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2019年1月 3日 (木)

今年も大衆を騙すのに余念のない高森顕徹会長

本日の高森顕徹会長の話は、近年では稀にみる大きな突っ込みどころのない内容でした。もちろん、間違った部分はありますが、とんでも発言がなかったという点においての評価です。

ただし表面上の言葉ではということですので、その心はいつも通りのとんでも解釈でしょう。

退会者からの批判にかなり気を遣っているのだと思われますが、やはり念仏に関しては問題があります。

今回の内容も『歎異抄』第2条についてでしたが、その中の「ただ念仏」の解釈が多くの学者は間違えているとの勘違い断言は、通常どおりでした。

ただ念仏」とは「唯念仏」のことであり、「念仏一行」のことであることは、真宗でも浄土宗でも、常識中の常識です。それを否定しているのですから、お粗末と言えるでしょう。

法然上人が教えられたことは「念仏一行」であり、それを否定する人は仏教関係者では存在しないと思われます。『選択本願念仏集』を読めば明々白々の厳然たる事実です。

法然上人の教えを聞かれて救われ、教えを受け継がれた親鸞聖人も同じであることは、普通の頭をもってすれば、普通に導き出される普通の結論です。

念のため、根拠を示せば、親鸞聖人は18願のことを「念仏往生の願」と仰っています。念仏を往生の因として誓われた願だという意味です。親鸞聖人が御自身の言葉で18願を言い換えられたのが『末灯鈔』にあります。

弥陀の本願と申すは、名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたきことにて候ふなり。

名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたる」が18願だということです。

また善導大師のお言葉を引用されて『教行信証』行巻では18願のことを

もしわれ成仏せんに、十方の衆生、わが名号を称せん、下十声に至るまで、もし生れずは正覚を取らじ

もしわれ成仏せんに、十方の衆生、わが国に生ぜんと願じて、わが名字を称すること下十声に至るまで、わが願力に乗じて、もし生れずは正覚を取らじ

とも仰っています。「わが名号を称せん」者を生まれさせるとの誓いだということです。

また源信僧都のお言葉から同じく行巻に

極重の悪人他の方便なし。ただ弥陀を称して極楽に生ずることを得

と仰っています。「極重の悪人」には念仏以外の方便はなく、ただ念仏だけで極楽に生まれることができるのだとの明快なお言葉です。これを『正信偈』では、

極重悪人唯称仏

と明確に「ただ念仏」と仰っています。

蓮如上人はどうかと言えば、『正信偈大意』に

「印度西天之論家 中夏日域之高僧 顕大聖興世正意 明如来本誓応機」といふは、印度西天といふは天竺なり、中夏といふは唐土(中国)なり、日域といふは日本のことなり。この三国の祖師等、念仏の一行をすすめ、ことに釈尊出世の本懐は、ただ弥陀の本願をあまねく説きあらはして、末世の凡夫の機に応じたることをあかしましますといへるこころなり。

と仰って、七高僧方が勧められたことは「念仏の一行」だと断言されています。

上記の「極重悪人唯称仏」については、

「極重悪人唯称仏」といふは、極重の悪人は他の方便なし、ただ弥陀を称して極楽に生ずることを得よといへる文のこころなり。

と仰っています。

『歎異抄』の「ただ念仏」の意味は、上に列記した以外の意味はないのです。あるなら、出して示せばよいのですが、示すことはできません、無いのですから。

今年も、大衆を騙すのに余念のない高森会長でした。

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コメント

あけましておめでとうございます。
いつも分かりやすく切れ味の良い記事を有り難うございます。
今年も楽しみにしております。

投稿: ミントスプレー | 2019年1月 3日 (木) 22時38分

遅れましたが明けましておめでとうございます。いつもながら切れ味の鋭い記事を書かれることに尊敬の念を禁じ得ません。正直私などが何百と記事を書くより飛雲さんが一発ドカンと書いて下さった方が影響力が強いでしょう。

今年も飛雲さんの記事を参照しつつ、私なりの書き方で親鸞会教義の誤りと正しい浄土真宗の教義・安心について書いていきたいと思います。お体に気をつけて、益々のご活躍を期待しております。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・

投稿: 淳心房 | 2019年1月 4日 (金) 06時22分

ミントスプレー様
淳心房様

明けましておめでとうございます。
親鸞会が存在して邪義を垂れ流す限り、それを叩くのが私の使命と考えています。
今年もよろしくお願いします。

投稿: 飛雲 | 2019年1月 4日 (金) 07時14分

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