« 『観無量寿経』下品下生の往生を18願のことだと仰った親鸞聖人を絶対に認めない高森顕徹会長と愉快な仲間達 | トップページ | よく知りもしない『観無量寿経』の内容を知ったかぶりで話をする高森顕徹会長と愉快な仲間達 »

2018年7月21日 (土)

隠顕釈を知らない高森顕徹会長と愉快な仲間達のための解説

『興福寺奏状』第七の「念仏を誤る失」にはこのようにあります。

もし然らずは、観経の疏を作り、また観念法門を作る。本経と云ひ、別草と云ひ、題目に何ぞ観の字を表せんや。しかるに、観経付属の文、善導一期の行、ただ仏名に在らば、下機を誘ふるの方便なり。

善導大師は『観無量寿経疏』を著わされ、また『観念法門』を著わされていますが、元の『観無量寿経』と共に題名に「観」の字があるので、「観法」という諸善が『観無量寿経』と善導大師の教えられたことの中心であって、いわゆる観経付属の文にある念仏は、下輩である悪人を仏法に導くための単なる方便ではないか。

ということを言って法然上人を糾弾したのが聖道門の学僧でした。これを読まれると判りますが、
念仏称えて往生するというのは『観無量寿経』の方便の教えだ
と親鸞会の愉快な仲間が言っていることと、殆ど同じです。
聖道門の理解で『観無量寿経』を説明しているお粗末さに、笑いを堪えられないのですが、親切心で親鸞聖人における『観無量寿経』の解釈の基本を教えてさしあげます。

『観無量寿経』には、『興福寺奏状』でもある通り、「観法」という善による往生が説かれている箇所と、念仏による往生が説かれている箇所があります。もっと簡単に言うと、往生の道は諸善によるものと念仏によるもの2通りがあることを教えられているのが『観無量寿経』です。
ただし、『観無量寿経』の文字の割合からすれば、圧倒的に諸善による往生が多いし、経典の題名に「観」の字が付けられている程ですので、念仏による往生はオマケ程度と考えたのが聖道門の学僧です。

それに対して反論をされた親鸞聖人の解釈が有名な隠顕釈です。
結論を言うと、『観無量寿経』の表面に顕れているのは諸善による往生ですが、陰に隠れているように見える念仏による往生が釈尊の本意であるということです。間違えてはならないのが、念仏による往生が『観無量寿経』に説かれていないのではなく、オマケ程度の扱いでしか説かれていないように思われる念仏による往生が『観無量寿経』の本意であり、表面上の大勢を占める諸善は、聖道門の行者を浄土門に導く方便であり、最終的には念仏による往生が勧められている、というのが、隠顕釈です。

聖道門が言っているような「念仏は悪人を導く方便」を完全否定されて、「諸善は聖道門らの善人を導く方便」とされたのが親鸞聖人です。
ここでも間違えてはいけませんが、「諸善は善人を導く方便」であって「諸善は悪人を導く方便」ではありません。

このことはmixiでの三願転入の法論で、完膚なきまでに高森顕徹会長が叩きのめされた内容でした。

『教行信証』化土巻の最初にある

しかるに濁世の群萌、穢悪の含識、いまし九十五種の邪道を出でて、半満・権実の法門に入るといへども、真なるものははなはだもつて難く、実なるものははなはだもつて希なり。偽なるものははなはだもつて多く、虚なるものははなはだもつて滋し。
ここをもつて釈迦牟尼仏、福徳蔵を顕説して群生海を誘引し、阿弥陀如来、本誓願を発してあまねく諸有海を化したまふ。

から始まった法論ですが、その意味を顕わしている重要なお言葉が同じく化土巻にある

釈家(善導)の意によりて『無量寿仏観経』を案ずれば、顕彰隠密の義あり。顕といふは、すなはち定散諸善を顕し、三輩・三心を開く。しかるに二善・三福は報土の真因にあらず。諸機の三心は自利各別にして、利他の一心にあらず。如来の異の方便、欣慕浄土の善根なり。

と、七深信の第三深信

また決定して、釈迦仏、この『観経』に三福・九品・定散二善を説きて、かの仏の依正二報を証讃して人をして欣慕せしむと深信すと。

です。
これによって、
半満・権実の法門に入るといへども、偽なるものははなはだもつて多く、虚なるものははなはだもつて滋し。
そんな聖道門を脱落した者のために『観無量寿経』が説かれ19願が建てられた。
『観無量寿経』の中心と思われた「定散諸善」「二善・三福」「三福・九品・定散二善」は、「欣慕浄土の善根」という方便、浄土を願っていない人に浄土を願わせる方便だということが明確になったのです。

まとめると、
浄土を願っていない「半満・権実の法門に入るといへども、偽なるものははなはだもつて多く、虚なるものははなはだもつて滋し。」という聖道門の脱落者に浄土を願わせる方便が「定散諸善」であり、「半満・権実の法門に入る」ことのない悪人には関係のない方便が「定散諸善」だと親鸞聖人が教えられたのだ、
がmixiでの法論の結論で、高森会長以下親鸞会の講師面々が逃走し、法論の証拠隠滅まで謀って終わったのです。

念のため言っておきますと、聖道門では浄土に往生することは考えていないので、浄土往生を求めている浄土門とは完全に分けられているのが親鸞聖人です。浄土を願っていない浄土門の人などという定義はありません。親鸞会は、絶対の幸福を願っていて浄土を願っていないので、浄土門とは言えないですが、かといって聖道門のようにさとりを求めてもいないので、親鸞会の会員に対して「欣慕浄土の善根」という方便は、無関係になります。

悔しい気持ちは判りますが、聖道門が法然上人・親鸞聖人を弾圧した時と同じ主張をしていて、「これこそが親鸞聖人の本当の教えだ」とか未だに恥ずかしくもなく言える神経の持ち主に、益々憐みを感じます。

|

« 『観無量寿経』下品下生の往生を18願のことだと仰った親鸞聖人を絶対に認めない高森顕徹会長と愉快な仲間達 | トップページ | よく知りもしない『観無量寿経』の内容を知ったかぶりで話をする高森顕徹会長と愉快な仲間達 »

観無量寿経」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1323088/73897790

この記事へのトラックバック一覧です: 隠顕釈を知らない高森顕徹会長と愉快な仲間達のための解説:

« 『観無量寿経』下品下生の往生を18願のことだと仰った親鸞聖人を絶対に認めない高森顕徹会長と愉快な仲間達 | トップページ | よく知りもしない『観無量寿経』の内容を知ったかぶりで話をする高森顕徹会長と愉快な仲間達 »