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2020年2月

2020年2月23日 (日)

最近の親鸞会との法論13

若不生者」について、親鸞聖人がどう仰っているのかの根拠を列記しておきます。「往生」とか「生まれる」だけで、「どこに」「どんな身に」が記されていない御文は除いています。

まずは『教行信証』行巻より

諸天・人民・蜎飛・蠕動の類、わが名字を聞きて慈心せざるはなけん。歓喜踊躍せんもの、みなわが国に来生せしめ、この願を得ていまし作仏せん。この願を得ずは、つひに作仏せじ

諸天・人民・蠕動の類、わが名字を聞きてみなことごとく踊躍せんもの、わが国に来生せしめん。しからずはわれ作仏せじ


前者は『大無量寿経』の異訳経である『大阿弥陀経』、後者は同じく異訳経の『平等覚経』で、共に18願の異訳で「わが国」ですから、浄土に生まれるという意味です。

もう一つ行巻より

『双巻経』(大経)の三輩の業、浅深ありといへども、しかるに通じてみな「一向専念無量寿仏」といへり。三つに四十八願のなかに、念仏門において別して一つの願を発してのたまはく、「乃至十念 若不生者 不取正覚」と。四つに『観経』には「極重の悪人他の方便なし。ただ弥陀を称して極楽に生ずることを得」

これは『往生要集』を引かれたものですが、直接「若不生者」についての解釈を仰っているのではありません。しかし、最後の文が18願文の「」がどこかを明確にされています。「極楽」。

次に『尊号真像銘文』です。

「若不生者不取正覚」といふは、「若不生者」はもし生れずはといふみことなり、「不取正覚」は仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。このこころはすなはち至心信楽をえたるひと、わが浄土にもし生れずは仏に成らじと誓ひたまへる御のりなり。

これはよく知られていますので、解説は要らないでしょう。「浄土」。

もう一つ

「若不生者不取正覚」といふは、ちかひを信じたる人、もし本願の実報土に生れずは、仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。

ですが、これは18願文を言い換えられた善導大師の『観念法門』にある

若我成仏 十方衆生 願生我国 称我名字 下至十声 乗我願力 若不生者 不取正覚

の「若不生者」についてですが、当然、18願文の「若不生者」そのままですから、18願文の「若不生者」の解釈と同じです。「もし本願の実報土に生れずは」ですから、「本願の実報土」です。

『唯信鈔文意』には、

「来迎」といふは、「来」は浄土へきたらしむといふ、これすなはち若不生者のちかひをあらはす御のりなり。穢土をすてて真実報土にきたらしむとなり、すなはち他力をあらはす御ことなり。

とあり、ここでも「浄土」です。

もう一つ

「乃至十念 若不生者 不取正覚」といふは、選択本願の文なり。この文のこころは、「乃至十念の御なをとなへんもの、もしわがくにに生れずは仏に成らじ」とちかひたまへる本願なり。

です。「わがくに」です。

次に『愚禿鈔』ですが、これは18願文を二河白道の譬えで言い換えられた

汝一心正念にして直ちに来れ、我能く護らん

で「若不生者」にあたる「来れ」の解釈で

「来」の言は、去に対し往に対するなり。また報土に還来せしめんと欲してなり。

と仰っておられます。「報土」です。

最後は『末灯鈔』で親鸞聖人が18願文をご自身のお言葉で言い換えられた

弥陀の本願と申すは、名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたる

です。「極楽」です。

これで

1.「浄土に生まれる」と仰った根拠

教行信証行巻 3文
尊号真像銘文 2文
唯信鈔文意 2文
愚禿鈔 1文
末灯鈔 1文

計 9文

です。これ以外にもあるかもしれませんが、思いつくものとして挙げた9文です。
信楽に生まれる」という解釈をされた箇所は、全くないのです。

理屈でどうこういうのではなく、

親鸞聖人がどう仰っているか

論点はこの一点で、高森会長が親鸞聖人とは違う教え方しかしていない、という結論に達するのです。

これで某講師は完全に沈黙しました。

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2020年2月15日 (土)

最近の親鸞会との法論12

他に講師との法論では、「若不生者」についてのこともありました。かなり議論尽くされた内容ですので、取り上げるかどうか迷いましたが、ポイントだけ紹介しておきます。

親鸞会の主張は、

信楽に生まれさせる

というものです。これは明確な間違いであり、このことについては当ブログで何度か言及しています。「信楽」とは仏心そのものですので、「信楽」に生まれたら仏になったことと同じことですので、そのような言い方は言葉の定義からして間違いです。

