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2017年7月 9日 (日)

高森顕徹邪義を信じることを自力の心、疑情という

本日の高森顕徹会長の話は、いつもの話でした。と何度も言ってきたために、今回は少し変えてきたつもりでしょうが、やはりいつもの間が抜けた頓珍漢な話でした。

本日強調していたことは、

苦しみの原因は、自力の心、疑情である

です。これ自体は間違ってはいませんが、自力の心、疑情とは、高森会長の邪義を信じることだということに全く気が付いていないところが、お目出度いです。

自力の心、疑情とは、仏智不思議を疑う心とも言われ、阿弥陀仏のお力を疑う心、阿弥陀仏の本願を疑う心のことです。

高森先生もそう教えている

と会員は反論するでしょうが、それは阿弥陀仏のお力、阿弥陀仏の本願(18願)を知らないからです。

阿弥陀仏のお力、18願とは、善が不要、私たちが何かをすることを全く必要としないで浄土に往生させることができることです。

つまりは、往生・獲信のために、善をしなければならないとか、過去にどれだけ善をしてきたかとか、19願・20願を必ず通るか通らなければならないとか、因果の道理を信じなければならない、などと信じていることを、自力の心、疑情というのです。

このことについて最も判りやすい根拠が『正像末和讃』誡疑讃23首です。
代表的なものを紹介すると、

仏智の不思議をうたがひて
 自力の称念このむゆゑ
 辺地懈慢にとどまりて
 仏恩報ずるこころなし

罪福信ずる行者は
 仏智の不思議をうたがひて
 疑城胎宮にとどまれば
 三宝にはなれたてまつる

自力称名のひとはみな
 如来の本願信ぜねば
 うたがふつみのふかきゆゑ
 七宝の獄にぞいましむる

自力諸善のひとはみな
 仏智の不思議をうたがへば
 自業自得の道理にて
 七宝の獄にぞいりにける

罪福ふかく信じつつ
 善本修習するひとは
 疑心の善人なるゆゑに
 方便化土にとまるなり

仏智不思議をうたがひて
 罪福信ずる有情は
 宮殿にかならずうまるれば
 胎生のものとときたまふ

自力の心をむねとして
 不思議の仏智をたのまねば
 胎宮にうまれて五百歳
 三宝の慈悲にはなれたり

仏智不思議を疑う心とは、

自力諸善
自力の称念
罪福信じる
自力の心

であり、

19願を信じる心
20願を信じる心
因果の道理を信じる心

です。

要するに、高森会長が教え勧めていることが、自力の心、疑情そのものですから、高森会長の言っていることが間違いと信じない限りは、苦しみの原因である自力の心、疑情は無くならないのです。

別に難しい話でも何でもないのです。高森会長の教えていることは、ほとんどすべてが間違い。単にそれだけのことです。高森会長が批判を交わすために、小手先で何か変えたところで、元が間違っていますから、何を言っても間違いなのです。

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コメント

ほんこれ。
「もう高森さんではダメだ、いくら聞いても助からん。」
とならないのが親鸞会に残っている会員たちだ。
自分の後生をいい加減に考えてるのか、今更他の話しを聞く勇気がないのか。
阿弥陀さまの直の声を聞きなさいよ。どこにいても救ってくださいます。

投稿: | 2017年7月11日 (火) 07時06分

かつて、会員であったとき、お誘いした方の中で「高森師には徳を感じない。鉄工所のおっさんのようだ」と言って二度と参詣されなかった人がありました。人生経験を踏んだ方には分るんでしょうか。

投稿: | 2017年7月12日 (水) 22時18分

自分が会長と知らされないまま初めて見たときの第一印象がエラソーなおっさん。

投稿: | 2017年7月13日 (木) 03時24分

親鸞聖人のみ教えを間違って伝えたならば腹を切る、とか言ってたな。ははははは・・・・

投稿: | 2017年7月13日 (木) 21時17分

邪見驕慢悪衆生とはあんやたのような人間のこと

投稿: | 2017年7月13日 (木) 22時36分

「高森先生のいうことは間違いない!」と人に言い続けてしまった人ほど考えを改めることは難しのだと思います。
私は会員時代にあの人を尊敬しようと思って一生懸命に努力しましたが、どうしてもできませんでした。好きになることもできませんでした。なので、先生を称賛するような話はしなかったので、親鸞会とのご縁が短くて済んだのかもしれません。
知ってつくる罪よりも知らないでつくる罪のほうが恐ろしいと感じます。

投稿: | 2017年7月17日 (月) 09時09分

Abcです。

まぁ、高森会長ですからね、仕方ないですよ

飛雲さんが、提示している中の

  自力諸善のひとはみな
   仏智の不思議をうたがへば
   自業自得の道理にて
   七宝の獄にぞいりにける

は、
  「自力で善を行おうとするひとはみな、
   「われひとり助けん」とするみほとけを疑って
   自業自得の道理(自因自果の道理)によって
   七宝の獄(弥陀浄土を形づくるとされる七つの宝物で作られた獄)
    別の箇所では「宮殿(きゅうでん、くでん)」とも呼ばれる
   に入るのである

即ち、
  「因果の道理」を「自力の中のみにおとしいれて」信じる限り、
  「宮殿」にしか入れないのです。

>自分が会長と知らされないまま初めて見たときの第一印象がエラソーなおっさん。

 エラソーなおっさんですか。そうですね。
 それでいて今度は、映画館をつくるのでしょう。大したものです。
 ただ、彼の唯一のほめるべき点としましては、
 「善信上人の教えとは」という再確認をしようとするきっかけになったことでしょうか。
 そのため、その書店で購入した唯一の書物は「真宗聖典」でした。

 その内容は別段その書物ではなくても、本願寺出版さんなどでもあるので書物はお寺さんにご依頼されればよいかと思います。(最近は和讃や聖教はネットでも見ることができます。便利になったと感じます。)

 と書き連ねている間に結構な量になっていました。
 詮ずると、「「われ(南無)助けん(阿弥陀仏)」と弥陀が発せられたまま、
 受け取ることこそが信楽であり「本願力回向に摂め取られる」ということなのです。

Abc

投稿: Abc | 2017年8月 4日 (金) 23時56分

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