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2018年3月

2018年3月17日 (土)

退会者からの非難に怯え、更なる退会者続出にも指を咥えて見ているだけの親鸞会

予想されたことですが、最近は退会者が続出しているそうで、大変良い傾向です。朝令暮改ならぬ朝令朝改で、ころころ方針も教義も変わり、今が辞め時と思う会員が増えるのも当然なことです。

ちなみに、当ブログを含む親鸞会批判ブログを読んでいる会員は、結構いるようです。批判サイトやブログを見るな、と言うだけで何一つ反論しないのですから、会員に疑念を起こさせる方針だということに気が付かないところが、独裁者らしい思考です。

さて今から6年前、こんなエントリーを書きました。

書面で法論を申し込んだら、”検討する”だそうです

その後、連絡もなく、内輪でのみ反論したように偽装しただけです。

昨日、ある集まりに、弘宣局長とK講師、他2名の講師部員が乗り込んできて、親鸞会の邪義を喚き散らしていったそうです。その際に、私が弘宣局に書面で正式に法論を申し込めば、検討する、と弘宣局長は言っていたそうです。

そこで本日、法論申し込みの書面を書留で送付しました。それに加えて以下のメールも送っておきました。

W 様


御無沙汰しております、○○です。
昨日の件は、聞いております。法論の申し込みを書面でせよ、とのことですので、本日申し込みの書面を書留で送りました。
内容は以下の通りです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
              法論の申し込み
                            平成24年3月18日
弘宣局長 W 様

御無沙汰しております、○○です。

昨年、K講師を通して、法論を申し込みましたが無視されました。
しかしその件で、「弘宣局に直接法論を申し込むように」と貴方が言われたそうですので、ここに書面をもって法論を正式に申し込みます。

法論の条件は、

1.法論の土俵はお聖教であり、お聖教にない文底秘沈のような主張はしない
2.文章でやりとりをする
3.法論の場は、以下とする
  mixi内の信仰と対話コミュニティ*「三願転入」議論継続トピック*
  
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=53217382&comm_id=2135313
4.相手の質問に対して質問で返さず、相手の質問に答えてから新たな質問をする

以上の4点です。

かつて親鸞会は公約していた筈です。

「親鸞会は公約しています。親鸞会の主張に対して異議、反論のある方は遠慮なく申し出てください。相手が集団であれ、個人であれ、公開であれ、非公開であれ、討論であれ、文書討論であれ、相手の希望される方法で、時と場所を問わず、本当の親鸞聖人のみ教えを開顕するために、喜んで対決に応じます。」

これが口先だけであったとは、言わせません。

私の主張は、「親鸞会教義の誤り」「飛雲」「親鸞会の邪義を正す」等のブログで書かれている通りです。一読された上で、法論に臨んで頂きたいと思います。
親鸞聖人の仰せと高森顕徹会長の主張との相違点を以下に列記しておきます。

1.獲信していない人の死後はどうなるか

親鸞聖人 六道輪廻(19願・20願の同行は化土往生)
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高森会長 必堕無間

2.五逆罪・謗法罪について

親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる
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高森会長 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている

3.善人と悪人について

親鸞聖人 善人と悪人とがいる
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高森会長 善人はいない、すべての人は悪人である

4.獲信のために善は必要か

親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要
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高森会長 善をしなければ絶対に獲信できない

5.白道とは

親鸞聖人 自力の心にあらず
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高森会長 自力

6.定散二善について

親鸞聖人 定散二善を捨てよ
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高森会長 定散二善をせよ

7.19願について

親鸞聖人 19願を捨てよ
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高森会長 19願を実践せよ

8.宿善について

親鸞聖人 過去世の善根の厚薄と、往生・獲信とは関係ない
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高森会長 過去世の善根の薄い者が、そのままで往生・獲信することはありえない

9.機の深信について

親鸞聖人 自力では出離できない
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高森会長 逆謗の屍と必ず知らされる

10.善知識に無条件服従しなければならないか

親鸞聖人 法に従うのであって、人に従うのではない
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高森会長 善知識に無条件服従せよ

