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2017年1月20日 (金)

「若不生者」の「生」のまとめ

私の先輩と思われる会員からコメントを頂きました。「若不生者」の「」について、私が何回か書いてきたことに対する批判ですが、いつも通り、”高森先生が仰ったことと違う”という類の批判です。私が書いた教義的な内容についての批判ではないところが、ポイントです。

若不生者」については、前回で終わりにするつもりでしたが、せっかくですからもう少し書いておきます。

親鸞聖人は18願について、『大無量寿経』の異訳経を『教行信証』行巻に引いておられます。

『大阿弥陀経』

諸天・人民・蜎飛・蠕動の類、わが名字を聞きて慈心せざるはなけん。歓喜踊躍せんもの、みなわが国に来生せしめ、この願を得ていまし作仏せん。この願を得ずは、つひに作仏せじ

『平等覚経』

諸天・人民・蠕動の類、わが名字を聞きてみなことごとく踊躍せんもの、わが国に来生せしめん。しからずはわれ作仏せじ

若不生者」にあたる部分は、「わが国に来生せしめ」となっています。親鸞聖人がわざわざ紹介されたものですから、「」は、浄土に生まれさせるというのが、18願の意味であることを親鸞聖人は明確に認識なされる根拠となったものです。

良く知られた親鸞聖人の御言葉でいうなら、『尊号真像銘文』の

「若不生者不取正覚」といふは、「若不生者」はもし生れずはといふみことなり、「不取正覚」は仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。このこころはすなはち至心信楽をえたるひと、わが浄土にもし生れずは仏に成らじと誓ひたまへる御のりなり。

が決定的な証拠です。

これが大前提です。これを踏まえた上で、「」に当益の意味しかないかという話になりますが、実は現益の意味も親鸞聖人は含められていたものと思われます。その根拠もありますが、高森会長に塩を送るつもりはないので、紹介はしません。ただし、現益は「信楽」ではないです。現益なら「信楽」だと思われるかもしれませんが、違います。それはこれまでの「信楽」の説明を読まれればお判りになると思います。

会員には理解しがたいでしょうが、再度申し上げますと、「信楽」の信心を賜ることと「信楽」の身になることとは違います。以前にも書いてきた内容ですが、七高僧方とは異なる親鸞聖人の独自の解釈によるものです。

真宗学に詳しい方なら、これだけのヒントで判ると思われますが、高森会長や会員ではおそらく判らないでしょう。
もし高森会長が「若不生者」の「」を「信楽の身に生れさせる」とは別の表現で説明したなら、私の影響があったということです。それが1年後であろうが5年後であろうがです。

一応これまで宣言してきたことを繰り返しておきます。

法論は、高森会長でも講師部員でも幹部会員でも、誰とでも受けます。もちろん公開法論です。
以下論点をまとめています。

1.獲信していない人の死後はどうなるか 

親鸞聖人 六道輪廻(19願・20願の同行は化土往生)
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高森会長 必堕無間

 

2.五逆罪・謗法罪について 

親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる
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高森会長 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている

 

3.善人と悪人について 

親鸞聖人 善人と悪人とがいる
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高森会長 善人はいない、すべての人は悪人である

 

4.獲信のために善は必要か 

親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要
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高森会長 善をしなければ絶対に獲信できない

 

5.白道とは 

親鸞聖人 自力の心にあらず
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高森会長 自力

 

6.定散二善について 

親鸞聖人 定散二善を捨てよ
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高森会長 定散二善をせよ

 

7.19願について 

親鸞聖人 19願を捨てよ
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高森会長 19願を実践せよ

 

8.宿善について 

親鸞聖人 過去世の善根の厚薄と、往生・獲信とは関係ない
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高森会長 過去世の善根の薄い者が、そのままで往生・獲信することはありえない

 

9.機の深信について 

親鸞聖人 自力では出離できない
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高森会長 逆謗の屍と必ず知らされる

 

10.善知識に無条件服従しなければならないか 

親鸞聖人 法に従うのであって、人に従うのではない
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高森会長 善知識に無条件服従せよ

 

11.因果の道理について 

親鸞聖人 罪福の因果を信じることは自力・仏智不思議を疑う心
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高森会長 因果の道理を深信しなければならない

 

12.三願転入について 

親鸞聖人 聖道門の人を浄土門に導く方便が19願であり、19願の勧めはない
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高森会長 全人類は19願から始めなければならない

