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2019年3月

2019年3月18日 (月)

毎年恒例ですが、これが高森顕徹会長と親鸞会の実態

本願寺をはじめ、外部からの非難攻撃に対して、全て法論を仕掛けて全戦全勝だと親鸞会内で宣伝していますが、実際は全戦全敗です。法論の相手が呆れて、法論を止めたことで表面上は親鸞会が勝利したように装ってきましたが、ここ10年はその偽装もできなくなり、実際も表面上も親鸞会の大惨敗の連続です。

ただ、その事実を知らずに、高森顕徹会長を唯一無二の善知識として、崇めさせられている会員は、哀れなものです。顕正新聞でも、未だに『歎異抄をひらく』発刊から未だに反論がない、その時が11年だ、とか一面に書き続ける根性には、敬意を表したいくらいです。

高森先生が法論に負けたことなどあろう筈がない

という妄想を抱いている会員のために、毎年恒例ですが、その証拠のほんの一端を紹介しておきます。

今から7年前、こんなエントリーを書きました。

書面で法論を申し込んだら、”検討する”だそうです

その後、連絡もなく、内輪でのみ反論したように偽装しただけです。

昨日、ある集まりに、弘宣局長とK講師、他2名の講師部員が乗り込んできて、親鸞会の邪義を喚き散らしていったそうです。その際に、私が弘宣局に書面で正式に法論を申し込めば、検討する、と弘宣局長は言っていたそうです。

そこで本日、法論申し込みの書面を書留で送付しました。それに加えて以下のメールも送っておきました。

W 様


御無沙汰しております、○○です。
昨日の件は、聞いております。法論の申し込みを書面でせよ、とのことですので、本日申し込みの書面を書留で送りました。
内容は以下の通りです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
              法論の申し込み
                            平成24年3月18日
弘宣局長 W 様

御無沙汰しております、○○です。

昨年、K講師を通して、法論を申し込みましたが無視されました。
しかしその件で、「弘宣局に直接法論を申し込むように」と貴方が言われたそうですので、ここに書面をもって法論を正式に申し込みます。

法論の条件は、

1.法論の土俵はお聖教であり、お聖教にない文底秘沈のような主張はしない
2.文章でやりとりをする
3.法論の場は、以下とする
  mixi内の信仰と対話コミュニティ*「三願転入」議論継続トピック*
  
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=53217382&comm_id=2135313
4.相手の質問に対して質問で返さず、相手の質問に答えてから新たな質問をする

以上の4点です。

かつて親鸞会は公約していた筈です。

「親鸞会は公約しています。親鸞会の主張に対して異議、反論のある方は遠慮なく申し出てください。相手が集団であれ、個人であれ、公開であれ、非公開であれ、討論であれ、文書討論であれ、相手の希望される方法で、時と場所を問わず、本当の親鸞聖人のみ教えを開顕するために、喜んで対決に応じます。」

これが口先だけであったとは、言わせません。

私の主張は、「親鸞会教義の誤り」「飛雲」「親鸞会の邪義を正す」等のブログで書かれている通りです。一読された上で、法論に臨んで頂きたいと思います。
親鸞聖人の仰せと高森顕徹会長の主張との相違点を以下に列記しておきます。

1.獲信していない人の死後はどうなるか

親鸞聖人 六道輪廻(19願・20願の同行は化土往生)
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高森会長 必堕無間

2.五逆罪・謗法罪について

親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる
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高森会長 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている

3.善人と悪人について

親鸞聖人 善人と悪人とがいる
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高森会長 善人はいない、すべての人は悪人である

4.獲信のために善は必要か

親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要
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高森会長 善をしなければ絶対に獲信できない

5.白道とは

親鸞聖人 自力の心にあらず
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高森会長 自力

6.定散二善について

親鸞聖人 定散二善を捨てよ
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高森会長 定散二善をせよ

7.19願について

親鸞聖人 19願を捨てよ
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高森会長 19願を実践せよ

8.宿善について

親鸞聖人 過去世の善根の厚薄と、往生・獲信とは関係ない
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高森会長 過去世の善根の薄い者が、そのままで往生・獲信することはありえない

9.機の深信について

親鸞聖人 自力では出離できない
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高森会長 逆謗の屍と必ず知らされる

10.善知識に無条件服従しなければならないか

親鸞聖人 法に従うのであって、人に従うのではない
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高森会長 善知識に無条件服従せよ

