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2018年6月10日 (日)

親鸞聖人の教えられた二河白道の譬えの解説で高森顕徹会長を攻撃しておきます

本日も高森顕徹会長は、何が言いたいのかよく判らず、キリスト教などで言われる”神に救われたという体験によって死後に天国に行くことがハッキリした”という話と殆ど同じ内容でした。
更には未だに、阿弥陀仏の誓願は全てのものを信楽にしてみせるという約束だ、と言っていました。

高森会長の頭の中では、自分の言っていることも良く判っていないでしょうし、過去の記憶を継ぎ合わせてとりあえず話をしているだけという印象を受けます。

さて、二河白道の譬えの中で出てくる、西岸上の人の喚び声が18願を譬えられたものであることは、高森会長も認めています。

西岸上の人の喚び声、

なんぢ、一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ

この「一心正念にしてただちに来れ」は、18願文では「至心・信楽・欲生 乃至十念 若不生者」です。
一心正念にしてただちに来れ」にあてはめて18願文を言うと

信楽の心で念仏して生まれさせる

ということになります。
では「生まれさせる」はどう生まれさせるのか。

1.信楽に生まれさせる
2.浄土に生まれさせる

どちらかでしょうか。
1では意味が通じません。

信楽の心で念仏して信楽に生まれさせる

訳が判りません。
2ですとすんなり理解できます。

信楽の心で念仏して浄土に生まれさせる

当たり前のことです。
二河白道の譬えでも、「ただちに来れ」は

ただちに西の岸に来れ

です。

ただちに一心へ来れ

になることはあり得ません。

一心に正念にしてただちに来れ」について親鸞聖人は『愚禿鈔』で、

「一心」の言は、真実の信心なり。「正念」の言は、選択摂取の本願なり、また第一希有の行なり、金剛不壊の心なり。
「直」の言は、回に対し迂に対するなり。また「直」の言は、方便仮門を捨てて如来大願の他力に帰するなり、諸仏出世の直説を顕さしめんと欲してなり。
「来」の言は、去に対し往に対するなり。また報土に還来せしめんと欲してなり。

と教えられています。

18願文の「若不生者」に当たる「直ちに来れ」について、遠回りで「方便仮門」である聖道門や19願・20願を捨てて、近道である18願に帰し、「報土に還来せしめんと欲してなり」と教えられています。ですから、「」は浄土に生まれさせるという意味になります。「信楽」の身に生まれさせるという意味にはなりません。

ではどのようにして来なさい、と仰っているのかというと、「一心正念にして」です。簡単に言うと「一心」真実の信心で「正念」念仏して、です。

この「一心正念」については『浄土文類聚鈔』で更に詳しく解説なされています。

しかれば、「一心正念」といふは、正念はすなはちこれ称名なり。称名はすなはちこれ念仏なり。一心はすなはちこれ深心なり。深心はすなはちこれ堅固深信なり。堅固深信はすなはちこれ真心なり。真心はすなはちこれ金剛心なり。金剛心はすなはちこれ無上心なり。無上心はすなはちこれ淳一相続心なり。淳一相続心はすなはちこれ大慶喜心なり。大慶喜心を獲れば、この心三不に違す、この心三信に順ず。この心はすなはちこれ大菩提心なり。大菩提心はすなはちこれ真実信心なり。真実信心はすなはちこれ願作仏心なり。願作仏心はすなはちこれ度衆生心なり。
度衆生心はすなはちこれ衆生を摂取して、安楽浄土に生ぜしむる心なり。この心はすなはちこれ畢竟平等心なり。この心はすなはちこれ大悲心なり。この心作仏す。この心これ仏なり。これを「如実修行相応」と名づくるなり、知るべし。

正念」は念仏ですが、問題は「一心」の内容です。18願文の「信楽」にあたる「一心」の言い換えをたくさん出されていますが、図式にすると

信楽
=一心
=深心
=堅固深信
=真心
=金剛心
=無上心
=淳一相続心
=大慶喜心
=三信に順ず
=大菩提心
=真実信心
=願作仏心
=度衆生心
=衆生を摂取して、安楽浄土に生ぜしむる心
=畢竟平等心
=大悲心
=作仏す
=仏なり

となります。
詳しい説明はしませんが、「信楽」とは、最後にある仏のはたらきそのものになりますから、

信楽」の身に生まれ変わる
=「仏なり」の身に生まれ変わる

になりまして、「信楽」の身に生まれ変わるなどと軽々しくいうものではありません。我々の煩悩に汚れた心が、仏の心になるのではないことは、少し考えれば判ると思います。
信楽」を頂くことと、、「信楽」の心になることの違いは、ここでも明らかです。

こんな頓珍漢な高森会長の話を聞いても、キリスト教などの他宗教で言われるような体験なら得られるかもしれません。しかし、仏の心である「信楽」を頂いても「信楽」の身になれないという親鸞聖人と同じ体験をすることは不可なりです。

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