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2019年6月25日 (火)

高森顕徹会長の宿善論は完璧に「真宗の廃立にそむき、祖師の御遺訓に違せり」

今回の高森顕徹会長の話で、宿善を厚くする方法として、

1.聞法善
2.朝晩のお勤め
3.親切など

と黒板に書いていました。
薄い宿善が、これらをすることによって厚くすることができるということです。
ではその根拠があるかと言えばありません。ただし、この元となったのが親鸞会でも有名な香樹院師の語録です。
加藤智学編『香樹院講師語録』より

禅僧弘海曰く。予かつて師に問う、
私、浄土真宗の教えに帰し、
御講師に随い聴聞いたせども、
未だ心に聞え申さず、如何致すべく候や、と。
師の仰せに、
汝まづ聖教を熟覧せよ、と。

則ち命のごとく拝見候いしが、文義はわかれども、
我が出離にかけて思えば、往生一定ならず。
再び、如何せんと問い参らす。
師曰く、よく聞くべし、と。

予聞いて云わく、
よく聞くとは如何聞くべきや。
師曰く、骨折って聞くべし。

予云わく、
骨折るとは、遠路を厭わず聞き歩くことに候や、
衣食も思わず聞くことに候や。
師曰く、しかり。

予また問うて云わく、
しからば、それほどに苦行せねば聞えぬならば、
今までの禅家の求法と何の別ありや。
師呵して曰く、
汝法を求むる志なし、いかに易行の法なりとも、
よく思え、今度佛果を得る一大事なり。
しかるに切に求法の志なき者は、
これを聞き得ることをえんや、ああうつけ者かな、と。

予云わく、
しからば身命を顧みぬ志にて、聞くことなりや。
師曰く、
もっともしかり。切に求むる志なくして、
何ぞ大事を聞きえんや。
また曰く、常に絶え間なく聞くべし、と。

予問い参らするよう、
それはその志にて聴聞つかまつれども、
法縁の常になきを如何致すべきや、と。
師その時に、
何ぞ愚鈍なることを云うぞ。法話なき時は、
聞きたることを常に思うべし。
聞く間ばかり聞くとは云わぬぞ。
また曰く、
汝眼あり、常に聖教を拝見すべし、
これまた法を聞くなり。
もしまた世事にかかりあい、聞見常に縁なき時は、
口に常に名号を称すべし、これまた法を聞くなり。
汝信を得ざるは業障の故なり。
さればいよいよ志を励まし、かくの如く常に心を砕き、
よく聞けよ。信を得る御縁は聞思に限るなり、と。

聞法、聖教を読むこと、そして念仏を称えること、とありますが、これを悪意で、上記のように改竄したのです。ところが最近は、念仏も宿善になるといっているので、香樹院師の内容に近付けているともいえます。

この香樹院師の言っている意図は判りますが、表現としては問題があります。

覚如上人の『改邪鈔』には、このようにあります。

しかるをいま風聞の説のごとくんば、「三経一論について文証をたづねあきらむるにおよばず、ただ自由の妄義をたてて信心の沙汰をさしおきて、起行の篇をもつて、〈まづ雑行をさしおきて正行を修すべし〉とすすむ」と[云々]。これをもつて一流の至要とするにや。この条、総じては真宗の廃立にそむき、別しては祖師の御遺訓に違せり。正行五種のうちに、第四の称名をもつて正定業とすぐりとり、余の四種をば助業といへり。正定業たる称名念仏をもつて往生浄土の正因とはからひつのるすら、なほもつて凡夫自力の企てなれば、報土往生かなふべからずと[云々]。そのゆゑは願力の不思議をしらざるによりてなり。当教の肝要、凡夫のはからひをやめて、ただ摂取不捨の大益を仰ぐものなり。

簡単に言うと、

雑行を止めて正行を修しなさいと勧める人があるが、それは親鸞聖人の教えに背いている。
なぜなら、親鸞聖人は自力の称名念仏さえ誡められているのに、助業を勧めるのは阿弥陀仏のお力を全く知らないからである。
凡夫のはからいを捨てて、摂取不捨の大益を仰ぎなさい。

