「どうすれば救われるのか」真宗と高森教との決定的な違い3
最近の高森顕徹会長の話は、ほとんど同じ話、同じ内容のために、会員も飽き飽きしてきて、イライラが募っているようです。
さて、高森会長と愉快な仲間たちには、真実の信心がどういったものか判らずに、
信心一つで救われる、聞く一つで救われる
と言っているだけですので、肝心要のない話をいくら聞いても、”求道”上は題目を唱えているのと同じ効果でしょう。
何度も言っていますが、信心とは二種深信でも、あるいは『末灯鈔』の
弥陀の本願と申すは、名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたきことにて候ふなり。
でも教えられている通りで、念仏称えて極楽に往生できると疑いなく信じたことです。
したがって、他力の信心、真実の信心とは、念仏の信心のことです。念仏を行と信心に分けて、信心の部分を他力の信心、真実の信心と親鸞聖人が仰っているだけなのです。
親鸞聖人も蓮如上人も、念仏の行よりも念仏の信心を強調されただけで、念仏の行を疎かにされることなど少し考えたらあり得ないと判りそうなものですが判らないのでしょう。18願は念仏往生の願と親鸞聖人も蓮如上人も仰っているのですから、念仏の抜けた念仏往生の願とは何ぞやという話です。
親鸞聖人の直接の師匠である法然上人も、そしてその前の高僧方も、念仏だけを勧められて、その教えの通りに親鸞聖人は救われられていますので、親鸞聖人が念仏の行を軽視したり、疎かにしたり、はたまた自力の念仏を貶めることはあろう筈がありません。
ところが高森会長もその信者の愉快な仲間達も、自力の念仏を嫌って、貶め、謗っているのですから、その信心が念仏の信心でないことは明々白々で、彼らの言う信心は、念仏と無関係な外道の信心と言わざるとえません。自力の念仏を称えていても無間地獄だと言って、念仏無間の創価学会のまねをしている信心が、真宗とは何の関係もありません。
ここまで言っても理解も信用もしないでしょうから、親鸞聖人の教えを凝縮された『正信偈』とそれを解説なされた蓮如上人の『正信偈大意』を通して今後説明していきます。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす
ここを蓮如上人は
この三国の祖師等、念仏の一行をすすめ、ことに釈尊出世の本懐は、ただ弥陀の本願をあまねく説きあらはして、末世の凡夫の機に応じたることをあかしましますといへるこころなり。
と教えられています。
七高僧方は「念仏の一行をすすめ」です。日本語の問題ですが、「念仏をすすめ」と「念仏の一行をすすめ」では意味が違います。
「念仏をすすめ」は、念仏を勧められていても、他の行も勧められている可能性はあることになりますが、「念仏の一行をすすめ」は、他の行を勧められていないので、「一行」なのです。勧められる行は念仏のみ、これが歴代の善知識方の共通した教えです。
当然のことで言うまでもないことですが、思考停止の会員のために敢えて言っておきますと、信前の人に対して「念仏の一行をすすめ」です。
要するに、行としては念仏以外には勧められていないのが七高僧であり、親鸞聖人も蓮如上人もそれに倣われているのです。蓮如上人は、往生の業である念仏が信後には報謝の念仏になると言われているのを、信前の念仏を排除されたのだと勘違いして、信前に念仏を勧めるのは間違いだという創価学会並みの教義を振りまわすのが親鸞会です。
なお、親鸞聖人の教えに善の勧めがあるのかないのか、という超愚問を投げかけた高森某という人物がいましたが、七高僧方が「念仏の一行をすすめ」られていますので、親鸞聖人も当然「念仏の一行をすすめ」であり、善の勧めなどある筈もない超恥さらしであったことも付け加えておきます。
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コメント
さよならの基地害火星人のコメントを思い出しました。
塩尻在住の念仏誹謗基地の害火星人が認めた最終結論
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親鸞聖人の教え
18願の念仏-不可称不可説不可思議の大功徳
20願の念仏-多善根多功徳多福徳因縁
現世利益の念仏-七難消滅の功徳
火星教
18願の念仏-多善根多功徳多福徳因縁
20願の念仏-極小功徳。死神が迎えに行くからな
現世利益の念仏-無功徳。死神が迎えに行くからな
全く違うじゃねーかよ。
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こんな念仏では、創価学会が唱える念仏と同程度。
信心も創価学会の絶対的幸福。
投稿: | 2017年9月 1日 (金) 02時02分
20願の念仏さえも、全く知らない基地の害創価学会土蔵秘事信者火星人
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>念仏を唱えたら悪い事にはならないだろうと信じて唱える念仏=現世利益の念仏
20願の念仏=多善根多功徳多福徳因縁の念仏=唱えた念仏を往生のあて力にしようとする念仏。
>20願を捨てた時が雑行を捨てた時
これならばいいですね。
これで良いと思っている時点で、自力の信心。
創価学会の信心だった。
20願を通ったのなら必ずわかることですが、こんなことを言っているから、20願さえも通ったことがないと判明。
創価学会念仏で喜んでいる火星人に、他力も自力念仏も語る資格がない。
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投稿: | 2017年9月 1日 (金) 10時33分
現在の親鸞会は、会長亡きあとの財産問題に集中されており、教えは全て付け足しです。
企業の存続が(?)至上使命です。
戦後に立ち上がった宗教の自然の流れです。
なんまんだぶ なんまんだぶ ありがたい
投稿: | 2017年9月 1日 (金) 14時38分
無仏無法の人でさえ悪を慎み善に励んでいるのに、尊い仏縁に恵まれながら”善根を積む必要がない、念仏さえ称えていれば良いのだ”と、平気で悪性を発揮しているから真宗が廃れるのは当然である。(なぜ生きる2)
高森悪知識の念仏誹謗発言には、驚くだけです。念仏一行を完全否定する外道ぶり。
こんなことを平気でいうのは、創価学会と高森悪知識だけでしょう。火星人もそうでした。
投稿: | 2017年9月 1日 (金) 18時57分
K会では
南無阿弥陀仏とは阿弥陀様の尊いみ名であり
私が称えるのであるが、
それは先手で親が私を呼ぶ「呼び声」である。
その阿弥陀さまのお心を聞かせていただくことが肝要だいう話、と教えられています。
これは法蔵菩薩が世自在王仏の身元に行かれての御修行を考えられれば分かります。法蔵菩薩様の大慈悲心にほかなりません。
ここを詳しくお解きくださるのが善知識だと味わっております。
投稿: | 2017年9月 1日 (金) 19時56分