 以下は、その文証である。

  「それ濁世の道俗(すべての人)、速に円修至徳の真門(二十願)に入りて、難思往生を願うべし」(『教行信証』化身土巻・末)

 特定の人を「濁世の道俗」とは言われない。三願転入は、すべての人の道程だから「濁世の道俗」と言われているのである。

これが反論として成立していると思う人は、マインドコントロールの良く効いている会員だけでしょう。20願を勧められたお言葉ではあっても、19願を勧められたお言葉ではないので、高森会長の苦し紛れの詭弁しか思いつかなかったということです。

普通の思考なら、負けを認めるための本を出さないでしょうが、そこが高森会長の思慮の浅さだということです。

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