ということです。

香樹院師の結論は聞きなさいですから、意図は正しいのですが、それを自力の行で宿善を厚くすることと理解したら間違いです。

これまでのエントリーでも言ってきましたが、親鸞聖人は聖教上で自力の念仏を勧められたお言葉はないのです。同様に、自力の聞法を勧められたお言葉もありません。ましていわんや、親切等の善を勧められた親鸞聖人のお言葉があると言っている高森会長は、親鸞聖人の教えに疎いにも程があるというものです。

もちろん、阿弥陀仏の救いについて知らなくては話になりませんので、教えを聞いて知ることは前提として必要でしょうからその意味で信前に一生懸命に聞くことは良いことです。しかし、教えを聞くことで宿善が厚くなって救われるのではありません。

教えを聞いてそのまま受け取りなさい

が、親鸞聖人の仰る、”救われる方法”になります。親鸞聖人は最初から他力の念仏を勧められた、ということを以前から言ってきましたが、同じことで親鸞聖人は最初から他力の意味での「聞法」を勧められているのです。それを覚如上人は「ただ摂取不捨の大益を仰ぐものなり」と絶妙な表現をされています。
雑行を修して正行も修すべし」と勧める頓珍漢な高森会長と愉快な仲間達には、到底理解できない境地でしょう。

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宿善」カテゴリの記事

コメント

親鸞会会員の者です。初めて拝見しましたが、とても難しくて違いが分かりそうで分からず困りました。
もし、機会があれば是非とも教えていただければと思いました。
どうすればいいのか、指南が欲しいところです。

投稿: 土見誠輝 | 2019年6月26日 (水) 23時19分

土見誠輝様

コメントありがとうございます。
高森会長の話しか聞いたことがなければ、混乱するのも当然だと思います。
まず、薄い宿善を厚くして救われるという教えは、七高僧、親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人の教えとは全く異なります。
宿善の定義が色々ありますので、過去世の善根と言い換えて話を進めると、過去世の善根と無関係に救われると教えられるのが浄土門の善知識方です。過去世の善根が厚くなって救われると考えたのが聖道門です。
次に蓮如上人が仰る宿善についてですが、真実の信心という意味と親鸞聖人の教えを聞く気があるかどうかの二つあります。宿善開発と言うのは前者になり、「宿善に限れり」等は後者です。後者の証拠に、蓮如上人は宿善・無宿善の機という言い方をされています。有るか無いかで中間を仰っていませんし、無宿善の機には親鸞聖人の教えを伝えてはならないとも度々仰っていることです。
詳しくは、この後のエントリーで書いていきますが、過去に何十回と書いてきたことでもあります。
http://blog.livedoor.jp/sutybi/archives/1280731.html
ここにもまとめてあります。
質問があればいつでも仰ってください。

投稿: 飛雲 | 2019年6月27日 (木) 06時33分

すぐに公開回答を有難うございます。明日の高森会長は、体調が良くなく聞法の機会が無くなり残念です。
まず、飛雲さんの「宿善」とは、
(1)聖道門では、過去世の善根という意味で、
厚くなって救われると考えている。
(2)浄土門の蓮如上人は、
真実の信心という意味と、
浄土真宗を聞く気があるかどうかという意味、
の二つで書き残されている。
という解釈ですね。
有難うございました。

次に、あまりにも膨大な
http://blog.livedoor.jp/sutybi/archives/1280731.html
は、是非とも拝見したいと考えています。
最近になってネット上で、記載されていることを知りましたが、素晴らしいことと思いました。
このように、元会員(出来れば講師)の方で、情報発信を続けられている(現在進行形)のは、飛雲さんの他に沢山おられるのでしょうか。ご存知の範囲で、教えていただければと思いました。それらの方にも、宿善の解釈は、飛雲さんと同じなのか、それを伺ってみたいと思いました。