 

13.「一向専念無量寿仏」について 

親鸞聖人 諸善を廃して念仏1つになること
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高森会長 阿弥陀仏1仏に向かって諸善をすることも含む

 

『歎異抄』について 

第1章 

1.「ただ信心を要とす」の「信心」とは 

親鸞聖人 「ただ念仏で往生できる」と信じた心
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高森会長 「助かった」とハッキリした心

 

2.「本願を信ぜんには他の善も要にあらず」とは 

親鸞聖人 本願に救われるには善は不要
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高森会長 救われたなら善は不要だが、救われる前には善が勧められている

 

3.「悪をもおそるべからず」とは 

親鸞聖人 本願に救われるのに、悪が妨げになることはない
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高森会長 悪を恐れ不安になるのは、地獄一定の悪人と知らされていないからだ

 

第2章 

4.「ただ念仏して」の「ただ」とは 

親鸞聖人 念仏一行
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高森会長 びっくり仰天

 

5.「総じてもつて存知せざるなり」とは 

親鸞聖人 念仏が浄土に生れる因なのか地獄に行く因なのかを知る智慧を持っていない
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高森会長 知り過ぎた知らん

 

6.「弥陀の本願まことにおわしまさば」は仮定か断定か 

親鸞聖人 仮定
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高森会長 断定

 

第3章 

7.「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」とは 

親鸞聖人 善人ではなく悪人のために18願を建てられた
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高森会長 「悪人」とは、全人類のことであり、「人間」の代名詞にほかならない

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コメント

「至心信楽をえたるひと、わが浄土にもし生れずは」なので、「至心信楽をえたるひと、信楽にもし生れずは」では文にならないですね。
現益なら
「至心信楽をえたるひと、○○○にもし生れずは」となる信楽とは別の言葉になるのですが、高森会の人には理解できないのでしょうね。

○○○はあれでしょう。文字数は3ではないです。

投稿: ジャータカ | 2017年1月21日 (土) 14時22分

こんな誰でも分かる話を、訳の分からん理由つけて自分たちが正しいと”内輪で”話してるんだよな~高森ファンクラブの皆さんは。なんで法論しないんだろうな~

投稿: | 2017年1月21日 (土) 19時30分

私は、「若不生者」よりも「帰命」と「南無」について「救われた、助けられた」との解釈を非常に疑問に思っていました。
どう考えても、「救われた」とは解釈できない、聖典(教行信証)を読んでもそう読めないと思っていました。
親鸞会の「信心の沙汰」で疑問に思っていたことを言ったら、高森先生はこう言われているの繰り返しで、二度と質問する気が起きなくなりました。
今思えば、結局記憶大会で疑問について突っ込むことは一切許さない、そんな「信心の沙汰」でした。
まして、都合の悪いことは「会長が言われることに間違いは無い。」でおしまい。
法論なんてもってのほか、法論できるのは高森会長だけで会員の私には絶対無理と思っていました。
また、「真実に向かえば非難があるのが当たり前、法友の屍を超えて聞法、活動に励め。」と教えられていました。
事実、辞めていった人たちは脱落者だと担当講師から言われ、そうだと思って優越感に浸っていましたからね。
そう思いながらも「本当に間違いないのかな~」の思いはずっとありましたが、「この道間違いない」と自分に言い聞かせていました。
今思うとよくあの団体から抜け出すことが出来たと思います。
特に飛雲さんが退会したころとほとんど同時期に私も退会しましたので、飛雲さんの退会を知ったときはいろんな意味で驚きましたね。
不思議なご縁です。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

投稿: とくよしみね | 2017年1月21日 (土) 23時33分

朝鮮系人の言動がおかしいのはよく見聞きするところですが、元々の思考や価値観が狂っているからだと思います。
そのため文章もまともに読むことが出来ず異次元の解釈をする。
なにか感情的なことに偏執する傾向がある。
そういうことでしょう、あの会長は。

投稿: | 2017年1月22日 (日) 16時22分

飛雲のブログを読んでいると、
阿弥陀仏から名号を頂いて信楽の心になった自覚がない(本願に救われた自覚がない)のが飛雲だということがよく分かります。
だから、阿弥陀仏の救いと言っても当益だけとしか思えないのでしょう。