なお、法論に応じられても応じられなくても、返事を頂いても頂かなくても、すべて公開しますので、御了承ください。
                                           ○○○○
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

mixiでの三願転入の法論は、親鸞会の逃亡とトピック削除で幕を閉じましたが、とりあえずその続きをしたいと考えております。

なお、上に挙げたブログをすべて読まれるのは大変でしょうから、最低限、添付ファイルのところだけでも読んでおいて頂けませんでしょうか。

目的は親鸞聖人のみ教えを開顕するためですので、よいお返事をお待ちしております。

○○○○

法論の実現も、返事も期待しておりませんが、万が一法論が実現すれば、また退会者が増える縁になるでしょうから、喜ばしいことです。

親鸞会は、私を相手にしていないのではありません、相手にして酷い目に遭った経験があるから、怯えて逃げに逃げ回っているのです。

後日、上記の項目に追加して、その解説もしてありますので、以下を会員は是非とも読んで、高森顕徹会長の嘘を知って退会しましょう。

浄土真宗親鸞会は、親鸞聖人のみ教えと同じか?

この程度の内容でさえ、全く反論できないのが、高森顕徹という無知な人物なのです。

反論する元気のある会員は、コメントをください。ただし、聖教の根拠を基として。

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2019年3月10日 (日)

本日も「オカシナ話」をし続ける高森顕徹会長

本日の高森顕徹会長の話も、人間の実相でした。『仏説譬喩経』とは異なる「オカシナ話」を、釈尊の創られた譬えとしているところが、厚顔無恥の至極と言ったところでしょうか。

さて、(『仏説譬喩経』にはない)「底なしの海」を地獄に譬えられた、と説明していましたが、カルト教団定番の地獄脅しが復活したようです。釈尊が、すべての人の死後は皆地獄だ、と説かれたことなどあり得ないのですが、カルトではそう言い切ります。恐怖で信者を繋ぎとめ、服従させるためです。親鸞会でも、長らくこの手法を用いてきましたが、一時封印した時期もあります。しかし、カルトは正体を隠してもカルトなのです。

一応言っておきますが、釈尊も、七高僧方も、親鸞聖人も、覚如上人も、蓮如上人も、すべての人の死後が地獄だなどというカルト教義を伝えられたことはありません。限定的な人に対して、地獄に堕ちる、という言い方はされていますが、一般の人が地獄に堕ちるという説明も理屈もありません。それを裏付ける最も顕著な根拠は、『教行信証』信巻に長々と引かれている『涅槃経』にある阿闍世に対する釈尊の御説法です。「阿闍世は地獄に堕ちない」、と釈尊が連呼されていることは、『教行信証』を一度でも読んだことがあれば知っているでしょう。

つまり、地獄と脅しているカルト教団の親玉は、『教行信証』を一度も読んだことがないのです。

ところで、今回は高森会長に少し進歩がありました。
『浄土和讃』の

若不生者のちかひゆゑ
 信楽まことにときいたり
 一念慶喜するひとは
 往生かならずさだまりぬ

を用いた説明で定番であった

若不生者と誓っておられるから、まことに信楽に生まれるときがあるのだ

というようなことを言いませんでした。こちらは封印したのかもしれません。
こちらも念のため説明しておきますと、

この和讃の前と併せて

十方諸有の衆生は
 阿弥陀至徳の御名をきき
 真実信心いたりなば
 おほきに所聞を慶喜せん

若不生者のちかひゆゑ
 信楽まことにときいたり
 一念慶喜するひとは
 往生かならずさだまりぬ

18願文を言い換えられたものです。正確に言えば、18願文を曇鸞大師が『讃阿弥陀仏偈』で言い換えられたものを、親鸞聖人が更に言い換えられたものです。

『讃阿弥陀仏偈』

あらゆるもの、阿弥陀の徳号を聞きて、信心歓喜して聞くところを慶び、
すなはち一念に曁ぶまで心を至すもの、回向して生ぜんと願ずればみな生ずることを得。
ただ五逆と謗正法とを除く。

したがいまして、この和讃の意味は

若不生者の誓いであるから、信楽がまことにとき至って一念慶喜する人は、往生が必ず定まるのだ

ということで、
信心を獲た人は往生が必ず定まるのだ
ということです。

ここから思い出すのは、『尊号真像銘文』の

「若不生者不取正覚」といふは、(略)このこころはすなはち至心信楽をえたるひと、わが浄土にもし生れずは仏に成らじと誓ひたまへる御のりなり。

です。
若不生者」の「」は、「浄土に生まれる」としか親鸞聖人は仰っていないことを高森会長も判っているのです。

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