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2018年7月 4日 (水)

二種深信も知らず創価学会の信心を真実信心だと本気で思っている高森顕徹会長と愉快な仲間達

先日、超一流大学に入学して世間的にもエリートコースを歩んできた還暦の現会員から、高森顕徹会長の話をしている動画が送られてきました。あの与太話動画を私に送る神経が理解できず、その意図を謀りかねていましたが、とりあえず間違いを簡潔に指摘して返信したらそれっきりでした。

学歴や仕事ができることと知能とは比例しないのだとよく判る例です。

さて、善導大師は「仏法・世俗の二種の善根あることなし」の悪人が、臨終になって初めて善知識から仏法を聞いて念仏を勧められて念仏して往生するのだと教えられていることを前回述べました。
その善導大師の信心は如何なるものであったかは、いわゆる二種深信で顕わされていますが、善導大師が仰った二種深信には2通りの表現がありまして、高森会長と愉快な仲間達の知らない方の二種深信を見てみます。

『往生礼讃』には、

二には深心。すなはちこれ真実の信心なり。自身はこれ煩悩を具足する凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知し、いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下十声・一声等に至るに及ぶまで、さだめて往生を得と信知して、すなはち一念に至るまで疑心あることなし。ゆゑに深心と名づく。

とあります。

機の深信=「自身はこれ煩悩を具足する凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知し
法の深信=「いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下十声・一声等に至るに及ぶまで、さだめて往生を得と信知し

です。機の深信と法の深信を比べると判りますが、諸善と念仏が対比されています。
機の深信を簡潔に言うと、

善が少ししかできないので出離できないと信知する

法の深信を簡潔に言うと

1回の念仏でも称えたら必ず往生できると信知する

二種深信をまとめて言うと、

善では救われない、念仏一行で必ず救われると信知する

です。
善導大師は、念仏が救いの絶対条件だと教えられていることが判ります。

コメント欄で、救われるのに念仏が要らない、とか言っている人がいますが、どこの宗教を元にコメントしているのかという話です。
真実信心の定義が、「念仏が要らない」とは無知の極みです。

親鸞聖人は『末灯鈔』に

弥陀の本願と申すは、名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたきことにて候ふなり。信心ありとも、名号をとなへざらんは詮なく候ふ。また一向名号をとなふとも、信心あさくは往生しがたく候ふ。されば、念仏往生とふかく信じて、しかも名号をとなへんずるは、疑なき報土の往生にてあるべく候ふなり。詮ずるところ、名号をとなふといふとも、他力本願を信ぜざらんは辺地に生るべし。

と判りやすく教えられています。

18願とは「名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたきことにて候ふなり

ですし、
真実の信心とは「名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じて」「念仏往生とふかく信じて

です。
念仏不要の信心という説明は、まさに創価学会の信心のことでしょう。

浄土真宗でも浄土門でもないのが、高森親鸞会であることは、明々白々の事実です。

なお、善導大師の機の深信で「善根薄少にして」とありますので、「善根あることなし」の悪人とは異なっていることも知っておきましょう。当然な話で、聖道門の修行をされて、定善までできた善導大師が「善根あることなし」だったら、理屈が無茶苦茶です。「善根あることなし」だと断言する一方で雑毒の善はできると言っている高森会長の思考に納得できる人は、その程度の知能だということです。東大や京大に入ろうが、知能は極めて低いのです。

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コメント

飛雲 様

「念仏が救いの絶対条件」というのは、阿弥陀仏が、衆生を救うには善でなく、念仏(一行)が絶対必要ということでしょうか。「念仏一行」は、阿弥陀仏から与えられるものだからです。

投稿: ショウ | 2018年7月 5日 (木) 00時23分

私も学歴や仕事と知能は比例しないとつねづね思っていました。
飛雲さんも同じことを思われていたとは気が合いますね。
それはそれとして、学歴も仕事も知能も関係なくご回向の念仏一つで往生と聞けば力みも抜けて自然体で生かさせていただけるように思います。

投稿: ミントスプレー | 2018年7月 5日 (木) 00時54分

横から口を出して申し訳ありませんが。
阿弥陀仏が衆生を救うには、念仏が絶対必要です。
阿弥陀仏は衆生に念仏一行を与えて衆生を救って下さるからです。
与えられた念仏を受け取れば良いのではないですか。
念仏を与えて往生させるという御心を受け取ったのが信心だと思いますが。
そういう意味で念仏がなければ信心はあり得ませんね。
そこに衆生が為す善は出る幕がありません。
阿弥陀仏が兆歳永劫の御修行(真実の善)をして下さったればこその念仏なんですけどね。

投稿: ミントスプレー | 2018年7月 5日 (木) 01時24分

ショウ様

ミントスプレーさんの仰る通りです。
阿弥陀仏が念仏一行で助けると誓われたのに、善が要るとか念仏が要らないとか議論の余地があるかということです。


ミントスプレー様

どんなに優秀に見える人でも、知能の劣る人がいるものです。
これだけ高森会長の言っていることが間違いだという情報が満ち溢れ、批判情報に触れないようにしていても漏れ伝わっているでしょうに、よりによってあの絶対の幸福話の動画を自信満々に私に送って来た時には、愕然としました。

間違いを指摘したらプライドの高いその人は反論するかもしれないと微かに期待しましたが、何も無いので、ガッカリです。

投稿: 飛雲 | 2018年7月 5日 (木) 05時14分

飛雲 様
ミントスプレー様

お答えいただき有難うございました。

「阿弥陀仏の救いは(衆生にとっては)無条件の救いであり、そのままの救い」と言われていることと「(阿弥陀仏が与える)念仏が救いの絶対条件」ということとは、矛盾しないことを理解しました。

投稿: ショウ | 2018年7月 5日 (木) 20時56分

知識と知恵の問題と理解してます。縁起ですかね。

投稿: | 2018年7月18日 (水) 07時56分

簡単に言うとそういうことでしょう。

投稿: 飛雲 | 2018年7月18日 (水) 08時05分

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