投稿: | 2017年1月22日 (日) 17時01分

現益の意味があると書いたのも理解できないのですね。

投稿: 飛雲 | 2017年1月22日 (日) 17時11分

>現益の意味があると書いたのも理解できないのですね。

あなたには現益の自覚がないから、
恨み、憎しみ、寂しさで日々こんな
悪口だらけのブログを書いているのでしょう。あなたにのブログを読んでいても教えを伝えたい気持ちも喜びも感じません。
そもそも、高森先生から教えて頂かなければ、阿弥陀仏の本願の御心も何も分からなかったのに、よくこのような親鸞会を攻撃するようなことばかり書けますね。
親鸞会が無ければ、親鸞聖人の御教えを学ぶきっかけも無かったのに。

投稿: | 2017年1月22日 (日) 17時31分

>あなたには現益の自覚がないから、
>恨み、憎しみ、寂しさで日々こんな
>悪口だらけの

華光会攻撃を高森会長はしているのですね。

投稿: 飛雲 | 2017年1月22日 (日) 17時38分

>そもそも、高森先生から教えて頂かなければ、阿弥陀仏の本願の御心も何も分からなかったのに、よくこのような親鸞会を攻撃するようなことばかり書けますね。
>親鸞会が無ければ、親鸞聖人の御教えを学ぶきっかけも無かったのに。

そもそも、華光会から教えて頂かなければ、阿弥陀仏の本願の御心も何も分からなかったのに、よくこのような華光会を攻撃するようなことばかり書けますね。
と高森会長に言ってやってください。

投稿: 飛雲 | 2017年1月22日 (日) 17時40分

本願寺に対してもそうですね。

>あなたには現益の自覚がないから、
>恨み、憎しみ、寂しさで日々こんな
>悪口だらけの

本願寺攻撃を高森会長はしているのですね。

>そもそも、高森先生から教えて頂かなければ、阿弥陀仏の本願の御心も何も分からなかったのに、よくこのような親鸞会を攻撃するようなことばかり書けますね。
>親鸞会が無ければ、親鸞聖人の御教えを学ぶきっかけも無かったのに。

そもそも、本願寺から教えて頂かなければ、阿弥陀仏の本願の御心も何も分からなかったのに、よくこのような本願寺を攻撃するようなことばかり書けますね。
本願寺が無ければ、親鸞聖人の御教えを学ぶきっかけも無かったのに。
と高森会長に言ってやってください。

投稿: 飛雲 | 2017年1月22日 (日) 17時43分

>あなたには現益の自覚がないから、
>恨み、憎しみ、寂しさで日々こんな
>悪口だらけの

>華光会攻撃を高森会長はしているのですね。


日々恨み、憎しみ、寂しさで悪口だらけの華光会攻撃をしているという事実が無いですね。それとも土蔵秘事のことですか?
悲しいことに飛雲や退会者は、
現在「死んでも浄土に往けるかどうかはっきり分からない」心ですから、この世で信楽に生まれさせる阿弥陀仏の本願を疑っているので、当益を得ることもありません。

投稿: | 2017年1月22日 (日) 17時52分

>日々恨み、憎しみ、寂しさで悪口だらけの華光会攻撃をしているという事実が無いですね。それとも土蔵秘事のことですか?

無知にも程があります。
土蔵秘事に類するものとしての批判冊子を作って、会員に配布しているのも知らないのですか?
華光会という名前を出していないで、土蔵秘事に類するものとし、増井師をM氏、師匠の伊藤師をI氏と表現するほど、毛嫌いしているのですが。

投稿: 飛雲 | 2017年1月22日 (日) 17時55分

>現在「死んでも浄土に往けるかどうかはっきり分からない」心ですから

『執持鈔』に親鸞聖人のお言葉として紹介されています。

さればわれとして浄土へまゐるべしとも、また地獄へゆくべしとも、定むべからず。故聖人[黒谷源空聖人の御ことばなり]の仰せに、「源空があらんところへゆかんとおもはるべし」と、たしかにうけたまはりしうへは、たとひ地獄なりとも故聖人のわたらせたまふところへまゐるべしとおもふなり。

親鸞聖人、覚如上人を「阿弥陀仏の本願を疑っているので、当益を得ることもありません」と非難しているのですね。

投稿: 飛雲 | 2017年1月22日 (日) 17時58分

>無知にも程があります。
土蔵秘事に類するものとしての批判冊子を作って、会員に配布しているのも知らないのですか?
華光会という名前を出していないで、土蔵秘事に類するものとし、増井師をM氏、師匠の伊藤師をI氏と表現するほど、毛嫌いしているのですが。

