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2017年3月28日 (火)

無常観と罪悪観を強調するのは土蔵秘事と同じ信心

最近の高森顕徹会長の話は、薄っぺらい内容です。以前も薄っぺらい内容ではありましたが、大沼師をパクった内容の時には、少しは深みがありました。今では、退会者からの激しい教義批判に怖れ慄き、非難されないことだけに気を使っているため、どうでもよいことに時間を費やしている有り様です。

映画のシナリオの話で法を説いているつもりになっているのですが、その内容がずれています。

無常観と罪悪観が大事だとやたら強調していますが、これもおかしなことです。仏法を聞くきっかけとして無常観と罪悪観が大事だということではあっても、無常観と罪悪観が聞法に大切なのではありません。
言葉を替えると、仏法を聞く気の無い人が、仏法を聞き始める縁として無常観と罪悪観が大事だとは言っても良いですが、すでに仏法を真面目に聞いている人にとっては、無常観と罪悪観が必要なものではありません。

たとえば蓮如上人は『御文章』2帖目7通に

しづかにおもんみれば、それ人間界の生を受くることは、まことに五戒をたもてる功力によりてなり。これおほきにまれなることぞかし。ただし人界の生はわづかに一旦の浮生なり、後生は永生の楽果なり。たとひまた栄華にほこり栄耀にあまるといふとも、盛者必衰会者定離のならひなれば、ひさしくたもつべきにあらず。ただ五十年・百年のあひだのことなり。それも老少不定ときくときは、まことにもつてたのみすくなし。これによりて、今の時の衆生は、他力の信心をえて浄土の往生をとげんとおもふべきなり。

と仰っています。蓮如上人は、仏法を聞くきっかけとしても無常観、罪悪観が大事だとも仰っていません。人間界の栄耀栄華の僅かな楽しみよりも浄土往生の永生の楽果を求めなさいとのことで、無常については栄耀栄華が短いとしか仰っておらず、罪悪についての言及はここではありません。もちろん、仏法をすでに聞いている人にも、無常観、罪悪観が大切だということも仰っていません。

また親鸞聖人の御著書、お手紙を一通り読んだ人なら判りますが、親鸞聖人も無常観と罪悪観が大事だと仰ってはいませんし、無常観に至っては、言及さえ殆どありません。罪悪観については、煩悩具足で出離できないことの説明に関連して仰っているだけで、それ以上ではありません。機の深信と罪悪観の違いが判っていない高森会長にとっては、私の言っていることが理解できないと思います。

機の深信と罪悪観との関係については、何度か述べたことがありますが、善導大師が著わされた『散善義』の以下の御言葉が判りやすいと思います。

わが身は無際よりこのかた、他とともに同時に願を発して悪を断じ、菩薩の道を行じき。他はことごとく身命を惜しまず。道を行じ位を進みて、因円かに果熟して、聖を証せるもの大地微塵に踰えたり。しかるにわれら凡夫、すなはち今日に至るまで、虚然として流浪す。煩悩悪障は転々してますます多く、福慧は微微たること、重昏を対して明鏡に臨むがごとし。たちまちにこの事を思忖するに、心驚きて悲歎するに勝へざるものをや。

(現代語訳)

わが身は、 無始よりこのかた、 他のものと同時に、 発願し、 悪を断ち、 菩薩の道を行じたのに、 他のものはことごとく身命を惜しまず、 修行して位を進め、 因が円満し、 果が成就して、 聖者の位を証した。その数は、 大地を微塵にくだいたよりもなお多い。しかるに、 われら凡夫は過去より今日に至るまで、 いたずらに流転して、 煩悩の悪障が次第にますます多くなり、 福徳智慧のきわめて少ないことは、 重昏をもって明鏡に望むがようである。 今このことを考えると、 どうして心驚き悲しまずにおられようか。

善導大師はかつての法友が聖道門の修行によって出離して聖者となっていく中で、善導大師御自身は聖道門の修行をされても出離できずに流転を繰り返してきたとの告白です。その結果として、煩悩の悪障が次第にますます多くなっていると仰っているのであって、罪悪観を大事にして求めるという話ではありません。罪悪観云々は、聖道門ではさとりを得ることができないということであり、18願において罪悪観が関係する話ではないのです。

善導大師の御言葉で機の深信と罪悪観との関係を簡単に言うと、機の深信は聖道門では出離できないことであり、罪悪観は出離できないから罪悪を造っているということです。聖道門あるいは善では出離できないと知らされることが大事なのであって、罪悪が知らされることが大事なのではありません。

機の深信を究極の罪悪観としか思っていない高森会長は、突っ込まれない話をしているつもりでしょうが、高森会長の信心は土蔵秘事となんら変わらないのです。

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コメント

「他のものは」の後の文に、「その数は、 大地を微塵にくだいたよりもなお多い」とありますので、「他のものは」は、「かつての法友」の意味には、ならないように思います。過去世からの法友でしょうか。

投稿: | 2017年3月30日 (木) 09時28分

名無し様

過去世からの法友と同じことで、善導大師が仰った時点では聖者となられた方々ですので、この時点での法友という表現を避けただけです。

投稿: 飛雲 | 2017年3月30日 (木) 09時34分

飛雲様
いつもご教授有難うございます。
思い起こせば、私が親鸞会在籍時代、信心決定するにはアニメ「世界の光 親鸞聖人 第1部」で親鸞聖人が獲信されたようにならなければならないと固く信じ込んでいました。
アニメでは親鸞聖人が法然聖人に教えを求め、法然聖人が親鸞聖人の無常観と罪悪観を責め立て、その結果親鸞聖人が獲信する。
だから、私がアニメの親鸞聖人のようになるには、高森会長の教えに信順し、聴聞、布施、勧誘にまい進してその結果、曽無一善のわが身が知らされなければならないと。
こんなヘンテコでコッケイ至極な教義を、今なお講師部員をはじめとして親鸞会会員は信じ込んでいるのでしょう。
あわれ あわれ。

投稿: どら焼き | 2017年4月 2日 (日) 00時32分

高森会長というのは他化自在天(「此の天は他の所化を奪いて自ら娯楽す、故に他化自在と言う。」とあり、他の者の教化を奪い取る天としている。)の眷属じゃないでしょうね?
会ったころからなにか魔力のようなものを感じる現象に見舞われることがあった。

投稿: | 2017年4月 2日 (日) 14時00分

高森会長がいかに教義を悪用して私欲を満たしているか、よく分かる内容です。
追い込まれて逃げ出す人を聞法の敗残者と陰で罵る講師や幹部が心底嫌いでした。

投稿: | 2017年4月 2日 (日) 19時40分

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