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2017年9月 3日 (日)

「どうすれば救われるのか」真宗と高森教との決定的な違い4

いつもいつも間違った同じ話を聞かされて、親鸞会の会員は難行を強いられています。

では前回の続きで念仏の一行をすすめられた七高僧方が、具体的にどう教えられたのかを龍樹菩薩から順に見ていきます。

『正信偈』の

難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ

を蓮如上人は『正信偈大意』で

かの龍樹の『十住毘婆沙論』に、念仏をほめたまふに二種の道をたてたまふ。一つには難行道、二つには易行道なり。その難行道の修しがたきことをたとふるに、陸地のみちを歩ぶがごとしといへり、易行道の修しやすきことをたとふるに、水のうへを船に乗りてゆくがごとしといへり。

と解説されています。
龍樹菩薩は、「難行道」という諸善と「易行道」という念仏を対比されて、「易行道」の念仏を褒め称えておられると仰ったのです。「修しやすき」ですから、行です。「念仏をほめたまふ」であって、「本願をほめたまふ」「信心をほめたまふ」と仰っていないところが重要です。

天親菩薩のところでは

修多羅によりて真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。

を蓮如上人は

この菩薩、大乗経によりて真実を顕す、その真実といふは念仏なり。横超の大誓願をひらきて

と解説されています。

真実といふは念仏なり」であって、「真実といふは本願なり」「真実といふは信心なり」とは仰っていません。この後の「横超の大誓願」と「念仏」は区別されています。

次に曇鸞大師のところでは

三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を梵焼して楽邦に帰したまひき

という曇鸞大師がどのようにして救われられたのかを蓮如上人は詳しく

かの曇鸞大師、はじめは四論宗にておはせしが、仏法のそこをならひきはめたりといふとも、いのちみじかくは、ひとをたすくることいくばくならんとて、陶隠居といふひとにあうて、まづ長生不死の法をならひぬ。すでに三年のあひだ仙人のところにしてならひえてかへりたまふ。そのみちにて菩提流支と申す三蔵にゆきあひてのたまはく、「仏法のなかに長生不死の法は、この土の仙経にすぐれたる法やある」と問ひたまへば、三蔵、地につばきを吐きていはく、「この方にはいづくのところにか長生不死の法あらん、たとひ長年を得てしばらく死せずといふとも、つひに三有に輪廻すべし」といひて、すなはち浄土の『観無量寿経』を授けていはく、「これこそまことの長生不死の法なり、これによりて念仏すれば、はやく生死をのがれて、はかりなきいのちを得べし」とのたまへば、曇鸞これをうけとりて、仙経十巻をたちまちに焼きすてて、一向に浄土に帰したまひけり。

と解説なされています。
曇鸞大師が菩提流支から言われたことは、「これによりて念仏すれば、はやく生死をのがれて、はかりなきいのちを得べし」です。信前の曇鸞大師に勧められたのは、「念仏すれば」です。
これを簡単に言うと、

Q.どうすれば救われますか?

A.念仏すれば

こういうことになります。
善の勧めもなく、いきなりの念仏の勧めです。

龍樹菩薩・天親菩薩・曇鸞大師の教えられたことは、念仏です。もちろん、信心の伴った念仏であることは言うまでもありません。

高森顕徹会長は『なぜ生きる2』でこう書いています。

無仏無法の人でさえ悪を慎み善に励んでいるのに、尊い仏縁に恵まれながら”善根を積む必要がない、念仏さえ称えていれば良いのだ”と、平気で悪性を発揮しているから真宗が廃れるのは当然である。

七高僧、親鸞聖人、蓮如上人と正反対のことを言っていることを、思考停止の会員は知らないと、死後は大変なことになりますよ。今も、搾取されて大変なことになっているでしょうけど。

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コメント

親鸞会では、念仏を貶めているので外道です。
さよならでは、
「念仏でも唱えて待ってろよ、すぐに死神が迎えに行くからな」
と念仏を誹謗する創価学会擬きの輩まで現れています。
親鸞会も終わりですね。

投稿: | 2017年9月 4日 (月) 07時24分

念仏成仏これ真宗とか、ごくごく稀に部会で出てきましたね。念仏を貶めてなんかいない、俺達もこの御文くらい知ってるんだ!と言いたかったのでしょうが、勿論詳しい説明はされず。。いや、出来ずが正しいんでしょう。
念仏を本願とか信心に強引に読み替えて解釈するのが親鸞会の常識でした。

投稿: | 2017年9月 4日 (月) 20時07分

なかなかいいコメントが多いが、
今現在会員の方乃至ごく少し前まで会員だった人の、地に足ついたコメントがどの程度あるのだろう。


血の匂うコメント欲しいものだ。

なんまんだぶ なんまんだぶ ありがたい

投稿: | 2017年9月 5日 (火) 07時31分

信一念で念仏一行になると思っているのが親鸞会の会員ね。
信前に念仏一行になることさえ気が付かないで、20願でも雑行が廃っていないとかいう基地の害で創価学会念仏を唱えていた塩尻在住の会員もいましたよね。

三願転入も知らないし、雑行の意味も知らない、もちろん真宗の念仏を称えてもいないのが会員だよ。

投稿: | 2017年9月 5日 (火) 13時22分

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