大沼法竜師の説明を受け売りして恥をかき続ける高森顕徹会長
本日の高森顕徹会長の話は、また
「『聞く一つで、大船に乗せる』ということは、阿弥陀仏の命を懸けたお約束だからです」とは、どんなことでしょうか」
との質問に答える座談会でした。
自分の創作した言葉の解説を延々とし続ける意図は、批判されることへの恐れを抱いた自信のなさの表われです。
いつもの邪義の連続で大した話はありませんでしたが、邪義の中で一つだけ取り上げておきます。
阿弥陀仏が「すべての人」を「極重の悪人」と見て取られて本願を建てられた
というところです。大沼法竜師が言われていたことの受け売りですが、これは間違いです。
「極重の悪人」とは、『正信偈』の
極重悪人唯称仏
から取っているのでしょうが、この元は源信僧都の『往生要集』の
『観経』に「極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に往生することを得」と。
です。『観無量寿経』の内容を示されたものですが、この更に元は、善導大師の弟子であった懐感禅師の『釈浄土群疑論』にある
『観経』の下品上生、下品中生、下品下生の三処の経文には、みなただ弥陀仏を念じて浄土に往生すと陳ぶ。
です。ここで『観無量寿経』の九品について見てみますと、
「上品上生」「上品中生」「上品下生」は、行福を行じている善人
「中品上生」「中品中生」は、戒福を行じている善人
「中品下生」は、世福を行じている善人
「下品上生」「下品中生」「下品下生」は、無三福の悪人
となります。したがって、源信僧都の仰る「極重の悪人」とは、悪人の中の最も下に当たる「下品下生」のことを指しているのは浄土門の常識です。源信僧都が仰っていることは、「下品下生」の「極重の悪人」は、念仏だけを勧められていて善という方便がない、その念仏を称えて極楽に往生する、と『観無量寿経』に説かれている、ということです。
これがどういうことかというと、「上品上生」から「中品下生」までの善人がいるということであり、悪人でも「下品上生」「下品中生」もいるということです。
そんなことはない、親鸞聖人は全人類を「極重の悪人」とみておられた!!!
と根拠のない反論をしてくるでしょうから、この御文を使って言い換えられた親鸞聖人の御文を示しておきます。『往生要集』のお言葉に「定散の諸機」を加えられて、『教行信証』化土巻の要門釈で
『観経』の定散の諸機は、極重悪人、ただ弥陀を称せよと勧励したまへるなり。濁世の道俗、よくみづからおのれが能を思量せよとなり、知るべし。
と仰っています。「極重の悪人」には他の方便がありませんが、善人である「定散の諸機」には他の方便がありますので、「定散の諸機」の入ったこの御文には「他の方便なし」が無くなっています。
なぜかって、「定散の諸機」がいるからです。
それでも納得しないでしょうからもう一つ信巻から
禅に参はり性を見ること、たれか高玉・智覚にしかんや。みな社を結び、仏を念じて、ともに上品に登りき。
高玉・智覚禅師は、上品だということです。
高森会長の邪義など、たやすく暴くことができます。なぜなら、その程度の人物だからです。
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