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2017年11月26日 (日)

親鸞聖人の仰ったことを、「そんなことは口が腐っても言ってはならない」と完全否定する高森顕徹会長

本日の高森顕徹会長の話には、またまた、あっと驚くタメゴロー発言がありました。

阿弥陀仏の本願を信じなさいとはどこにも教えられていないし、そんなことを口が腐っても言ってはならない。

これを聞いた会員は平常心でいられるのだろうかと思います。

判らない高森会長と取り巻きのために、教えてあげます。

直接的な聖教上のお言葉として、『正像末和讃』の

弥陀の本願信ずべし
 本願信ずるひとはみな
 摂取不捨の利益にて
 無上覚をばさとるなり

には、阿弥陀仏の本願を信じなさい、と親鸞聖人が仰っておられますが、そんなことも知らないのかという話です。『正像末和讃』は読んだことなくても、『御文章』を読んだことのある会員は多いと思います。5帖目6通の

このこころをまた『和讃』にいはく、「弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな 摂取不捨の利益ゆゑ 等正覚にいたるなり」といへり。

は一部の会員でも知っているでしょう。

もっというなら、『正信偈』の

五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。

道俗時衆ともに同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

如来如実の言」「この高僧の説」とは、阿弥陀仏の本願以外にないでしょう。

五濁悪時の群生海」は阿弥陀仏の本願を信じなさい。
道俗時衆ともに同心に」阿弥陀仏の本願を信じなさい。

と親鸞聖人が一字一涙の思いで書き残されているのではないのですかね。それとも、「如来如実の言」「この高僧の説」とは、阿弥陀仏の本願ではないと言いたいのか、いずれにしても、無知を通り越して、会員さえも、あっと驚くタメゴロー状態ではないかと想像しています。

苦し紛れの反論として、

信じるのは自力だから

とか言うかもしれませんが、自力の聴聞を勧めているのに、自力で信じることは口が腐っても言ってはならないとは、どの口が言うのでしょう。

理解力の欠落した高森会長と講師と会員のために補足しておきますと、

阿弥陀仏を信じる気のない、言い換えると外道や聖道門を信じている人に、
阿弥陀仏の本願を信じなさい
と勧められていることは説明するまでもないですし、
阿弥陀仏の本願を信じて聞いている人にも、
阿弥陀仏の本願を信じなさい(他力の信心を頂きなさい)
と勧められているのが親鸞聖人です。

『末灯鈔』には

弥陀の本願と申すは、名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたきことにて候ふなり。

と親鸞聖人は教えられていますが、これを簡単に言うと

阿弥陀仏の本願(名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたる)を深く信じて念仏を称えなさい

です。

異教の教祖である高森会長の言うことを信じなさい、と私は口が腐っても言いませんので、会員は、一刻も早く、高森会長を見限って親鸞会を離れることを強くお勧めします。

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コメント

こんばんわ、Abcです。

>本日の高森顕徹会長の話には、またまた、あっと驚くタメゴロー発言がありました。

>阿弥陀仏の本願を信じなさいとはどこにも教えられていないし、そんなことを口が腐っても言ってはならない。

まったく、高森さんは「お笑い高森」の異号が良く似合いますね。
なんなら、それを通して「高森教」に名前を変えてください。間違えても「親鸞」とか「真宗」とか言わないでください。

この発言には「誰が」の部分が欠落していますが、

『高森顕徹が』阿弥陀仏の本願を信じなさいとはどこにも教えられていないし、そんなことを口が腐っても言ってはならない。

ということであり、まかり間違っても『親鸞が』とは言わないでいただきたいです。

懇ろにご説明されている、『正信偈』のなか、
「帰命無量寿如来」 (13願・18願意)
「南無不可思議光」 (12願・18願意)

は、ともに「阿弥陀仏の本願を信じ、お任せします」と言う意味であり、

飛雲さんが挙げられた『末灯抄』
弥陀の本願と申すは、名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたきことにて候ふなり。

とあるとおり、「弥陀如来をふかく信じてとなふる」、つまり
   「信じる」という「正信」 と 「となふる」という「念仏」 であると親鸞はこの『末灯抄』にていわれているのです。

余談にはなりますが、同じく『正信偈』内
「往還回向由他力」 (22願・18願意) →詳しくは「如来二種回向文」に記されています。
の書き下し文は、「往相(六道より報土へ往く)・還相(報土より六道へ還る)回向(行い) ともに『他力』に由る」であり
これらも「弥陀の本願」の範疇に含まれます。

高森さんはよくそれで何回も「高森は弥陀に救われたぞー、助けられたぞー」と言っていたのかとつくづく悲しくなります。

なもあみだ、なもあみだ

Abc 

投稿: Abc | 2017年11月26日 (日) 21時34分

一部だけ抜き出すのは、適切でないでしょう。
もう少し詳しく見ないといけないのではないでしょうか。

投稿: 立ち寄り人 | 2017年11月27日 (月) 07時35分

立ち寄り人様

本願を信じなさいは口が腐っても言ってはならない、は如何なる文脈であっても肯定することは許されません。
もし、反論があるなら釈明すれば良いですよ。

投稿: 飛雲 | 2017年11月27日 (月) 07時43分

立ち寄り人様

高森顕徹会長がどういう話の流れで例のタメゴロー発言をしたかについて書きました。

http://shingikensho.blog12.fc2.com/blog-entry-1072.html

参照して下さい。

投稿: 淳心房 | 2017年11月27日 (月) 12時47分

もうムチャクチャ…こんな話を有り難がって聞いていた昔の自分が情けない

投稿: | 2017年11月27日 (月) 22時21分

大分すっきりしました。有難うございました。

「聞」で停止しているのが、親鸞会です。
「聞即信」が真宗だと理解していますが、それを「聞」て集客しているのが実情でしょう。
真宗を教えずに、仏教学が、聖道門が肌に合っているようです。

加えて、努力と希望の好きな人向きの教えです。

それにしても目先を変え目標を分散させ、先導する、軍隊式に組織を統括する姿は、
あっぱれの一語と思います。

しかし世代交代もできず、どこに向かうのでしょうか。
これが最大の関心事です。
なんまんだぶ ありがたい

投稿: 立ち寄り人 | 2017年11月28日 (火) 08時18分

高森という人間性の下劣さは、自分はたらふく最高級のA5和牛肉を食いながら、子飼いの講師には「集金できん奴は茶漬け食っとけ」と言える非道さをもつ資(たち)に極まる。
そんな者だから、親鸞会の行く末など微塵も心配などしていない。自分の命がある間だけ繁盛してくれればそれでいいのだ。だがその本音を知られては子分も会員も銀行も付いてこないから、先のことを考えている「フリ」だけは怠らぬ狡猾さを持っているに過ぎない。
浄土真宗を名乗り、その集いの頂点に君臨して名利を恣にする悪鬼の寿命もあと幾ばくか。騙されたまま最後まで付き合わされる者達は哀れではあるけれど、それも業縁ならば仕方なし。
悪縁の尽きるを待つばかりです。

投稿: | 2017年11月29日 (水) 20時50分

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