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2020年1月 5日 (日)

最近の親鸞会との法論3

昨年の親鸞会との法論で、次に某講師が言ってきたことは

信前に善を捨てることができるのか、19願から20願に入ることがハッキリするのか、その根拠があるなら示せ

でした。

善を捨てるのは信一念の時だ

という妄想が親鸞会会員にはあります。高森顕徹会長がそれらしきことを言っているので、そう思うのも当然なことでしょう。私が会員だった時に、30年以上も幹部であった人達に

20願に入るは一瞬で、ほとんど同時に18願に入るのではないですか

という質問をしたところ、誰一人答えられませんでした。
20願がよく判っていないからでしょう。これは高森会長にも言えます。
高森会長は19願の説明はしても、20願の説明をまともにしたことがありません。20願の境地が判っていないからです。

19願と20願の違いについては、ハッキリしています。そのように私は当ブログで書いてきましたので、それを突いてきたのです。

これに対する返答の根拠は、『教行信証』化土巻の

『観経』に准知するに、この『経』にまた顕彰隠密の義あるべし。
顕といふは、経家は一切諸行の少善を嫌貶して、善本・徳本の真門を開示し、自利の一心を励まして難思の往生を勧む。

(現代語訳)

『観無量寿経』に準じて考えてみると、『阿弥陀経』にも顕彰隠密の義があると知られる。その顕についていうと、釈尊は、念仏以外のどのような善を修めてもわずかな功徳しか積めないとしてこれを退け、善本・徳本の真門を説き示し、自力の一心をおこすようにと励まされ、難思往生を勧めておられる。

と、『三経往生文類』の

弥陀経往生といふは、植諸徳本の誓願によりて不果遂者の真門にいり、善本徳本の名号を選びて万善諸行の少善をさしおく。

(現代語訳)

「弥陀経往生」 というのは、 植諸徳本の願 (第二十願) によって 「不果遂者」 と誓われた真門に入り、 あらゆる功徳をそなえた名号を選んで善根の少ないさまざまな行を捨てるのである。

です。
20願とは、「一切諸行の少善を嫌貶して」「万善諸行の少善をさしおく」のです。善を嫌い貶めて、捨てるのが20願の行者です。そして念仏1つになるのです。

19願と20願の差はハッキリしています。善に心が掛かっているか善を心から捨て去るかです。

この2つの根拠だけで親鸞会は全く反論できなくなりました。

実にもろいものです。

高森会長が三願転入した体験があるなら、20願の境地は当然判っていることになりますが、判っていません。したがって、高森会長は三願転入していないのでしょう。

三願について知らない高森会長の代わりに簡単にまとめておきます。

19願―諸善+自力信心
20願―念仏+自力信心
18願―念仏+他力信心

19願と20願の違いは明白です。ただし、19願にも念仏はありますが、諸善の1つとしての念仏です。教学聖典でも19願の念仏を、万行随一の念仏としていますが、その通りです。

なお、20願と18願の違いは信心が自力か他力かだけです。念仏は共通です。言い換えると、信前は自力の念仏で信後は他力の念仏です。通常はこうです。例外的に19願から直接18願、あるいは聖道門から直接18願、もしくは無宗教か他宗教から直接18願ということもないとは言いませんが、稀なケースでしょう。

もう一つ言うと、19願を通るのも稀なケースです。19願を通る人は聖道門から19願が大半ですので、親鸞聖人は19願は聖道門の人(正確には聖道門を断念した人)のための願と解釈なされているのです。

三願について知らない高森会長と親鸞会会員が三願転入について語ることは、滑稽と言わざるを得ません。

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コメント

高森会長は20願がわからないから19願ばかり強調して教えたわけですね。あと親鸞会の教える19願は実質念仏はないですね。確かに諸善の中に念仏あると教えていたのは確かでしたが念仏はお勤めと来る時とかえる時の阿弥陀さまの挨拶(合掌)ぐらいだったような気がします。強調して言われる事は念仏以外の諸善でしたね。いわゆる御法謝(献金)とか親鸞会の活動ですね。アニメやチラシ配りとかやりました。20願がよくわかりませんでした。

投稿: 匿名 | 2020年1月 6日 (月) 17時59分

>親鸞会の教える19願は実質念仏はない

親鸞会の教える19願は、実質、諸善も念仏もありません。

投稿: a | 2020年1月 8日 (水) 11時00分

aさんへ
>親鸞会の教える19願は、実質、諸善も念仏もありません。

結論からすればそうですが、親鸞会は19願、諸善(雑行)を勧めたのは間違い無いです。

投稿: 匿名 | 2020年1月 8日 (水) 12時12分

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