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2018年10月 5日 (金)

なんちゃって二種深信を妄信する高森顕徹会長と愉快な仲間達

親鸞会が法論で劣勢になると起死回生で伝家の宝刀と思って出してくるのが、二種深信です。二種深信を体得して正しく説明できるのは、高森顕徹会長だけだ、という大いなる錯覚が原因でしょう。

高森会長は、二種深信を体得もしていないし、聖教を読む能力もない、単なるなんちゃって善知識です。

これまでの法論では、親鸞会の伝家の宝刀を木っ端微塵に破壊してきました。
今回はその一端を示しておきます。

高森会長最大の駄作である『なぜ生きる2』に二種深信の説明があります。

地獄より行き場のない身だと疑い晴れ、いつ死んでも浄土往生間違いなし、と疑い晴れているからだ。大悲の願船に乗ずると、何人も、この二つのことに疑い晴れる。
これを「二種深信」という。

大沼法竜師の二種深信の説明を劣化コピーしたものです。
高森会長は、二種深信の基礎を知らないのです。

二種深信を最初に取り上げられたのは存覚上人です。存覚上人は、蓮如上人が釈迦の化身・勢至菩薩の化身とまで絶賛され、存覚上人の解釈をそのまま受け入れよとまで蓮如上人は仰っています。
その存覚上人が『教行信証』を解説された『六要鈔』に、二種深信についてこのようにあります。

次に深心を釈する中に、「二者」等とは、これ経文を牒す。「深」等というは、能信の相を明かす。「亦有」等とは、所信の事を顕かす。これ則ち機法二種の信心なり。「無有」等とは、正しく有善・無善を論ぜず、自の功を仮らず、出離は偏に他力に在ることを明かす。聖道の諸教は盛んに生仏一如の理を談ず。今の教は自力の功なきことを知るに依りて、偏に仏力に帰す。これに依りて、この信は殊に最要なり。「無疑」等とは、「若不生者不取正覚」、正覚既に成ず、故に無疑という。「即得往生住不退転」一念誤ることなし、故に無慮という。

機の深信については、「正しく有善・無善を論ぜず、自の功を仮らず」「聖道の諸教は盛んに生仏一如の理を談ず。今の教は自力の功なきことを知るに依りて」とあります。地獄とかそんな内容のことは一切ありません。
善ができてもできなくても関係なく、自分の行いによる功徳では、出離できないことを知ることです。
「善をしなくても助かる」という退会者に対しての反論として高森会長が指導したのが、

「では悪をすれば助かるのですか」と言えばよい

でした。善をしないなら悪をする、という発想が機の深信に無知な証拠です。善をすることも、悪をすることも共に、「自力の功」です。この一点だけでも、高森会長が機の深信を体得していないと言えます。
存覚上人の解説をもう少し詳しく見ると、「聖道の諸教」と比較されています。

つまり、機の深信とは元々、聖道門では出離できないという内容なのです。それは善導大師の告白を読むとよく判ります。

『散善義』

わが身は無際よりこのかた、他とともに同時に願を発して悪を断じ、菩薩の道を行じき。 他はことごとく身命を惜しまず。 道を行じ位を進みて、因円かに果熟して、聖を証せるもの大地微塵に踰えたり。 しかるにわれら凡夫、すなはち今日に至るまで、虚然として流浪す。 煩悩悪障は転々してますます多く、福慧は微微たること、重昏を対して明鏡に臨むがごとし。たちまちにこの事を思忖するに、心驚きて悲歎するに勝へざるものをや。

(現代語訳)

わが身は、 無始よりこのかた、 他のものと同時に、 発願し、 悪を断ち、 菩薩の道を行じたのに、 他のものはことごとく身命を惜しまず、 修行して位を進め、 因が円満し、 果が成就して、 聖者の位を証した。その数は、 大地を微塵にくだいたよりもなお多い。しかるに、 われら凡夫は過去より今日に至るまで、 いたずらに流転して、 煩悩の悪障が次第にますます多くなり、 福徳智慧のきわめて少ないことは、 重昏をもって明鏡に望むがようである。 今このことを考えると、 どうして心驚き悲しまずにおられようか。

聖道門では出離できないのではなく、身命を惜しまずに修行した多くの法友が出離していった中で、自分は落ちこぼれの凡夫だから出離することができないのだ、との告白です。

地獄より行き場のない身」だなんていう低レベルの話かどうかは、聖教をちょっとでも読んだら判る話です。

法の深信についての存覚上人の解説は簡潔で、「出離は偏に他力に在ることを明かす」「偏に仏力に帰す」です。聖道門に代表される「自力の功」では出離できないが、阿弥陀仏の18願によって出離することができる、と深く信じたことを法の深信というのです。
いつ死んでも浄土往生間違いなし」ではなく、浄土往生の道は「他力」「仏力」だと深く信じたことです。

地獄が判るわけでもなく、浄土が判るのでもないです。あくまで出離の手段、浄土往生の手段が自力ではなく他力と判ったことを二種深信というのです。

今回の内容は、日本語の能力が一般人並みであっても、真宗の教えの基本がないと難しいかもしれません。

創作妄想勘違いのなんちゃって二種深信を妄信している高森会長と愉快な仲間達には、チンプンカンプンでしょうね。

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コメント

さとし ひろし たかし

みんな、アホばかり。さとしはその中でもずば抜けている。悪い方でね。

投稿: まさし | 2018年10月 6日 (土) 21時25分

会員ですが、一連のさとしさんのコメントを見て「あれ?」と思い始めて、色々とサイトを調べたりしているうちに親鸞会がおかしいことに気づきました。覚めてみると「ちょっとおかしいな」と思っていた疑問が次々氷解して、現幹部やさとしさんの言動が、なんというかチグハグで滑稽に見えてきます。

そもそもサイトを発見したのも「ネットを見るな」という親鸞会の宣伝があったからで、なんというかホントに間抜けな感じがします。

飛雲さん根気強く記事の更新を続けて下さり、ありがとうございました。何人か仲の良い親鸞会の友達にも伝えたいと思います。

投稿: もうすぐ元会員 | 2018年10月 9日 (火) 18時37分

もうすぐ元会員 様

それは素晴らしいことです。
もうすぐ元会員さんのような、思考力の残っている会員が少なからずいると思いますので、気長に更新を続けていくつもりでいます。

投稿: 飛雲 | 2018年10月 9日 (火) 19時38分

ネットを見て何も報告しないのも謗法罪だ!とかK玉氏も昔言ってたな。。K玉学友部長よ恥を知れなんてブログタイトルが検索結果に出てくるネットなんて、そりゃ見せたくないですわな

投稿: | 2018年10月10日 (水) 02時10分

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