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2020年3月 8日 (日)

念仏往生を知らないし否定する浄土真宗があるか?

世の中、新型コロナの話題ばかりで、死の恐怖から親鸞聖人の教えを真面目に学んで聞こうとするのなら、ある意味で善い縁と言えるのかもしれませんが、親鸞会では親鸞聖人の教えを真面目に学ぶ気のない会員に、単に不安を煽って財施を募るばかりです。

さて、本日は死を人一倍恐れている高森顕徹会長が、隔離された部屋で話をしてネット中継しました。

演題は「名号・信心・念仏」でしたが、念仏の話はないといういつもの間の抜けた話でした。

高森会長がなぜ念仏の話をしないのかと言えば、親鸞聖人が教えられた念仏を知らないからです。高森会長の理解では、念仏=お礼としか思っていないから、信心のおまけなのです。

では、親鸞聖人は念仏についてどう教えられているのかですが、難しい話をすると、会員は理解できないでしょうから、できるだけ簡単に述べておきます。

親鸞会でも重要視する18願のことを親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人は様々な呼び方をされていますが、その中の1つが、念仏往生の願です。念仏お礼の願ではありません。念仏称えて往生する願ということです。
親鸞会でも知っている根拠を挙げるなら『改邪鈔』の

かの心行を獲得せんこと、念仏往生の願成就の「信心歓喜乃至一念」と等の文をもつて依憑とす。このほかいまだきかず。

があります。親鸞会の好きな18願成就文のことを「念仏往生の願成就」と仰っています。「依憑」である18願成就文は、念仏を称えて往生する願の成就文です。成就文を高森流の説明でいうなら、念仏を称えて往生する願を釈尊が解説なされたもの、になります。念仏が如何に重要かこれだけでも判るというものです。

親鸞会でも使う『御文章』5帖目1通に

末代無智の在家止住の男女たらんともがらは、こころをひとつにして阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、さらに余のかたへこころをふらず、一心一向に仏たすけたまへと申さん衆生をば、たとひ罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来はすくひましますべし。

とありますが、この後に、

これすなはち第十八の念仏往生の誓願のこころなり。

とあります。念仏往生抜きにして、浄土真宗を語ることなどあり得ないのです。
その決定的証拠として親鸞聖人が『一念多念証文』の総まとめでこう仰っています。

浄土真宗のならひには、念仏往生と申すなり

信心と念仏との関係が判らないと、

信心で助かるのであって、念仏で助かるのではない!

と言ってくるでしょうが、信心が念仏往生の信心だということも知らないから、間の抜けたことを言うのです。
『末灯鈔』には

選択摂取したまへる第十八の念仏往生の本願を信楽するを他力と申すなり。

また

念仏往生とふかく信じて、しかも名号をとなへんずるは、疑なき報土の往生にてあるべく候ふなり。

とも仰っています。

念仏往生と深く信じたのが信心です。

更には、親鸞会でさえも毎日読んでいる「正信偈」の正式名称は、「正信念仏偈」ですし、その中にも

弥陀仏の本願念仏は、邪見・驕慢の悪衆生、
信楽受持することはなはだもつて難し。難のなかの難これに過ぎたるはなし。

と「本願念仏」を信じることの難しさを仰っています。当たり前ですが、「本願念仏」を信じたのが信心で、本願の信心を信じたのが信心ではありません。

簡単な話しかしていませんが、親鸞聖人の教えを真面目に学ぶ気があるなら、これで高森会長に対する疑念が起きて当然です。疑念が起きないのは、親鸞聖人などどうでもよいからです。

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唯念仏」カテゴリの記事

コメント

絶対の幸福とは
死なない身になること
と教えられたのには驚きました。

投稿: 8日の聴聞聞いたもの | 2020年3月 9日 (月) 08時29分

8日の聴聞聞いたもの様

会長も相等の高齢ですから、何を言い出しても不思議ではないでしょう。

投稿: 飛雲 | 2020年3月10日 (火) 02時07分

高森会長を依憑とする会員たちは、本気で高森が死ねば自力が廃って助かるに違いないと期待しているのだろう。そりゃ絶対死なない身になりたいわな、高森さんw

投稿: 獄卒 | 2020年3月10日 (火) 02時09分

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