その上で、ここからが大事なのですが、どうすれば良いのか。
聞法、念仏、親切など、これらは実行すべきですよね。
特に聞法は、とても大事で世間の隙を止めて聞けとおっしゃられるので、そのように(38年間)やってきました。しかし、何にもなりませんでした。あとどれだけ続けても、同じことになるのではと恐れています。令和元年8月4日にも会員追悼が予定されていますが、もうそこまで来ております。

投稿: 土見誠輝 | 2019年6月29日 (土) 08時05分

土見誠輝様

まず、宿善の定義については、様々な言い方ができますので、先に紹介したリンク先をご参照ください。
この内容は、今から9年前に、mixi上で行われた三願転入の法論が元になっています。御存知ないでしょうから、少しだけ説明しますと、
当時はやっていたmixiで「こうへい」と名乗る親鸞会の講師が退会者と法論になりました。私が全面的にバックアップしました。
長年会員を続けられているなら御承知のことと思いますが、法論になったら必ず高森会長がバックに付きまして、この時も例外ではありませんでした。そこで高森会長は完全敗北をして、逃走し、更には証拠隠滅まで図ると言う大失態を犯しました。しかし、このブログでも他のブログでも当時大大的に取り上げていましたので、法論自体がなかったことにはできません。もちろんmixi上での当時のやり取りも、保存してあります。
これをきっかけに、退会者が続出しましたので、高森会長は『なぜ生きる2』を出版することとなったのです。内容は、mixi上での法論そのままで、退会者の主張を誤魔化しただけです。しかし、内容が余りにも酷いと批判されたために、高森会長も親鸞会も『なぜ生きる2』についてはできるだけ触れないようになったことは、土見誠輝さんも認識されているのではないでしょうか。

以上を信用できないと思われても仕方がないですが、事実ですので、当ブログの過去のエントリーを見て頂くと少しは信用して頂けるのではないかと思います。

次に、他のブログの紹介ということですが、かつては沢山ありましたが、現在更新し続けているものとしては、
「親鸞会を脱会した人(したい人)へ」
https://shinrankaidakkai.hatenablog.com/

「真偽検証」
http://shingikensho.blog12.fc2.com/

です。
前者は元講師、後者は元一般会員です。

最後に
>聞法、念仏、親切など、これらは実行すべきですよね。

これは、認識を改める必要があります。
聞法・念仏は、当然すべきですが、それをすることで宿善になるとか功徳が積まれて救いに近付くと考えたら、間違いです。
聞法・念仏ともに、他力の聞法・念仏をせよ、が親鸞聖人の教えられ方です。
結果として自力であったとしても、今の聞法・念仏は他力の聞法・念仏、それでも自力なら次は他力の聞法・念仏と目指すのです。
それでこそ、平生業成になるのであって、これらをして宿善なり功徳が溜まって救われるのなら、平生業成とはいいません。
そして親切などは、人間として、あるいは生きていく上で必要なことであって、阿弥陀仏の救いとは何の関係もありません。
親切することが、救いと関係あると考えているのは真宗の歴史上でも親鸞会だけでしょう。そんな珍しき教えに固執すると雑行になって、救われなくなります。

投稿: 飛雲 | 2019年6月29日 (土) 12時04分

すぐに回答をいただき有難うございます。
まず、宿善の解説は、飛雲さんと、山も山さんと、淳心房さん達も、同じかなと思いました。
(1)聖道門では、過去世の善根。
(2)浄土門では、真実の信心という意味や浄土真宗を聞く気があるかどうかという意味など、若干変化してきている。
という事かなと思いました。

次に、聞法、念仏が、大事であることは分りました。
しかし、それが宿善になると思い、阿弥陀仏の救いに近づくと考えるのは間違いで、
浄土真宗は「他力の聞法、念仏をせよ。」である。
親切などは雑行になり、阿弥陀仏の救いとは関係ないということですね。
残念な事に、まず私、そして近き多くの人々は、未だに阿弥陀仏の救いに預かっていないので、真剣に自力の聞法、念仏をするしかないという事で良いのでしょうか。

