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2019年10月10日 (木)

親鸞聖人の仰る実機とは3

『歎異抄』の有名な一文、

いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。

これが機の深信であり、全人類の実相だという主張をしがちですが、これも間違いです。

まず、『歎異抄』は親鸞聖人が仰ったとされることを、著者が記憶に基づいて書き残したものですが、親鸞聖人が間違いなく仰ったという確証がありませんし、仮に仰ったとしても、どのような状況下での発言かも考慮が必要です。

次に親鸞聖人が著わされた書物や書簡を見ると、これに近い内容の御文はありません。それどころか、地獄に堕ちる人は、念仏誹謗などの条件付きでしか仰っていませんし、親鸞聖人ご自身がその条件から外れているという前提です。

地獄に関する言及で最も顕著で繰り返されているところは、『教行信証』信巻の多くを占める阿闍世の物語です。

親鸞聖人は『涅槃経』を長々と引かれていますが、その内容は、父を殺したことで無間地獄に堕ちるという恐怖に悶え苦しむ阿闍世に対して、釈尊が繰り返し繰り返しくどいほど「地獄に堕ちる罪ではない」と諭されています。

最初に仰った

いかんぞ説きてさだめて地獄に入らんといはん

から始まり、

いはんや王勅せず、いかんぞ罪を得ん。

もし諸仏世尊、罪を得たまふことなくは、なんぢ独りいかんぞ罪を得んや。

殺不定ならば、いかんしてかさだめて地獄に入らんといはん。

もし本心にあらずは、いかんぞ罪を得んや。

と続き、この後に

殺もまたかくのごとし。凡夫は実と謂へり、諸仏世尊はそれ真にあらずと知ろしめせり。

を7回繰り返され、更に

殺を知るといへども、いかんぞ罪あらんや。

を2回繰り返され、

しかるにこの日月実に罪を得ず。殺もまたかくのごとし。

の後に、空の思想で殺を説明されて、地獄に堕ちる罪ではないことを阿闍世に説かれ、この御説法により阿闍世は信を獲ています。

この『涅槃経』の御説法をどう解釈するかということですが、真実は無間地獄に堕ちることになるが、阿闍世の苦悩を取り除かれるために、敢えて真実と違うことを釈尊が説かれたと主張する人もいます。それが正しいのかどうかは置いておいて、親鸞聖人はどう解釈なされたのかが問題ですが、上記に挙げた、釈尊の「地獄に堕ちる罪ではない」を省略されても阿闍世の獲信を顕わすことができたにも関わらず、省略されずに『教行信証』に引かれていることは、親鸞聖人のメッセージと取るべきでしょう。

阿闍世は地獄に堕ちる罪を造っていないし、機の深信は地獄一定と知らされることでもない

高森顕徹会長の解釈など、阿闍世の物語を読めば、笑い飛ばすだけです。
『教行信証』の全体を読めなくても、阿闍世の物語だけは読んでおきたいものです。

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