なお、法論に応じられても応じられなくても、返事を頂いても頂かなくても、すべて公開しますので、御了承ください。
                                           ○○○○
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

mixiでの三願転入の法論は、親鸞会の逃亡とトピック削除で幕を閉じましたが、とりあえずその続きをしたいと考えております。

なお、上に挙げたブログをすべて読まれるのは大変でしょうから、最低限、添付ファイルのところだけでも読んでおいて頂けませんでしょうか。

目的は親鸞聖人のみ教えを開顕するためですので、よいお返事をお待ちしております。

○○○○

法論の実現も、返事も期待しておりませんが、万が一法論が実現すれば、また退会者が増える縁になるでしょうから、喜ばしいことです。

親鸞会は、私を相手にしていないのではありません、相手にして酷い目に遭った経験があるから、怯えて逃げに逃げ回っているのです。

後日、上記の項目に追加して、その解説もしてありますので、以下を会員は是非とも読んで、高森顕徹会長の嘘を知って退会しましょう。

浄土真宗親鸞会は、親鸞聖人のみ教えと同じか?

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2018年3月11日 (日)

真実あること無しの話をするしか能のない高森顕徹会長

本日の高森顕徹会長の話は、

「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もって空事・たわごと・真実あること無し」について

という質問に答える形でした。いつもいつも同じ話だという、退会者からの嘲笑に堪え切れずに、質問の内容を変えたのでしょう。
何度も言っていますが、高森会長は単純ですので、煽るとすぐに反応します。信念もなく忍耐もできない性格なのです。

さて、これは『歎異抄』の後序にある親鸞聖人が仰ったとされるお言葉の一節ですが、肝心要の後のお言葉が抜けています。

煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします

お判りの方もあるでしょうが、これは二種深信の内容と同じです。
二種深信とは、善導大師の『散善義』を『教行信証』信巻に引かれてある

一つには、決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。
二つには、決定して深く、かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑なく慮りなくかの願力に乗じて、さだめて往生を得と信ず。

で、親鸞会の会員でも知っている有名な御文です。
ところが言葉を換えられて、親鸞聖人はもう一つの表現を引かれています。

自身はこれ煩悩を具足せる凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知す。
いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下至十声聞等に及ぶまで、さだめて往生を得しむと信知して、一念に至るに及ぶまで疑心あることなし。

これは『教行信証』の行巻と信巻に2回も引かれていますので、親鸞聖人が極めて重要視されたお言葉と言えます。
比較のために『歎異抄』のお言葉と並べてみます。

まずは機の深信から。

煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなき

自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなし

自身はこれ煩悩を具足せる凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でず

同じ内容です。

高森会長は、汝自身を知れ・名利の二艘・蜘蛛の糸などの話をして、得意の絶頂であったようですが、それが実に薄っぺらい内容だということが、ここからも判ります。「煩悩具足の凡夫」が因で、「出離の縁あることなし」「三界に流転して火宅を出でず」が果になることが重要なのです。

これに法の深信の

ただ念仏のみぞまこと

かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑なく慮りなくかの願力に乗じて、さだめて往生を得

いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下至十声聞等に及ぶまで、さだめて往生を得しむ

が対句になるのです。「さだめて往生を得」という果の因は何になるのかは言うまでもなく、「ただ念仏のみ」「かの願力に乗じて」「名号を称すること下至十声聞等に及ぶまで」です。

以上を簡単に言うなら、

煩悩具足の凡夫」だから「出離の縁あることなし」なので、「ただ念仏のみ」で「さだめて往生を得

なのです。

ついでに言っておきますと、高森会長は一番の極悪人の私を救うのが弥陀の本願と言っていましたが、機の深信には「善根薄少にして」とあって、「善根有ること無し」となっていないのです。善導大師が悪人として定義されているのは、『玄義文』の

仏法・世俗の二種の善根あることなし。 ただ悪を作ることを知るのみ。

ですから、一番の極悪人などと善導大師は知らされたのでもないし、それを引かれている親鸞聖人も一番の極悪人だとは思われていなかったでしょう。

薄っぺらい内容に加えて、実際とは異なる自己の機を無理やり知らされる必要があるというヘンテコ理論を聞いて、会員は何一つ得るもののない無駄な一日を過ごしただけです。

会員は、金と時間と体力を消耗して、「みなもつてそらごとたはごと、まことあることなし」の高森会長の話をいつまで聞こうというのでしょうか。

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