最後に、このブログを知ったのは、「聞法善」という検索からでした。令和元年6月23日に高森会長の座談会があり、いつも休憩をはさんで40分間を4回のお話を聞き、聴聞録を書いているのですが、
(1)聞法が大事なのか
(2)聞法が善になるから大事なのか
良く分からなくなり、検索したのがきっかけです。
黒板に記載されたのも少し不確かな所があり、ずばり
聞法善
朝晩のお勤め
親切など
と教えていただき、有難うございました。
聴聞
勤行
六度万行
と書かれていることもありますから。
(1)聞法が大事なのか
(2)聞法が(最高の)善になるから大事なのか
は、どのようにお考えでしょうか。
1年ほど前に癌が見つかり、5年生存率〇〇%と宣告を受けてしまいました。

投稿: 土見誠輝 | 2019年6月29日 (土) 17時48分

>未だに阿弥陀仏の救いに預かっていないので、真剣に自力の聞法、念仏をするしかないという事で良いのでしょうか。

何度も申しますように、自力の聞法、念仏をするという考え方ではなく、今から他力の聞法、念仏をする、と心得ることが親鸞聖人の教えです。あくまで結果的に自力の聞法、念仏になるのであって、自力の聞法、念仏をしようは親鸞聖人の教えとしては間違いです。親鸞聖人はそのような教えられ方はされていません。

とはいいながらも、法然上人や香樹院師は、他力になれないことを嘆くのではなく、自力の聞法、念仏をすることで必ず他力になるのだから励みなさい、という言い方をされていますので、そのように理解してください。

次に
>(1)聞法が大事なのか
>(2)聞法が(最高の)善になるから大事なのか

2は間違いですが、1も宿善になる、功徳になるという意味なら間違いです。聞法=信心なので大事とは言えますが、自力の聞法で宿善を積んで、功徳を積んで、という考えは平生業成にはなりません。今の聞法が他力の信心なのです。たとえ今は自力であったとしても、いつか他力になる聞法ができますので、そこまで何回も何回も嘆かずに繰り返すことという意味では自力の聞法も重要です。

お体のことでは、御自愛くださいとしか言いようがありませんが、もし時間がないと焦られるのであれば、親鸞聖人がどう仰っているのかを、親鸞聖人の御著書を直接読んでください。古文が読めない時は、現在語訳版もありますので、それでも良いと思います。

退会者のことを信用して頂けるなら、退会者のブログを読んでください。細かい間違いがあるかもしれませんが、基本聖教に忠実に書いています。
メールでもコメントでも結構ですので、いつでも質問してください。

投稿: 飛雲 | 2019年6月29日 (土) 18時09分

とても素晴らしいことに、回答が早くて有難いことです。

まずもって、私は、会員は信用する、退会者は信用できない、とは全く考えておりません。
これまで、沢山の会員、退会者、一般人に、出会い、別れ、その時々に信用したりしなかったりで、私自身は、「まことあることなし」の金言にどうしたらよいのかと思っております。

次に、(2)聞法が最高の善になるから大事ではなく、(1)聞法が大事である、ということですね。
ここが肝要で、
今の聞法、今の念仏が他力と心得ること、「念仏のみぞまこと」の平生業成、これが親鸞聖人の教えだということですね。

最後に、ここから入力が進めなくなり、またの機会にします。

投稿: 土見誠輝 | 2019年6月30日 (日) 09時54分

前回6月30日コメントの「最後に、」の続きです。高森会長からのお話は邪義だから、そのような話を聞いていては駄目で辞めて、正しい教えを聴聞しなさいとお考えでしょうか。