他力の信心を「信楽」と言われますが、「信楽」を頂くことと「信楽」になることとは違います。「信楽」を頂くのは、あくまで「信楽」になる種つまり仏になる種を頂くのであって、芽も花も実もない状態です。

高森顕徹会長は、自分が体験したこともないのに、話を創作して会員を騙しているだけなのです。

次に親鸞会が言ってくるのが、

本願成就文には現益しか説かれていない。
現益がないというのか!

ですが、浄土真宗なら現益をいうのが当然ですが、問題は、

親鸞聖人が「若不生者」をどのように解釈されているか

の一点です。

曲がりなりにも親鸞学徒を名乗るのなら、親鸞聖人が仰ったお言葉で説明し、理屈を捏ね繰り回す必要はないのです。

結論は以下の通りで終了でした。

「若不生者」についてのまとめ

1.「浄土に生まれる」と仰った根拠

教行信証行巻 3文
尊号真像銘文 2文
唯信鈔文意 2文
愚禿鈔 1文
末灯鈔 1文

計 9文

2.「信楽に生まれる」と仰った根拠

ゼロ

0
皆無

つまり、高森会長は親鸞聖人とは違う教え方をしている。

根拠については、次回以降紹介していきます。

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2020年2月 5日 (水)

最近の親鸞会との法論11

親鸞会の主張する本尊論の最後の砦は、『慕帰絵詞』でした。
『慕帰絵詞』とは、『世界大百科事典』によれば

親鸞の後継者で本願寺発展の基礎を開いた第3世覚如(1270‐1351)の伝記を描いた絵巻。西本願寺所蔵。《慕帰絵詞》と題したのは,上人の帰寂(入寂)を恋い慕うゆえであることが,冒頭の詞書に述べられている。1351年(正平6∥観応2)の上人没後,ただちに次子慈俊によって詞書がつくられ,絵もほどなく完成したものと思われる。全10巻のうち第1,7両巻ははやくに失われ,1482年(文明14)詞書を飛鳥井雅康(あすかいまさやす),絵を藤原久信が補作した。

と説明されています。覚如上人の伝記を、言葉と絵で著わされた絵巻ものです。
この中に以下の一文があります。

かかる時も他の本尊をばもちいず、無碍光如来の名号ばかりをかけて、一心に念仏せられけるとぞ。

これはまさしく、親鸞会の究極の根拠と言えましょう。ただし、断章取義でなければですが、当然断章取義です。

これは、慈信房善鸞の件についての記述であって、宗祖のことではない。

と、30年以上も前に本願寺の山田師から指摘されて反論もできていないのですが、そこを某講師に追及すると、

善鸞が名号のみを本尊とされていたということは、親鸞聖人が名号のみを本尊とされていた証拠だ

と驚天動地の主張をしてきました。
ここまでくると、その辺の芸人よりも面白いです。
この一文のある段を全文紹介しておきます。

慕帰絵詞  第四巻
第一段

同三年には、法印そのとき廿一のことにや、本願寺先祖勧化し給ふ門下ゆかしくおぼゆるに、さることのたよりあることをよろこびて、しばらくいとまを南都の御所へ申賜て、東国巡見しけるに、国はもし相州にや、余綾山中といふ所にして風瘧をいたはる事侍るに、慈信房[元宮内卿公善鸞]入来ありて、退治のためにわが封などぞ、さだめて験あ らんと自称しあたへんとせらる。真弟如信ひじりも坐せられけるに、法印申さく、い まだ若齢ぞかし、其うへ病屈の最中も堅固の所存ありければ、おもひける様、おとさ ばわれとこそおとさめ、この封を受用せん事しかるべからず、ゆへは師匠のまさしき厳師にて坐せらるれば、もだしがたきには似たれども、この禅襟としひさしく田舎法師となり侍れば、あなづらはしくもおぼえ、しかるべくもおもはぬうへ、おほかた門流にをいて聖人の御義に順ぜず、あまさへ堅固あらぬさまに邪道をことゝする御子になられて、別解・別行の人にてましますうへは、今これを許容しがたく、粛清の所存ありければ斟酌す。まづ請取てのむ気色にもてなして掌中にをさめけり。それをさすがみとがめられけるにや、後日に遺恨ありけるとなん。この慈信房は安心などこそ師範と一味ならぬとは申せども、さる一道の先達となられければ、今度東関下向のとき、法印常睦に村田といふあたりを折節ゆきすぎけるに、たゞいま大殿の御浜いでとて男法師尼女たなびきて、むしといふ物をたれて、二三百騎にて鹿島へまいらせたまふとて、おびたゞしくのゝめく所をとおりあひけり。大殿と号しけるも、辺土ながらかの堺なれば、先代守殿をこそさも称すべけれども、すこぶる国中帰伏のいたりにやと不思議にぞあざめける。かゝる時も他の本尊をばもちゐず、無礙光如来の名号ばかりをかけて、一心に念佛せられけるとぞ。

