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2018年1月 2日 (火)

自力の聞しか知らない高森顕徹会長と会員の関係は、善鸞と善鸞の言うことを信じて親鸞聖人の元に行く気のない同行

年頭所感もそうですが、昨年後半から高森顕徹会長の話の結論は、「とにかく命がけでワシの話を聞け」です。これなら批判も少ないと思ってのことでしょうが、本当に間が抜け過ぎています。

高森会長が命がけで聞けと言っている根拠として挙げているのが『歎異抄』第2条や『浄土和讃』の

たとひ大千世界に
 みてらん火をもすぎゆきて
 仏の御名をきくひとは
 ながく不退にかなふなり

などですが、異安心で聖教を読んだことのない高森会長に、親鸞聖人がどのような御心でこれを仰ったのか判る筈もないでしょう。
間違いを指摘しないと、良い気になっていつまでも言い続けますので、正しい意味を教えて差し上げます。

この和讃の元になった根拠が、『教行信証』行巻にいくつか引かれています。

まずは『平等覚経』から

かくのごときの人、仏の名を聞きて、快く安穏にして大利を得ん。
われらが類この徳を得ん。もろもろのこの刹に好きところを獲ん。
無量覚その決を授けん。
《われ前世に本願あり。一切の人、法を説くを聞かば、みなことごとくわが国に来生せん。
わが願ずるところみな具足せん。もろもろの国より来生せんもの、
みなことごとくこの間に来到して、一生に不退転を得ん》と。
すみやかに疾く超えて、すなはち安楽国の世界に到るべし。
(中略)
たとひ世界に満てらん火にも、このなかを過ぎて法を聞くことを得ば、
かならずまさに世尊となりて、まさに一切生老死を度せんとすべし〉

(現代語訳)

釈尊は、<このような人々は、仏の名号を聞いて心楽しく安らかに大きな利益を得るであろう。わたしたちもこの功徳をいただいて、それぞれこのようなよい国を得よう。無量清浄仏は衆生の成仏を予言して、≪わたしは前世に本願をたてた。どのような人も、わたしの法を聞けば、ことごとくわたしの国に生れるであろう。わたしの願うところはみな満たされるであろう。多くの国々から生れてくるものは、みなことごとくこの国に至ることができるのである。すなわち、来世をまたずに不退転の位を得るのである≫とお述べになった。阿弥陀仏の安楽国に、速やかに往くことができる。
(中略)
たとえ世界中に火が満ちみちていても、その中を通り過ぎて法を聞くことができるなら、必ず仏となって、すべての迷いを超えるであろう>と仰せになった

次に『安楽集』に引用されている曇鸞大師の『讃阿弥陀仏偈』から

もし阿弥陀の徳号を聞きて歓喜讃仰し、心帰依すれば、下一念に至るまで大利を得。すなはち功徳の宝を具足すとす。たとひ大千世界に満てらん火をも、またただちに過ぎて仏の名を聞くべし。阿弥陀を聞かばまた退せず。このゆゑに心を至して稽首し礼したてまつる

(現代語訳)

もし阿弥陀仏の功徳の名号を聞き、喜びたたえて信じれば、わずか一声念仏するだけで大きな利益を得て、功徳の宝を身にそなえることができる。たとえ三千大千世界に火が満ちみちていても、その中をひるまずに進んでいき阿弥陀仏の名号を聞くがよい。仏の名号を聞けば、不退転の位に至る。だから心をこめて礼拝したてまつる

更には『往生礼讃』より

弥陀の智願海は、深広にして涯底なし。名を聞きて往生せんと欲へば、みなことごとくかの国に到る。たとひ大千に満てらん火にも、ただちに過ぎて仏の名を聞け。名を聞きて歓喜し讃ずれば、みなまさにかしこに生ずることを得べし。

(現代語訳)

阿弥陀仏の智慧の誓願は、海のようであり、限りなく深く果てしなく広い。名号を聞いて往生を欣えば、みなことごとく阿弥陀仏の国に至る。たとえ三千大千世界に火が満ちみちていても、その中をひるまずに進んでいき、仏の名号を聞け。名号を聞いて喜びたたえるなら、みな間違いなくその国に往生することができる。

とあります。
古文も現代文も読みこなす力のない高森会長と愉快な仲間達には上記の御言葉を理解することは無理でしょうから、簡単な説明だけすると、親鸞聖人はこれらを行巻に引かれていて、化土巻には引かれていないということがポイントです。行巻は真実の行、化土巻は方便の行と信について書かれてあることは高森会長でも知っている基礎の基礎です。

つまり、「たとひ大千世界にみてらん火をもすぎゆきて」聞くことは、真実の行なのです。言い換えると他力の行です。

要するに、自力で命がけで聞けと親鸞聖人が仰ったのではないということです。

それと関東の同行が命がけで親鸞聖人の元まで来たのは、教え自体に対する疑問が出てきたからです。念仏では救われないのでは、念仏以外の行をしなければならないのでは、という根本的な疑問を解消するために京都まで来たのであって、親鸞聖人の御説法を聞きに命がけで来たのではないのです。

親鸞会の会員に置き換えるなら、高森会長と本願寺や退会者とは言っていることが全く違うのだから、それを確かめようと親鸞聖人の元に来る=親鸞聖人の御著書を読むことになる筈です。ところがそれをしていないのは、善鸞や他宗の僧侶の言うことを真に受けて確かめようとしないのと同じです。
親鸞聖人の仰ったことと違っていても良い、善鸞の言うことを信じます、と言っているのが現在の親鸞会会員の心です。

そんな会員に、関東の同行の心など、到底理解できないでしょう。土蔵秘事に類する高森会で搾取されながら満足するしかない会員は哀れと言うより言いようがありません。

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コメント

明けましておめでとうございます。
新年早々、切れ味鋭い内容で楽しく読ませていただきました。
今年もブログ更新を楽しみにしております。

投稿: YGM | 2018年1月 5日 (金) 11時27分

明けましておめでとうございます。面白かったです。今の親鸞会は親鸞会というより善鸞会ですね。梯實圓和上から教えて頂いた「逆廻心」という御言葉を思い出しました。現親鸞会員の方には梯實圓和上の御著書を読んで頂きたいと切に思いました。

投稿: 同行 | 2018年1月 5日 (金) 23時03分

YGM様
同行様

明けましておめでとうございます。
高森会長が根拠を出して説明すると大抵間違っています。根拠出さなくても間違いですが。

投稿: 飛雲 | 2018年1月 6日 (土) 08時05分

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