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2020年4月25日 (土)

「深信因果」は散善であり「雑行」の1つだということすら知らない無知な高森顕徹会長と会員達

某会館館長とのやり取りを知りたいという方がありますので、少しだけ紹介します。

当ブログで徹底的に言い返せない内容で書いてきましたので、彼は質問責めに転じてきます。どうすれば救われるのかということについてですが、様々な角度から説明しても納得する様子もなく、質問責めをやめませんので、毎度毎度の揚げ足取りだと判断し、

どうすれば自力の心を捨てられるのか?
その問いを捨てればよい
どうすれば自力の心を捨てられるのかという心を捨てられるのか?
その問いを捨てればよい
こんな感じで返したところ、本性を表わして
それしか言えないことがわかった
ときました。
揚げ足取りに必死で気が付いていないのでしょうが、これは親鸞会で作ったアニメのセリフです。最近突如削除された親鸞聖人の獲信の場面で法然上人が最後に仰ったことは、
一切の自力を捨てよ。全てのはからいを捨てよ。 捨てようとする心も捨てよ。
です。
彼の言葉を使うなら、
法然上人はそれしか言えないことがわかった
もっと言えば、
高森先生はそれしか言えないことがわかった
です。
思考力がなくても、これは理解できたようで、話を逸らしてきました。

親鸞会の会員とのやり取りには、教義に詳しいだけではだめで、討論のテクニックが必要です。

さて、因果の道理を信じるように勧めるのが親鸞会ですが、「因果の道理を深信する」は、散善の行福に当たります。
『観無量寿経』には、散善の行福について

三つには菩提心を発し、深く因果を信じ、大乗を読誦し、行者を勧進す。

とあります。
また上品中生においては

深く因果を信じて大乗を謗らず。

とあり、上品下生では

また因果を信じ大乗を謗らず。

と説かれています。
これを善導大師は『散善義』でそれぞれ解説なされています。
まず

三福ともに行ぜざるものをすなはち十悪・邪見・闡提の人と名づく。

とある通り、因果を深信していれば、「十悪・邪見・闡提の人」ではありません。
上品中生については

深く世・出世の苦楽二種の因果を信じ、これらの因果およびもろもろの道理に疑謗を生ぜざることを明かす。

とあります。因果の道理を深信しているなら、上品中生の1つの条件を満たしています。
次に上品下生については、『観無量寿経』の「また因果を信じ」について

所信の因果不定なることを明かす。 あるいは信じ信ぜず。 ゆゑに名づけて「亦」となす。 あるいはまた前の〔上品中生の〕深信に同じかるべし。 また信ずといへども深からず。 善心しばしば退し、悪法しばしば起る。 これすなはち深く苦楽の因果を信ぜざるによりてなり。

とあります。簡単に言えば、因果の道理を信じる時もあれば信じない時もある、深信ではないが浅くでも信じていることをいいます。

ということは因果の道理を信じている会員は、少なくとも悪人ではないし、上品下生の善人だと言えます。

ここで質問です。
親鸞会の会員は、
1.極重の悪人
2.上品下生以上の善人
どちらですか?

答えに窮するでしょう。
矛盾と気が付いていないのでしょうが、完全な矛盾です。軽々しく、因果の道理を信じるとか言わないことです。

もちろん、「深信因果」は散善ですから「雑行」です。
雑行」の行を捨てるということは、「深信因果」の行も捨てることですから、因果の道理を話をしている時点で、真宗とは無関係なのです。

一応言っておきますが、世俗的な因果を18願の救いと無関係と思って信じていれば雑行ではありません。一生懸命勉強をしたら成績が上がる、遊んでばかりいたら成績が下がる、これをどれだけ信じようが「雑行」にはなりません。

しかし高森顕徹会長のように、因果の道理を深信して、三願転入の道を進むだの宿善を厚くするだの信仰云々と言っている時点で「雑行」です。「仏智不思議を疑う心」であり「疑情」と親鸞聖人は仰って厳しく誡められました。その「一切の自力を捨てよ。全てのはからいを捨てよ。

まともな知能があれば理解できる内容ですが、マインドコントロールの会員には思考力がないので、負け犬の遠吠えをするしか能がないのです。

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