投稿: 土見誠輝 | 2019年7月 6日 (土) 06時37分

はっきり言えば、そういうことです。
聖道門と18願との違いも判っていないので、聖道門的話を高森会長から聞いても全く無意味というより害にしかなりません。

投稿: 飛雲 | 2019年7月 6日 (土) 06時44分

この一週間、このことばかりを考えていました。
令和元年7月6日に二千畳で、高森会長の御講演が予定されており、
(1)いつもなら前日から体調を整えるため、本日から富山県のホテルに向かうのですが、
(2)それとも生まれて初めて妙好人の方にお会いするのか、どちらを選べぶのか。
自分の後生は、自分で決めるしかないので。

投稿: 土見誠輝 | 2019年7月 6日 (土) 06時49分

土見誠輝さん。どのような選択をされたでしょうか?親鸞会では獲得者は皆無でした。幹部の講師部員にしても、いないだろうと言う始末もちろん幹部もしていません。どこか諦めている。もしくは親鸞会にいればなんとかなるじゃないのか。そんな雰囲気です。そのくせ会員には久しぶりに宿善まで持ち出して、綱紀粛正なのか(笑)諸善に励むように言う。矛盾してます。ご自分の中で疑問点がお有りなら徹底的に真偽を検証されたらよいと思います。親鸞会から出てみれば獲得者は思ったよりも多いと知ると思いますよ。悔いのない選択をされますよう願っております。

投稿: チュウビ | 2019年7月 9日 (火) 13時19分

チュウビ様へ
7月6日の午後に、神戸(自宅)から福井におられる同行の善知識に初めてお会いして確信し、切符は続いていましたが二千畳には行かずに、Uターンして神戸に戻りました。その車中で、2名の親鸞会員の方に、退会する旨を伝えました。
そして、7月9日の夕方に、携帯用ご名号をお返しして退会が完了しました。

今は、真宗難民のような状態ですが、真宗僧侶の録音テープと、御文章を拝読させていただいております。

投稿: 土見誠輝 | 2019年7月10日 (水) 06時36分

土見さまへ
退会無事されたとのことうれしく思います。真宗難民は私も最初そう思いました。ですが、実は世界は広かった。阿弥陀様のお慈悲は広大無辺でありました。親鸞会のという、異端も異端で真宗ですらないものの作った枠組みに囚われていただけでした。善知識はたくさんおられます。またインターネットの普及によって、今はブログ、YouTubeやSNSにて法を聞くことが出来ます。そんな楽してわかるものなのか?苦労して足を運ばねば、獲信できないのではないのか?  出来ます。苦労は私に変わって阿弥陀様が既にされておりますので。私も飛雲さんや安心問答の宮田さんや真偽検証の淳心房さんをおすすめします。他にはブログやYouTubeで法話をあげておられる久保光雲先生やTwitterにて質疑応答もされてる久保龍雲先生(どちらも本願寺派の僧侶)をおすすめします。こちらの両先生は動画やホームページを見てくださればわかりますが、親鸞会で聞いた話に近いので理解しやすいと思います。
 一番理解を妨げているのは、語句の意味がことごとく違うことです。最初は、親鸞会教学が抜けませんが、逐一確認されたら良いと思います。

投稿: チュウビ | 2019年7月10日 (水) 17時25分

聞法が大事で、阿弥陀仏の呼び声を聞く一つ。五重の義で教えられるように、善知識から法を聞くのが大事。信心決定、安心決定された人から、聞きたいのですが、沢山おられるのですか。
言葉に出来ないことを、言葉にしないと私に教えてもらうしかありませんし、
また、教授の善知識も、沢山おられれば知識は色々で、全ての言葉を全く同じ意味や解釈では使われていないと思いますから、
ただ、重要な用語は、絶対に間違っては万死に値する。
さらに、三祖のお言葉を拝読して、私は救われていないと、同じ信心を頂けていない。
だから、一日も片時も急げと、教えていただいています。

投稿: 土見誠輝 | 2019年7月11日 (木) 07時01分

土見さま、返事ありがとうございます。色々検索して質問してくださいませ。なかなか最初は親鸞会思考が抜けず、あまりに真実と食い違っているので真実を受け入れられないと思いますが、必ず助けるという阿弥陀様の本願が真だから、必ず助けると聞いてお念仏してくださいませ。なもあみだぶ。なもあみだぶ。

