真実あること無しの話をするしか能のない高森顕徹会長
本日の高森顕徹会長の話は、
「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もって空事・たわごと・真実あること無し」について
という質問に答える形でした。いつもいつも同じ話だという、退会者からの嘲笑に堪え切れずに、質問の内容を変えたのでしょう。
何度も言っていますが、高森会長は単純ですので、煽るとすぐに反応します。信念もなく忍耐もできない性格なのです。
さて、これは『歎異抄』の後序にある親鸞聖人が仰ったとされるお言葉の一節ですが、肝心要の後のお言葉が抜けています。
煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします
お判りの方もあるでしょうが、これは二種深信の内容と同じです。
二種深信とは、善導大師の『散善義』を『教行信証』信巻に引かれてある
一つには、決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。
二つには、決定して深く、かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑なく慮りなくかの願力に乗じて、さだめて往生を得と信ず。
で、親鸞会の会員でも知っている有名な御文です。
ところが言葉を換えられて、親鸞聖人はもう一つの表現を引かれています。
自身はこれ煩悩を具足せる凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知す。
いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下至十声聞等に及ぶまで、さだめて往生を得しむと信知して、一念に至るに及ぶまで疑心あることなし。
これは『教行信証』の行巻と信巻に2回も引かれていますので、親鸞聖人が極めて重要視されたお言葉と言えます。
比較のために『歎異抄』のお言葉と並べてみます。
まずは機の深信から。
煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなき
自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなし
自身はこれ煩悩を具足せる凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でず
同じ内容です。
高森会長は、汝自身を知れ・名利の二艘・蜘蛛の糸などの話をして、得意の絶頂であったようですが、それが実に薄っぺらい内容だということが、ここからも判ります。「煩悩具足の凡夫」が因で、「出離の縁あることなし」「三界に流転して火宅を出でず」が果になることが重要なのです。
これに法の深信の
ただ念仏のみぞまこと
かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑なく慮りなくかの願力に乗じて、さだめて往生を得
いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下至十声聞等に及ぶまで、さだめて往生を得しむ
が対句になるのです。「さだめて往生を得」という果の因は何になるのかは言うまでもなく、「ただ念仏のみ」「かの願力に乗じて」「名号を称すること下至十声聞等に及ぶまで」です。
以上を簡単に言うなら、
「煩悩具足の凡夫」だから「出離の縁あることなし」なので、「ただ念仏のみ」で「さだめて往生を得」
なのです。
ついでに言っておきますと、高森会長は一番の極悪人の私を救うのが弥陀の本願と言っていましたが、機の深信には「善根薄少にして」とあって、「善根有ること無し」となっていないのです。善導大師が悪人として定義されているのは、『玄義文』の
仏法・世俗の二種の善根あることなし。 ただ悪を作ることを知るのみ。
ですから、一番の極悪人などと善導大師は知らされたのでもないし、それを引かれている親鸞聖人も一番の極悪人だとは思われていなかったでしょう。
薄っぺらい内容に加えて、実際とは異なる自己の機を無理やり知らされる必要があるというヘンテコ理論を聞いて、会員は何一つ得るもののない無駄な一日を過ごしただけです。
会員は、金と時間と体力を消耗して、「みなもつてそらごとたはごと、まことあることなし」の高森会長の話をいつまで聞こうというのでしょうか。
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