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2018年5月30日 (水)

「親鸞聖人の読まれ方で攻撃してきている」に加え「善導大師の譬えられ方で攻撃してきている」と退会者を非難する高森教祖

最近、スパムコメントが一日に数十もついていました。嫌がらせのつもりなのでしょうが、対策は簡単ですし、私は特に気にしていませんので、無駄な苦労というものです。それを知ってか、突然スパムコメントが昨日夕方から無くなりました。

嫌がらせをするなら徹底的にするか、最初かしないのどちらかでしょう。中途半端過ぎて呆れます。親鸞会がやらせているのか会員が独断でしているかはしりませんが、いずれにしてもその程度の団体なのです。

さて、退会者を

親鸞聖人の読まれ方で攻撃してきている

と爆笑講義を以前にしてきた親鸞会の高森顕徹会長ですが、では善導大師の御心はどうであったのか、説明しておきます。

まず、善導大師は他力・自力という言葉を使われていませんので、直接的に、「白道」が他力か自力かについて仰っていません。善導大師の説明のされ方は、『往生礼讃』にあるように

この三心を具すれば、かならず生ずることを得。もし一心も少けぬれば、すなはち生ずることを得ず。

です。至誠心・深心・回向発願心の三つが揃えば必ず往生できるが、一つでも欠けると往生できない、ということです。

つまり
他力=至誠心・深心・回向発願心の三つが揃った信心
自力=至誠心・深心・回向発願心のどれかが欠けた信心

という説明のされ方です。

高森会長の話しか聞いたことがない人には、カルチャーショックを受けるほど、信心の説明が違うと思います。

簡単に説明すると、至誠心・深心・回向発願心には、他力の部分と自力の部分があって、それを混在して善導大師は説明されているのです。

要するに善導大師と親鸞聖人とは、信心の説明の仕方が違うのです。

それでは判りにくいので、親鸞聖人が至誠心・深心・回向発願心について、他力の部分と自力の部分とに分けられて説明されたのが、『教行信証』の信巻と化土巻です。

他力の至誠心・深心・回向発願心=信巻に引かれた善導大師のお言葉
自力の至誠心・深心・回向発願心=化土巻に引かれた善導大師のお言葉

こういうことです。
ここで、二河白道の譬えに戻りますと、二河白道の譬えは回向発願心の説明で使われた話で、これを親鸞聖人は信巻に引かれていて、化土巻には引かれていません。

結論は、

二河白道の譬えは、善導大師が他力の信心について説明された箇所だと親鸞聖人が顕かにされた

ということです。

いやいや、善導大師の本心と親鸞聖人の解釈は違うのではないか?

という親鸞聖人の教えられ方を否定する親鸞会会員のために、善導大師の譬え話の内容を見ると、
旅人は

・三定死の後に、初めて白道に乗っている
・西岸におられる方の喚び声を聞いた後に、初めて白道に乗っている
・白道を歩んでいる途中で、三定死になっていない
・白道を歩んでいる途中で、西岸におられる方の喚び声を再び聞いたとはなっていない

自力と他力の水際があるなら、どう判断しても、「白道」は他力にしかなりません。もし白道を歩んでいる途中で自力から他力に入ったとするなら、何一つ変化がない、それこそガラリと変わるどころかいつとはなしに他力になることを善導大師が教えられたことになります。

鈍い高森会長と会員のためにまとめますと、

1.善導大師は白道に乗る前と後とで自力と他力の水際を表現されている
2.善導大師は白道の途中で自力から他力にいつとはなしに何も変わらずに入ると表現された

どちらをとるかという単純な二者択一です。
どんなに鈍い頭をもってしても、1を選択するしかないのです。2だというなら今までの、ガラリと変わるという話は間違いであったと謝罪会見をしましょう。

それとも今度は

善導大師の譬えられ方で攻撃してきている

と私を非難しますか?

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コメント

"親鸞"会の名前を冠しているのに「親鸞聖人の読まれ方で攻撃してきている」って、自己否定なのかギャグなのかはたまた…開いた口が塞がりません。早く真宗の看板を下ろしてもらいたいものです

投稿: | 2018年5月31日 (木) 01時18分

名無しさん

>"親鸞"会の名前を冠しているのに「親鸞聖人の読まれ方で攻撃してきている」って、自己否定なのかギャグなのかはたまた…開いた口が塞がりません。早く真宗の看板を下ろしてもらいたいものです

自己否定ですね。私も高森さんには「早く真宗の看板を下ろしてもらいたい」と考えています。

「七高僧の書物を読んだ」という理由で「除名」になるところですよ?そんなの端から「親鸞の教え」と同じワケないじゃないですか。彼らからしたら「同じだったら本願寺と同じになってしまう!!」でしょうからね。

投稿: Abc | 2018年6月 3日 (日) 09時20分

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