投稿: チュウビ | 2019年7月11日 (木) 22時32分

http://shinshuhouwa.info/
聞法が大事と思い、上記の案内により、7月14日の昼に自宅近くの光瑞寺の住職の定例法座に生まれて初めて本願寺末寺へ参詣しました。皆さんと一緒に無量寿経の弥陀48願を棒読み後、18願についての説教で、「法然上人は念仏往生の願、親鸞聖人は至心信楽の願、どちらも同じことです。」と教えていただきました。

終了後、今から振り返れば大変失礼な事を言ったのですが、「どこに真の知識はおられますか?」と尋ねた(何故か泣いて)ところ、2つの事を教えてくれました。
1「私の師匠であった稲垣瑞劔師述の真暗がり安心の極致という冊子を読んでみてください」とおっしゃってその冊子を頂きました。
また、私の自宅が神戸市須磨区であったので、
2「須磨に信行寺がありそこで月3回のご縁があります」と教えて頂きました。

その足で、そのまま信行寺に行くと、夕刻から仏教講座があると案内があったので、そのまま参加しました。教行信証の解説中で、化身土巻の講座でしたが、住職から「顕浄土真実教行証文類には信の字が無いが、行と信は一緒で引っ付いているのですよ」と教えて頂きました。

帰宅後は、1の冊子を読ませていただき、また翌日には神戸別院で常例法座に参詣しております。いずれも初事初事でございます。

現在の心境は、最高の善になるから聞法に励んでいたのは間違いで、佛と我が同じであるという教えをお聞きさせていただくのだという事です。
それと、以前に「善知識は、沢山おられます。」と伺った事があるのですが、何だかそうなんだと思い、光瑞寺のご住職に今さながら恥ずかしい想いになっております。

投稿: 土見誠輝 | 2019年7月16日 (火) 12時04分

土見誠輝様

それで良いと思います。
方向を逸れることのないように、本願力回向の白道にそのまま乗ってください。

投稿: 飛雲 | 2019年7月16日 (火) 17時47分

土見さま。素晴らしい出会いがあったようですね。稲垣瑞劔師は有名な先生ですよ。親鸞会が真実で唯一の善知識がいて唯一の団体ではありません。たくさんおられます。私も富山からずいぶん遠い県にいますが、念仏者の方と出会いがあり、色々お寺や別院や聞法会館などでかけては聞いております。親鸞会の会館と目と鼻の先にありました。なんだか近くに答えはありまして「青い鳥」のようでしたよ。どうぞそのまま聞いてくださいますよう。

投稿: チュウビ | 2019年7月16日 (火) 22時58分

誠に種々に応援を頂いているようで、とても嬉しい限りです。
神戸別院では、15・16の両日に同じ講師の法座があり、「愚者となりて往生す」(法然上人)のお話を聞かせて頂きました。
また、「信心をいただく」ではなく、「信心をとる」であるとのお言葉に、そうであったのかと聞かせて頂きました。

この喜びを何としても伝えねばならぬと、本日(7月17日)も仕事を休んで、まず妻に最近二週間ほどの経緯を話しました。
それは、「わが妻子ほど不便なることなし それを勧化せぬは浅ましき事なり。宿善なくば力なし。わが身を一つ勧化せぬ者があるべきか。」(御一代記聞書65)
これを思い出しての事であったのですが、どのように解釈・理解すべきであったのかと、あとで心配になりました。