これだけで、「日々恨み、憎しみ、寂しさで悪口だらけの華光会攻撃をしている」というのは無理があることはあなたも分かっていると思います。


>親鸞聖人、覚如上人を「阿弥陀仏の本願を疑っているので、当益を得ることもありません」と非難しているのですね。

この身は、いまは、としきはまりて候へば、【さだめてさきだちて往生】し候はんずれば、【浄土にてかならずかならずまちまゐらせ候ふ】べし。
(親鸞聖人『末灯鈔』12)

まことの信心の定まることは、釈迦・弥陀の御はからひとみえて候ふ。
【往生の心に疑なくなり候ふ】は、摂取せられまゐらするゆゑとみえて候ふ。
信心の定まると申すは摂取にあづかるときにて候ふなり。そののちは正定聚の位にて、まことに浄土へ生るるまでは候ふべし
(親鸞聖人『末灯鈔』13)

我が歳きわまりて、安養浄土に還帰す
(親鸞聖人『御臨末の御書』)

われ已に本願の名号を持念す、往生の業すでに成弁することをよろこぶ
(覚如上人『執持鈔』)

それ、八万の法蔵をしるといふとも、後世をしらざる人を愚者とす。
たとひ一文不知の尼入道なりといふとも、【後世をしるを智者】とすといへり。
このゆゑにいかなる女人なりといふとも、もろもろの雑行をすてて、一念に弥陀如来今度の後生たすけたまへとふかくたのみまうさん人は、十人も百人もみなともに【弥陀の報土に往生すべきこと、さらさら疑あるべからざるものなり】。
(蓮如上人『御文章』五帖目二通)

一念の信心定まらん輩は、十人は十人ながら百人は百人ながら、【みな浄土に往生すべきこと、さらに疑なし】。
(蓮如上人『御文章』五帖目四通)

ただ一念に弥陀をたのむ衆生は【みなことごとく報土に往生すべきこと、
ゆめゆめ疑ふこころあるべからざるものなり】。
(蓮如上人『御文章』五帖目六通)

われらがいまの他力の信心ひとつをとるによりて、【極楽にやすく往生すべきことの、さらになにの疑もなし】。
(蓮如上人『御文章』五帖目二十二通)

投稿: | 2017年1月22日 (日) 18時40分

無知というか、親鸞会の幹部なら、華光会批判は、日常茶飯事なのですがね。

往生に疑いなし、と私は何度も何度も書いてますが、しっかり読んでからコメントしてもらえますか?
その上で、浄土がわかるわけでもなく、地獄がわかるわけでもない。
わかることは、親鸞聖人のお言葉に倣うなら、親鸞聖人が行くところへまいると思うということです。
言い換えると、阿弥陀仏が連れて行ってくださるところをまかせたことが、他力の信心だと親鸞聖人、覚如上人は、教えられているのです。これを往生に疑いなし、というのです。

投稿: 飛雲 | 2017年1月22日 (日) 18時54分

往生ほどの一大事、凡夫のはからふべきことにあらず、ひとすぢに如来にまかせたてまつるべし。すべて凡夫にかぎらず、補処の弥勒菩薩をはじめとして仏智の不思議をはからふべきにあらず、まして凡夫の浅智をや。かへすがへす如来の御ちかひにまかせたてまつるべきなり。これを他力に帰したる信心発得の行者といふなり。

投稿: 飛雲 | 2017年1月22日 (日) 18時56分

おお、刺激を与えましたね。
良いことです。
親鸞会の擁護をし、自分が正しいと思い、飛雲さんを攻撃する。
良いじゃないですか。どんどんやってみてください。
何が間違いで、何が正しいのか、時間がかかりますが必ず分かります。
親鸞会が100%間違いでは無い、しかし、肝心な救いをぼかしていることに必ず気がつきます。
高森会長が以前幹部を前に、次に聴聞に来たくなるように肝心なところはぼかしているとハッキリ言いましたから。
そして、自分の考えに対して俯瞰するときが必ず来ます。
なぜなら今、阿弥陀様の網にかかっているのですからね。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

投稿: とくよしみね | 2017年1月22日 (日) 20時46分

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