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2018年11月 3日 (土)

超選民思想の高森教と合致する19願

会員の中で一番下の親会員の会費が月5,000円となりました。これは他の宗教団体と比較しても驚く金額です。新聞の頻度が違うとは言え、年会費が5,000円なら他の団体でもあり得るでしょうが、親鸞会では年会費にすると60,000円です。
それだけに留まらず、法礼だの報謝だの財施だのと次から次へとお金を巻き上げられます。これに堪えられる人は、まさに”善人”です。常識的な感覚の持ち主では会員になることすら無理ですから、”全人類が救われる教え”と言いながら、超選民思想が高森教だということです。

ところで、『大無量寿経』はインドにあった経典を漢訳した経典ですが、殆ど同じ内容でも時代や訳者の違いなどの事情により、いわゆる異訳経がありました。現在確認できる漢訳経典は、『大無量寿経』以外に『平等覚経』『大阿弥陀経』『如来会』『荘厳経』があります。親鸞聖人は『荘厳経』以外の3つの経典を『大無量寿経』と対比されて、解釈を試みられてます。
たとえば、『大無量寿経』の18願成就文の「乃至一念」を親鸞聖人は信心と解釈された根拠が、『如来会』であることは有名です。
したがいまして、『大無量寿経』の19願を正しく解釈しようとするなら、異訳経を参照することは、普通の作業と言えます。
そこで、『大無量寿経』19願を異訳経で説明したのが、mixiによる法論でした。

詳しくは関連のエントリーを読んで頂ければ結構ですが、結論だけ言うと、『大無量寿経』19願の「十方衆生」は、

『平等覚経』では

諸佛國人民、有作菩薩道者

『大阿弥陀経』では、

八方上下無央數佛國諸天人民、若善男子善女人有作菩薩道

に当たります。
共に「菩薩道を作す」者のことです。

もう一度言いますと、『大無量寿経』19願の「十方衆生」を異訳経で見ると、「菩薩道を作す」者となっていますので、聖道門で修行している、修行していた人のことを意味します。

これをmixi上で高森顕徹会長に突き付けたところ、高森会長以下取り巻き連中は度肝を抜かれた状態で絶句していました。まさか、異訳経が間違っているとも言えないので、これに関しては親鸞会側は沈黙を貫くしかありませんでした。

一応言っておきますと、親鸞聖人は『大無量寿経』18願について、『教行信証』の中で『平等覚経』『大阿弥陀経』との対比されていますが、19願については直接対比はされていません。しかし、前回のエントリーで紹介した『西方指南抄』と『教行信証』化土巻・要門釈は、聖道門の人(正確には聖道門を断念した人)を念仏往生の18願に導くのが19願だと仰っていて、『平等覚経』『大阿弥陀経』を念頭に置かれていたことは、容易に想像できます。

要するに、親鸞聖人の19願は聖道門を断念した人のための願だという解釈は、根拠のないものではなく、『平等覚経』『大阿弥陀経』という異訳経と合致した正統な解釈をされたに過ぎず、その親鸞聖人の正統な解釈を歪曲して『平等覚経』『大阿弥陀経』とも反する解釈をしている高森会長は、頭がおかしいか他の目的があるかのどちらかになります。

なお後日談としては、当時講師部員だったM氏が

親鸞聖人が、「夫れ真実の教を顕わさば、大無量寿経これなり」と仰言った意味も正しく知らず、教行信証の構成も判らぬ者の、とんでもない横車です。教行信証は「大経」の真実を、より鮮明にするために異訳本を次次と示されているのです。その逆に、異訳本に「こうあるから大経の意味はこうなのだ」まさに帽子にあわせて頭をケズル事をしようとしている者と判ります。逆さまです。

(「親鸞会法論惨敗の記録3~飛雲より」参照)

という詭弁を言ってきましたが、親鸞聖人は『大無量寿経』だけでは判らないところを異訳経と対比されて教義を体系化されたのですから、親鸞聖人と同じ手法にケチを付けられる筋合いはありませんし、親鸞聖人の解釈を補足するために出した根拠だということを忘れ去っているところが、実にお粗末な反論です。

尤も、高森教の超選民思想は19願と合致しますので、そこは筋が通っていると言えます、ただし18願には思いっきり反していますが。

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コメント

はじめてコメントさせて頂きます。現・親鸞会員のものです。

いろいろな理由で親鸞会員ではいるのですが、あまり親鸞会の教えに馴染めず飛雲さんのブログを見てやっぱりここの教えはおかしいんじゃないのかな…といった感じの心境が強くなっております。

それでご質問なのですが、今回の記事に親鸞聖人が大経の乃至一念を解釈する際に異訳経の如来会を根拠にされたというお話だったのですが親鸞会では一度も聞いたことがなく、とても気になってしまいました。

有名であるとのことでしたので、何か根拠となる御文、御著書がありましたら自分でも調べてみたいと思いますので教えて頂けないでしょうか?

