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2018年5月29日 (火)

親鸞聖人は、「白道」は他力だと教えられていることを、高森顕徹会長自身が認めた過去を無きものとするいつもの行き当たりばったり教義

親鸞聖人は、「白道」を他力の意味でしか仰っていないことは説明するまでもないことですが、前回出したものとは別の根拠も紹介しておきます。

『教行信証』信巻の

まことに知んぬ、二河の譬喩のなかに「白道四五寸」といふは、白道とは、白の言は黒に対するなり。白はすなはちこれ選択摂取の白業、往相回向の浄業なり。黒はすなはちこれ無明煩悩の黒業、二乗・人・天の雑善なり。道の言は路に対せるなり。道はすなはちこれ本願一実の直道、大般涅槃、無上の大道なり。路はすなはちこれ二乗・三乗、万善諸行の小路なり。四五寸といふは衆生の四大五陰に喩ふるなり。

(現代語訳)

いま、まことに知ることができた。善導大師の二河の喩えの中に「四、五寸ほどの白い道」といわれているが、「白い道」の「白」という言葉は「黒」に対するものである。「白」とはすなわち、阿弥陀仏が因位のときにあらゆる行の中から選び取られた清らかな行であり、浄土往生のために如来より回向された清らかな行であることをいう。「黒」とはすなわち、無明に汚れた行であり、また、声聞や縁覚、人間や神々の修める煩悩のまじった善であることをいう。「道」という言葉は「路」に対するものである。「道」とはすなわち、第十八願の唯一信心の道であり、この上ないさとりを開くすぐれた道である。「路」とはすなわち、二乗・三乗の法、さまざまな行を修めなければならない劣った路である。「四、五寸」とはすなわち、衆生の心身を構成している四大・五陰にたとえたのである。

白道」についてのみ抽出すると

白=選択摂取の白業、往相回向の浄業
道=本願一実の直道、大般涅槃、無上の大道

つまり、「白道」とは本願他力の道の意味しかないのです。

また『愚禿鈔』には

「念道」の言は、他力白道を念ぜよとなり。

となっていますので、どんな詭弁を弄しようとも、「白道」に自力の意味は全くないのです。

そのことを指摘し続けてきた結果、平成24年12月に行われた講師部講義(特専部も参加)で、とんでも珍釈が高森会長の口から語られました。その内容は、平成25年2月号の『顕真』に載っています。しかし、講義の内容を直接載せることなく、講師部員・特専部員の手紙でその内容を会員に推測させる、といういつもの秘事法門です。

最初に、講義の趣旨が書いてあります。

「白道」は自力か、他力か

 講師部・特専部への昨年12月のご講義で、高森先生は、本誌10月号の「ひと口問答」を詳しくご解説くださった。
「白道」を自力の心というのは間違いだ、と非難してくるのは、本願寺でもかなりの学者と見られる。それを、どう破られているのだろうか。

これだけでも読まれれば、退会者なら失笑するでしょう。「白道」を自力の心というのは間違いだ、と非難してくるのは、退会者です。退会者からの非難を、「本願寺でもかなりの学者と見られる」としたいのですから、思いもよらない指摘に高森会長が動揺し、高森会長のプライドが、「本願寺でもかなりの学者と見られる」と言わせたのでしょう。

ちなみに平成24年3月18日付けで、私が弘宣局長宛てに法論の申し込みをした内容にも、

「白道」を自力の心というのは間違いだ

ということを入れています。10項目の5番目

5.白道とは

親鸞聖人 自力の心にあらず
- - - - - - - - - - - - - -
高森会長 自力

を指していることは言うまでもありません。

もちろん私は一退会者で、「本願寺でもかなりの学者」ではありません。高森会長もそのことを十二分に知っています。

さて、その講義の内容を、講師部員・特専部員に語らせて、都合が悪くなれば、

ワシはそんなことを言っておらん

の逃げ道を作っている卑怯さも相変わらずです。
一応手紙の内容を抜粋します。

K特専部長

 善導大師が、二河白道の譬えで「自力」だと教えられた「白道」を、親鸞聖人は「他力」と読まれたことを教えて頂きました。
 また、高森先生は、「白道」とは「他力」ではないかという非難が来ることをとっくの昔に予測され、相手に打ち込ませるようにご説法なされていたことにも驚きました。

T講師部員

「二河白道の譬え」の「白道」は、自力か、他力か。それは、
「能生清浄願往生心」
  (善導大師・観無量寿経疏)
の「生」の1字で明らかとは、驚きました。
 善導大師は、前段では「生ず」と書かれて自力だと教えられ、それを親鸞聖人は、「生ぜしむ」と読み替えられ、他力だと明らかにされています。

Y講師部員

「能生清浄願往生心」の「生」を、「生ず」と読むか、「生ぜしむ」と読むかで、自力と他力が分かれると教えていただきました。本会を非難している者は、親鸞聖人の読まれ方で攻撃してきていることも分かりました。
 邪を破るには、まず、相手をよく知らねばなりません。

如何でしょうか。高森会長のうろたえぶりが見えるようです。

高森先生は、「白道」とは「他力」ではないかという非難が来ることをとっくの昔に予測され、相手に打ち込ませるようにご説法なされていた

親鸞聖人は、「生ぜしむ」と読み替えられ、他力だと明らかにされています

親鸞聖人の読まれ方で攻撃してきていることも分かりました

と必死になって、過去の間違いを誤魔化そうとしています。
つまり、

5.白道とは

親鸞聖人 自力の心にあらず
- - - - - - - - - - - - - -
高森会長 自力

を完全に認めてしまっているのです。

「白道」は聞法心を表している

なんて、また言いだしたとは、喜劇としては完璧なストーリーです。

なお、善導大師が「白道」を自力の意味で仰っている根拠が存在しないことは言うまでもありません。

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コメント

高森会長のいい加減さが滲み出ている例ですね。
「善導大師の教えられ方をしてきたんだ!」
では、親鸞聖人はどう教えられているのか話を一度でもしたことがあるのか?
アホらしくてアホらしくて笑いが止まらない。

投稿: 元SRK | 2018年5月29日 (火) 17時30分

親鸞聖人と高森会長の解釈が微妙に異なるので、このたとえの詳細は会長の著書に書かれていない。
なんて某講師が言ってた気がしますが、"微妙に"どころじゃないですね。会員を親鸞会どっぷりにさせたいけど批判が怖いから書かないのでしょうね。

投稿:   | 2018年5月30日 (水) 13時51分

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