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2017年11月 3日 (金)

阿弥陀仏の約束を疑わないように諸行に励む異安心集団親鸞会

先日の高森顕徹会長の講義では、自力の信心と他力の信心との違いについての話がありました。異安心の高森会長に、自力の信心・他力の信心の説明が正しくできる筈もありません。
高森会長の説明は、

自力の信心とは、阿弥陀仏の約束を疑わないようにしている信心。
他力の信心とは、阿弥陀仏から頂いた信心で、まことの心になる。

でした。
他力の信心を、聖道門のさとりのように勘違いしているところから生じる、あるいは土蔵秘事の一念覚知と混同しているところから生じる、異安心の典型的な理解です。

まず、自力の信心とは、阿弥陀仏の18願を疑わないようにしているのではなく、18願を疑っている信心です。阿弥陀仏の18願とは、前回も言いましたように、因果の道理に相反する救いであり、衆生の側には救いの因は全くなく、当然、何かをしなければならないということは皆無でありますから、救われるために私たちが何かをしようと思っていること自体が、阿弥陀仏18願を疑っているのです。

『教行信証』信巻の

しかれば、もしは行、もしは信、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまふところにあらざることあることなし。因なくして他の因のあるにはあらざるなりと、知るべし。

(現代語訳)

このようなわけであるから、往生の行も信も、すべて阿弥陀仏の清らかな願心より与えてくださったものである。如来より与えられた行信が往生成仏の因であって、それ以外に因があるのではない。よく知るがよい

にある通りです。

仮に疑わないようにしているなら、何もしない筈です。しかし、親鸞会の会員を見れば判りますが、疑わないようにしようと思いながら聞くという行や善に励んでいます。その思い、その行為が疑いそのものでありますから、高森会長の説明は全く意味不明です。

よって、他力の信心とは、阿弥陀仏が全てを用意されているので私が何かをする必要がない、阿弥陀仏に全部おまかせします、という信心です。私の心が真実の心になる訳ではありません。阿弥陀仏にそのままおまかせをしたことを、蓮如上人は「まことの心」と表現されているのであって、私たちの心が「まことの心」にはなりません。

自力の信心と他力の信心の違いを最も端的に顕わされているのが、高森会長の好きな、いや好きだった二河白道の譬えです。

御文を紹介すると長いので、今回は省略しますが、旅人が阿弥陀仏の喚び声を聞く前から聞いた後に何が変わったのかと言えば、白道に乗ったことだけです。幅四、五寸の白道は広くも短くもなっていません。水の河と火の河の波が白道を潤し焼いているのも変わりません。群賊悪獣悪知識も存在したままです。白道に乗って進む以外には、何一つ周りの状況は変わっていません。

つまりは、阿弥陀仏の喚び声に従うか従わないか、疑うか信じるかの違いだけです。

自力の信心と他力の信心の違いは、救われるために自分で何かをしなければならないと思うか思わないかの違いと言えます。

救われたなら善は必要ないが、救われるまでには善をしていかなければ信仰は進まない

とか寝惚けた妄言を信じ続けている限り、他力の信心を頂くことはありません。

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異安心」カテゴリの記事

コメント

飛雲様
いつもご教授ありがとうございます。

今回も高森会長の異安心が明らかにされた記事であると読ませていただきました。

私が親鸞会会員のときは、
1「とにかく無二の善知識、高森先生のご説法をど真剣に重ねて聞く」
2「そしてそのご教導(聴聞、財施、勧誘、教学など)に一生懸命取り組む」
3「そうして行けば、いつかは宿善熟し信心決定できるだろう」
と固く信じ込んでいました。

おバカな信心でした。

「まず真剣に聞くことが信心決定への道」自体が自力の信心であり、阿弥陀仏の本願を計らっている心であったと今は知らされます。

「親鸞におきては、 ただ念仏して、 弥陀にたすけられまゐらすべしと、 よきひと (法然) の仰せをかぶりて、 信ずるほかに別の子細なきなり」(歎異抄)

「ただ念仏して」の心が高森会長は解らない異安心なんですよね。

親鸞会会員さん、よくよく飛雲さんのブログを読み込みなされ!!

なんまんだぶ なまんだぶつ

投稿: どら焼き | 2017年11月12日 (日) 01時52分

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