下野国高田顕智房と称するは、真壁の真佛ひじりの口決をえ、鸞聖人には孫弟たりながら、御在世にあひたてまつりて面受し申こともありけり。或冬の事なりけるに、炉辺にして対面ありて、聖人と慈信法師と、御顔と顔とさしあはせ、御手と手ととりくみ、御額を指合て何事にか物を密談あり。其時しも顕智ふと参たれば、両方へのきたまひけり。顕智大徳後日に法印に語示けるは、かゝることをまさしくまいりあひてみたてまつりし、それよりして何ともあれ、慈信御房も子細ある御事なりと[云々]。是をおもふに、何様にも内証外用の徳を施して、融通し給ふむねありけるにやと符合し侍り、天竺には頻 婆娑羅王・韋提夫人・阿闍世太子・達多尊者・耆婆大臣等の金輪婆羅門種姓までも、あひ 猿楽をしてつゐには佛道に引入せしめ、和朝には上宮皇子、守屋大連を誅伐したまひしも、佛法の怨敵たりし違逆の族を退むがために、君臣の戦におよびしにいたる までも、みな佛の変作なれば、巧方便をめぐらして、かへりて邪見の群衆を化度せんとしたまふ篇あれば、彼慈信房おほよそは聖人の使節として坂東へ差向たてまつられけるに、真俗につけて、門流の義にちがひてこそ振舞はれけれども、神子・巫女の 主領となりしかば、かゝる業ふかきものちなづきて、かれらをたすけんとにや、あや しみおもふものなり。

関係ない話が多いので要点を簡潔に言いますと、

覚如上人が東国に行かれて2回目撃した善鸞(慈信房)は、男女200、300騎の修験者たちの棟梁として馬上にいた。そして、無碍光如来の名号を首に掛けて、念仏をとなえていた

と言う事です。その善鸞が、首に名号を掛けていたのを覚如上人が目撃された、という話を伝聞で記した内容です。

ここで、何度か紹介したこの法論の条件で某講師が言った

どんな「史料」にどんな「史実」が書いてあっても、お聖教が物差しで、お聖教に反していたら「史実」は根拠にならない。

を基にこの文章を読めば、

覚如上人が首から名号を掛けていた善鸞を目撃されたというのは「史実」であって、お聖教ではありません。その「史実」を基として、親鸞聖人は名号のみを本尊とされたという「推論」です。つまり、根拠とならないという「史実」から更に根拠のない「推論」が、親鸞聖人の名号本尊の証拠だというのです。
こんな恥ずかしいことをよくも言えたものだと、感心しました。

当然ですが、親鸞聖人あるいは覚如上人が名号だけを本尊としていた「史実」はこの「史料」にはありません。

もう一つダメ押しが「絵巻」の絵です。

Bokie


そこで、

覚如上人の病床での絵に描かれた絵像本尊が間違いであるという根拠を示してください。覚如上人が名号本尊しか認められていなかったならば、これを描いた藤原隆昌・隆章は覚如上人のことに無知であり、しかもそれを許して絵をそのままにしてきた存覚上人や蓮如上人はどういうお気持ちであったのかも説明してください。まさか覚如上人のお子さんである存覚上人が知らなかったなんてことは言わないでしょうね。

と言うと、黙ってしまいました。

これで、親鸞会の本尊論は完全終了でした。
こんな子供じみた詭弁がいつまでも通用すると思っていたのなら、見くびられたものです。

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2020年2月 2日 (日)

