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2018年7月22日 (日)

よく知りもしない『観無量寿経』の内容を知ったかぶりで話をする高森顕徹会長と愉快な仲間達

本日の高森顕徹会長の講義では、二河白道の譬えについての話がありました。というと、詳しく話があったのかと思われるかもしれませんが、かなり省略した話で結論として、

二河は煩悩を表わし、その間の細い白道が聞法心だ。
聞く一本道だ。

というものでした。

間違いを指摘されていることを誤魔化しながら、過去に高森会長が話をしてきたこととの整合性をはかるには、極力話を削ることだと判断したのでしょう。

もちろん真宗において、白道を自力の聞法心とすることなどあり得ません。

ただ概ね想定通りの展開で、高森会長が退会者からの指摘に怯えきっていることが良く判ります。

ところで今回も韋提希が「実凡の人」だと善導大師お一人が明らかにされたことを、くどくどと説明していました。

どうせ知らないでしょうから、親鸞聖人が韋提希のことをどう仰っているかについて、教えて差し上げます。

『教行信証』化土巻で、前回の隠顕釈について仰っている中で、『観無量寿経』の御文を13文挙げられて以下のように解釈しておられます。

ここをもつて『経』(観経)には、「教我観於清浄業処」といへり。
「清浄業処」といふは、すなはちこれ本願成就の報土なり。
「教我思惟」といふは、すなはち方便なり。
「教我正受」といふは、すなはち金剛の真心なり。
「諦観彼国浄業成者」といへり、本願成就の尽十方無碍光如来を観知すべしとなり。
「広説衆譬」といへり、すなはち十三観これなり。
「汝是凡夫心想羸劣」といへり、すなはちこれ悪人往生の機たることを彰すなり。
「諸仏如来有異方便」といへり、すなはちこれ定散諸善は方便の教たることを顕すなり。
「以仏力故見彼国土」といへり、これすなはち他力の意を顕すなり。
「若仏滅後諸衆生等」といへり、すなはちこれ未来の衆生、往生の正機たることを顕すなり。
「若有合者名為粗想」といへり、これ定観成じがたきことを顕すなり。
「於現身中得念仏三昧」といへり、すなはちこれ定観成就の益は、念仏三昧を獲るをもつて観の益とすることを顕す。すなはち観門をもつて方便の教とせるなり。
「発三種心即便往生」といへり。
また「復有三種衆生当得往生」といへり。これらの文によるに、三輩について三種の三心あり、また二種の往生あり。
 まことに知んぬ、これいましこの『経』(観経)に顕彰隠密の義あることを。

19願の内容と18願の内容が『観無量寿経』の中で混在していることを親鸞聖人が示された箇所ですが、この中の

「汝是凡夫心想羸劣」といへり、すなはちこれ悪人往生の機たることを彰すなり。

が韋提希のところです。
釈尊が韋提希に対して「なんぢはこれ凡夫なり。心想羸劣なり」と仰った真意は、18願は、悪人往生だということを示されたものだと親鸞聖人は、解釈なされたということです。
もちろん定散二善の19願は善人往生ですから、「なんぢはこれ凡夫なり。心想羸劣なり」の文を以って、19願の教えが大半の中で、18願の教えを釈尊が顕かになされたと親鸞聖人は教えられているのです。

他に明確なところでは

「清浄業処」といふは、すなはちこれ本願成就の報土なり。
「教我正受」といふは、すなはち金剛の真心なり。
「以仏力故見彼国土」といへり、これすなはち他力の意を顕すなり。

などは、『観無量寿経』の中に18願の教えが顕わされていることを親鸞聖人が明示されている箇所です。

考え違いをしているかわいそうな人がいますが、『観無量寿経』の表面部分に18願の教えが少しではあってもあることを親鸞聖人が明示されることで、表面上は少ない18願の教えが、釈尊の本意、真意であると解釈なされたのが、隠顕釈です。

もう一度いうと、『観無量寿経』の表面に18願の教えは少ないですがあるのです。『観無量寿経』の表面上が全て19願の教えだったら、18願が隠されているというより、無い18願をでっち上げたことになります。そんな強引な解釈をされたのではないのですが、それが判らずに『観無量寿経』には18願はないと珍釈を書き連ねている講師が親鸞会に存在していることをみると、親鸞会ももう終わりだと思われます。
話を省略して誤魔化そうとしている高森会長の方が、まだましです。

トップがトップですから、その下はなお酷くなるのも当然ではありますが。

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コメント

管理人様
はじめて書き込みさせていただきます。これほど教学に詳しい方がおられたことに驚きながら、勉強させていただいてます。こんなコラムを書いている者です。
https://ryuun18amida.blogspot.com/p/index.html
 
今回の記事を読んで思いましたが、白道が聞法心というのはさすがに無理があります。そもそも求道を例えたものではないのに。
 
二河白道は獲信者の人生をあらわしているということになりますね。獲信者といえども凡夫であり、煩悩に振り回されて死んでいきますが、いつもお念仏に立ち返らせてもらえます。
 
白道を渡り終え、極楽浄土で再会できる方は幾人あるでしょうか。願わくば親鸞会で苦しんだ方々にも、一日も早く本願を聞き開いてほしいと願っています。
 
猛暑の折ですのでご自愛くださいませ。

投稿: r | 2018年7月28日 (土) 03時13分

r様

コメントありがとうございます。
コラムを読ませていただきました。ブラジルにも、このような方が活躍しておられることは、頼もしく思います。
親鸞会に迷っているブラジルの会員にも、是非共、伝えていただきたいと願うばかりです。
親鸞聖人の教義は、奥深いので、切磋琢磨して学んでいきたいです。
よろしくお願い致します。

投稿: 飛雲 | 2018年7月29日 (日) 06時53分

自称退会者を論破してきました。
その証拠が、私のコメントを載せずに、一週間以上経ってから的外れの反論。

薪乃なんて、あの程度ですね。

投稿: 自称退会者を論破 | 2018年7月29日 (日) 19時39分

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