よろしくお願い致します。

投稿: 通りすがりの親鸞会員 | 2018年11月 5日 (月) 21時26分

通りすがりの親鸞会員様

間もなく、お詳しい方々のご教示があると思いますが、根拠は「教行信証」の信巻に出てきます。
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E9%A1%95%E6%B5%84%E5%9C%9F%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E4%BF%A1%E6%96%87%E9%A1%9E_(%E6%9C%AC)
をしばらく拝読すると「成就文」の話になります。そこに「大経」と「如来会」が出て参ります。
さらに解説として
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E6%B5%84%E4%BF%A1
を読まれることをおすすめします。私も以前、親鸞会に迷っていましたが、この「WikiArc」様を片っ端から拝読して、色々と分かりました。
検索窓もありますので、飛雲様の記事でわからなければ、どんどん検索されれば良いと存じます。

投稿: 園児 | 2018年11月 5日 (月) 22時15分

通りすがりの親鸞会員 様

現役の会員に読んでもらえることは大変喜ばしいことです。

質問の件ですが、少し難しいですが解説します。
『選択本願念仏集』に

いまこの「一念」といふは、これ上の念仏の願成就(第十八願成就文)のなかにいふところの一念と下輩のなかに明かすところの一念とを指す。願成就の文のなかに一念といふといへども、いまだ功徳の大利を説かず。また下輩の文のなかに一念といふといへども、また功徳の大利を説かず。
この〔流通分の〕一念に至りて、説きて大利となし、歎めて無上となす。まさに知るべし、これ上の一念を指す。この「大利」とはこれ小利に対する言なり。しかればすなはち菩提心等の諸行をもつて小利となし、乃至一念をもつて大利となす。

とあります。18願成就文の「乃至一念」と『大経』下巻の三輩段の下輩にある「乃至一念」と『大経』下巻の流通分にある「乃至一念」を同じ意味で念仏と解釈されたのが法然上人です。
法然上人だけではなく、18願成就文の「乃至一念」は念仏とするのが通説でした。

ところが親鸞聖人は18願成就文の「乃至一念」を信心(信の一念)と解釈されたのですが、その根拠が『教行信証』信巻・末に『如来会』を引かれて

また、「他方仏国の所有の衆生、無量寿如来の名号を聞きて、よく一念の浄信を発して歓喜せん」とのたまへり。

この、「一念の浄信」から信心だとされたのです。
逆の言い方をすると、18願成就文の「乃至一念」を信心と解釈する根拠は、ここしかないのです。

実際に『教行信証』信巻・末のところを読まれればお判りになると思いますが、始まりは

それ真実の信楽を案ずるに、信楽に一念あり。一念とはこれ信楽開発の時剋の極促を顕し、広大難思の慶心を彰すなり。

で、次に18願成就文を出され、その次が『如来会』の上記の御文です。
親鸞聖人が信心を強調された根本の根拠でもあります。

では、親鸞聖人は18願成就文の「乃至一念」を信心の意味だけと解釈されているのかというとそうではありません。それだと法然上人の解釈を否定することになります。『教行信証』では、18願成就文は信心の意味でしか説明されていませんが、『教行信証』をまとめられた『浄土文類聚鈔』と『三経往生文類』では、念仏の説明の中で18願成就文を出されていますので、念仏(行の一念)の意味でも解釈されていることが判ります。

ハッキリ言いまして、高森会長は聖教を読んでいないので、真宗学については極めて疎いのが現実です。

高森会長や親鸞会との法論は百回を超えますが、一度として親鸞会側が勝ったこともなければ引き分けのような状態になったこともありません。全部を知って理解することは大変でしょうから、
会員でも判るような簡単な形式にまとめた