最近の親鸞会との法論10

親鸞会で”お聖教”とされている書の中には、親鸞会の主張する名号本尊の根拠はないので、この時点で、

どんな「史料」にどんな「史実」が書いてあっても、お聖教が物差しで、お聖教に反していたら「史実」は根拠にならない。

が破綻するのですが、『弁述名体鈔』も”お聖教”としています。しかし、高森顕徹会長も含めて親鸞会で『弁述名体鈔』を読んだことのある人はいないのに、どこかで名号本尊について書いてあるという噂で根拠としていただけのようです。

『弁述名体鈔』とは、存覚上人が光明本尊について書かれたものですが、光明本尊とは名号本尊の一種で、名号の周りに光明を放射状に描いた本尊です。したがいまして、親鸞会の本尊とは異なっているのですが、そんなことさえも知らないのでしょう。

さて、親鸞会が断章取義しているであろう文は、

高祖親鸞聖人御在生のとき、末代の門弟等、安置のためにさだめおかるる本尊あまたあり、いわゆる六字の名号、不可思議光如来、无碍光仏等なり。梵漢ことなれども、みな弥陀一仏の尊号なり。

です。親鸞聖人が六字の名号を含む数種の名号を本尊とされていたことを記されたことですが、名号本尊だけ、という内容ではありません。事実、他所には

あるひは形像を図し、あるひは文字をあらはして、真仮ともにしめし、梵漢ならべて存するなり。いづれも弥陀一仏の体なりとしりて、ふかく帰敬したてまつるべきなり。

とありますので、これは絵像木像本尊も「いづれも弥陀一仏の体なりとしりて、ふかく帰敬したてまつるべきなり」という意味以外にどんな解釈ができるのか教えてください。

と某講師に問いかけたところ、返答はありませんでした。

この前の部分も示しますと、

まづ弥陀の形像は、観経の像観のこころなり。かの経に、十三定善をとくなかに、第八の観は像観なり、これ形像なり。第九の観は真身観なり、これ浄土の如来なり。これすなはち衆生、さはりをもくしてはじめより、六十萬億の身量を観すること、かなふベからざるがゆへに、まづこころを形像にとどめて、次第に転入して、浄土の如来を観ぜしめんとなり。これあさきよりふかきをおしへ、仮より真にいる義門なり。かるがゆへに、かの説相にまかせて、まず形像を体として、その阿弥陀仏の真実の体は、不可思議光無碍光の体なりと、さとらしめんがためなり。絵像にかき、木像につくれるは、ちゐさくかけばちゐさきかたち、おほきにつくればおほきなるすがたなり。ただその分をまもるがゆへに、真実にあらず。不可思議光如来とも、無碍光如来ともいひて、文字にあらはせるときは、分量をさささるゆへに、これ浄土の真実の仏体をあらはせるなり。しかれども、凡夫はまどひふかく、さとりすくなきがゆへに、あさきによらずば、ふかきをしるベからず。方便をはなれては、真実をさとるベからざれば、ふかきもあさきも、みな如来の善巧真実も方便も、ともに行者の依怙なり。このゆへに、あるひは形像を図し、あるひは文字をあらはして、真仮ともにしめし、梵漢ならべて存するなり。いづれも弥陀一仏の体なりとしりて、ふかく帰敬したてまつるべきなり。

です。

簡単に解説します。
『観無量寿経』に説かれている定善の第八の像観は、仏像を観ることで、第九の真身観は、阿弥陀仏が浄土にまします真実のお姿とされる「六十萬億の身量」を観ることです。ところが「六十萬億の身量」を観ることは極めて難しい行ですので、まずは仮である通常目にする大きさの仏像を観ることから始めて、真の阿弥陀仏の「六十萬億の身量」を観ることができるようにするということです。親鸞会の大好きな”方便からしか真実に入れず”と同様の「方便をはなれては、真実をさとるベからざれば」と存覚上人は仰って、大きさとは無関係の文字による名号本尊も含めて、「あるひは形像を図し、あるひは文字をあらはして、真仮ともにしめし、梵漢ならべて存するなり。いづれも弥陀一仏の体なりとしりて、ふかく帰敬したてまつるべきなり。」なのです。

名号本尊は最善といえますが、絵像と木像を本尊としてはならない、という意味になりえないのは、マイコン真っただ中の某講師にも理解できたようです。

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