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2018年12月 5日 (水)

教学的にはほぼ完璧と称賛する『教行信証講義』をパクった高森顕徹会長の白道釈

質問が来ましたので、それに答える形でエントリーを書きます。

親鸞会が白道を信前自力の意味とする最大の根拠が『散善義』にある

「人道の上を行きてただちに西に向かふ」といふは、すなはちもろもろの行業を回してただちに西方に向かふに喩ふ。

です。

もろもろの行業を回しては諸善を回向してだから、自力で求道していく意味だ

というのです。実は、これは高森顕徹会長オリジナルの解釈ではなく、そのように解釈してきた学者がいるので、それを使っているのは間違いないです。
実際、親鸞会を辞めようとする人が高森会長の説明する二河白道の譬え話に矛盾があることを指摘すると、最近よく出してくるのが山辺習学・ 赤沼智善共著の『教行信証講義』です。この『教行信証講義』は親鸞会で、教学的にはほぼ完璧とされている書です。ここでは内容は紹介しませんが、高森会長が『教行信証講義』をパクってこのように言っていることは、間違いないでしょう。

回して」は「翻して」という意味と「回向して」の意味もあり、両方とも善導大師は著書の中で使われていますので、文字通りの読み方をすれば、『教行信証講義』や高森会長の説明も一理はあるように思えます。

しかしここでの「回して」は、「翻して」の意味にしかなりません。

いつも言うように、親鸞会が出している根拠の前後を見れば、それが間違いだとすぐに判るのです。

人道の上を行きてただちに西に向かふ」ですが、これは譬え話の中にそのまま書かれてはいません。該当部分を抽出すると、

三定死に続けて行者が語った言葉の

一種として死を勉れずは、われむしろこの道を尋ねて前に向かひて去かん。

とその後実際に白道を進んだ

決定して道を尋ねてただちに進みて

一心にただちに進みて道を念じて行けば

です。この3つ共、悪知識の言うことに逆らって進んでいるのです。悪知識の言っていることが、「諸善をせよ」ですから、それを実行していたら悪知識に信順して東の岸にいることになります。しかも「ただちに西に向かふ」のですから、回り道をしていない、つまり他力の道です。

もっと言うならば、阿弥陀仏の喚び声である「一心正念にしてただちに来れ」に対応して「ただちに西に向かふ」のです。阿弥陀仏が「ただちに来なさい」と喚ばれて、それに信順して「ただちに向かいます」です。

ですから、「もろもろの行業を回して」は、「悪知識の勧める諸善を捨てて」になるのです。

以上は善導大師の仰った内容で説明しています。親鸞聖人は、他力の信心についての説明をしている中でこれを出されていますので、尚更です。

三願転入にしてもそうですが、学者は今までになかった新しい解釈をしてそれを発表することで名声を得ようとするので、信心とは関係ないところで机上の空論が展開される傾向にあります。

覚如上人、蓮如上人が取り上げることすらされなかった三願転入を大々的に議論するのが学者の仕事です。その学者の説を鵜呑みにすることはやめた方が宜しいでしょう。

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コメント

こんばんわ、Abcです。

>「回して」は「翻して」という意味と「回向して」の意味もあり、両方とも善導大師は著書の中で使われていますので、文字通りの読み方をすれば、『教行信証講義』や高森会長の説明も一理はあるように思えます。しかしここでの「回して」は、「翻して」の意味にしかなりません。(飛雲さん)

仰るとおり、ここでの「回して」は「翻して」であります。私はこれを読んでいる際に、以下の『和讃』、

『浄土和讃』観経意
定散諸機各別の 自力の三心ひるがへし
 如来利他の信心に 通入せんとねがふべし

「東の岸に留まれ」と群賊・悪衆生がいわれている事を翻して、
 「一心正念にしてただちに(西へ)来れ」と仰られている事に信順(願生、帰命)しなさいと(通入せよと)願いなさい

という『和讃』があったことを思い出させていただきました。まことにありがとうございます。

なもあみだ、なもあみだ
Abc

投稿: Abc | 2018年12月 6日 (木) 21時55分

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