「浄土真宗親鸞会は、親鸞聖人のみ教えと同じか?」
https://sinrankaix.exblog.jp/

をとりあえず読んでみられるのが宜しいかと思います。

疑問点、質問はなんでも受け付けて答えます。
お気軽にコメントください。

荒らし目的なら徹底的に叩き潰しますが、前向きな方には親切に対応いたします。

投稿: 飛雲 | 2018年11月 5日 (月) 22時16分

飛雲様
園児様

お詳しくありがとうございます。教行信証が根拠だったのですね。であれば、あれだけ親鸞会の中でお題として本願成就文を取り上げている中で補足でもいいので説明してもらいたかったですね…、私の勉強不足なだけかもしれませんが…。

とてもためになりました、どうもありがとうございます。

本筋とは関係なく申し訳ないのですが、以前、親鸞会の講師の方から親鸞聖人は学者のような方で、教行信証も読み手が間違えそうな内容に関しては異訳本をとりあげて誰が読んでもちゃんと理解出来るように書かれている、まるで計算し尽くされた論文のような素晴らしい書物なんだ!と力説されたことがあります。

それはその通りなのだろうなと思ったのですが、ふと、であれば高森先生であろうと、本願寺であろうと、親鸞会の退会者であろうと誰が読んでも同じ結論になるのでは…?高森先生だけが違う解釈になるのはどうしてなんだろう…?みたいな矛盾を感じてしまいました。そういった小さな違和感が積み重なって今に至るのだと思います。

長々と失礼しました。
提示して頂いたサイトで勉強させて頂きます。

またご質問したいと思いますので、よろしくお願い致します。

投稿: 通りすがりの親鸞会員 | 2018年11月 6日 (火) 21時35分

>高森先生だけが違う解釈になるのはどうしてなんだろう…?

聖教を全く読んでいないからです。
信じられないかもしれませんが、これは事実です。
大沼法竜師が膨大な著書の中で引用した聖教上の御文以外は知らないのです。その証拠に、大沼師が間違えて著書に引用したところを、間違いのまま説法したり高森会長の著書に書いています。1箇所や2箇所ではありません。何箇所もあります。大沼師の間違いに全く気が付いていないのです。

高森会長の間違いを一度に受け入れることは難しいでしょうが、一つ一つ自分の目で調べてみてください。きっと愕然とするでしょう。

何かあれば、いつでもコメントをください。

投稿: 飛雲 | 2018年11月 6日 (火) 21時46分

飛雲様
たまに拝見しております。
今の親鸞会はお金集めに躍起になっていることが露骨にあらわれてきています。
今回の会費値上げもそうですが、なぜ生きる~蓮如上人と吉崎炎上~
のディスクが希望者に販売されたことはご存知でしょうか。
歎異抄をひらくの映画に役割交代する前のもうひと稼ぎといったところでしょうが、
本編ディスク(Blu-rayとDVD)と解説のDVDで15000円以上のお布施で「分けていただける」
ということで推進されました。
Blu-rayとDVDの抱き合わせは一般にもあるにしても、一般のアニメ映画なら超特装版クラスの
値段だと思います。
にもかかわらず、ディスク以外は薄い冊子が1冊のみという内容です。
それでも「尊い仏法の内容だから」「特にご解説のDVDは会長先生のご説法が家で聞かせて
いただけるのだから」と言われて納得してしまうところに、マインドコントロールの恐ろしさ
を感じます。
しかし、頑なにホール上映にこだわり、門外不出のように扱ってきたものを、会員と縁正限定
とは言え、お金と引き換えに開放するあたり、いかに追い詰められているかが伺い知れます。

投稿: 名無しの現会員 | 2018年11月 7日 (水) 22時07分

名無しの現会員様

>今回の会費値上げもそうですが、なぜ生きる~蓮如上人と吉崎炎上~
のディスクが希望者に販売されたことはご存知でしょうか。

これは知らなかったです。
まあ、あり得る話で驚きはしませんが、これを求めないと、指摘されて、泣く泣くお金を出さざるを得ない状況が目に浮かびます。

何十個何百回も見た映画を今更見たいと思うかという話です。

マインドコントロールされていた自分の過去を思い出して、今も会に残っているかつての仲間が不憫です。

投稿: 飛雲 | 2018年11月 7日 (水) 22時16分

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