投稿: 土見誠輝 | 2019年7月17日 (水) 19時00分

「愚者となりて往生す」(法然上人)
は、一字間違っていまして、

「愚者になりて往生す」(法然上人)
が、正しくて、大変申し訳ございません。

投稿: 土見誠輝 | 2019年7月17日 (水) 19時15分

土見誠輝様

土見さんの行動は、素晴らしいと思います。

投稿: 飛雲 | 2019年7月19日 (金) 21時31分

チュウビ様から情報をいただいた師のアドレスがありました。
久保光雲師 https://twitter.com/kounkubo
久保龍雲師 https://note.mu/ryuun18/n/n8b014e716a0a
どうも有難うございました。『親鸞会で聞いた話に近いので理解しやすい』と
記述がありましたので、あまり見る気はなかったのですが、
久保龍雲師の「死ぬのが怖い人へNOTE(1)~(10)」は、一気に読んでしまいました。
一時的に親鸞会員であったようで、「何故に教えてくれなかったのか」とか「何故に分からなかったのか」という思いが出てきて、苦しんでいます。
その次には、我が身の事で精一杯で、現会員の縁ある方に伝えるのが、二の次三の次になっており、申し訳ないやら、どうしたものかと、また苦しんでいます。

さて、
チュウビ様は、京都本願寺の「聞法会館」に行かれることがあると記述がありましたので、是非ともお会い出来る機会があれば嬉しいと思っております。
今日は、信行寺(神戸市須磨区)で定例聞法の集いです。

投稿: 土見誠輝 | 2019年7月20日 (土) 10時01分

土見さま。素晴らしい行動力ですね。信行寺の法話はどうでしたか?
愚者になりて往生す。親鸞聖人88歳最後の御消息ですね。その言葉で本を紹介します。自照社出版「愚者になりて往生す」梯実圓
です。西宮市の善教寺の報恩講の法話集です。梯実圓和上は、翌年ご往生され、善教寺最後の法話となりました。和上さまも最後を意識されたのか、愚者になりて往生すをお話されたのではないかと感慨深いです。
よろしければpatapata.net@gmail.com
こちらにメールくだされば、色々お話できると思います。なまんだぶ、なまんだぶ。

投稿: チュウビ | 2019年7月21日 (日) 01時31分

土見様
ようこそ ようこそ 親鸞会を退会されましたね、心より嬉しく思います。
モダン寺 常例法座に参拝とのこと ようこそ 御縁を結ばれました有り難いことです。
15・16日が休日と重なるときと、第一土曜日(土曜講座)に時々、私参拝しています。
先月6月22日(土)本願寺神戸別院 本願寺派総合研究所主催
初めて学ぶ『歎異抄』講座(無料)、聴講されましたでしょうか?

布教講師によって迷いが増すことも少なくありません、終始世間話で 「法」を伝道しない(できない)方も居ます。
お別院教務所長様は、身近で正しく伝道されるお代官です。
聴講されることを勧めます。
神戸別院(モダン寺)にて来月、8月1・2・3日、早朝7時~ 暁天講座が催されます。お勤めの後 御輪番さまより豆法話があります。
別院仏教婦人会さまの、朝粥の接待があります。お時間が許されるならば是非お参りください。

なんまんだぶつ

投稿: とくま | 2019年7月21日 (日) 12時02分

神戸市須磨区の信行寺へは、自宅から行きの自転車走行中に、思い切り転倒し、ズボンは破れ直径5㎝の擦り傷と切り傷で、帰ってから見るとかなりえぐれていました。
7月20日の定例法話内容は、副住職による四苦八苦と四諦、住職による正像末和讃2種でした。

川西市から参詣されたご夫婦と少しお話をしたら、この寺と広島の寺で、聞法をしていると伺いました。皆さんに弥陀のご慈悲がかかっていると拝しました。

今日(7月21日)は、芦屋仏教会館で本願寺派布教使の清岡隆文先生の仏教講座で、そこでは「弥陀をたのむ」と「弥陀にたのむ」の違いについて教えて頂きました。

とくま様とは、神戸別院でお会いできる可能性が高いと思いますので、その節にはよろしくお願いします。土見は7月7日まで迷っていましたので、6月22日神戸別院の「初めて学ぶ『歎異抄』講座」には、行っていません。

投稿: 土見誠輝 | 2019年7月21日 (日) 14時15分

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