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2017年1月31日 (火)

高森顕徹会長の語る霊言を信じる絶対の幸福の科学

当ブログを開設してから7年が経ちましたが、その間に、コメント欄で多くの法論をしてきました。しかし、ここ数年は法論以前の低レベルのコメントが大半となってきて、親鸞会の衰退をコメントからも感じます。

高森顕徹会長と親鸞会をこれだけ扱き下ろしているのに、講師も会員も教義的な反論ができないのです。40年来の会員でも、私に対する人格攻撃しかできず、教義には何一つ触れないコメントで荒すのが関の山です。以前から言っていますが、人格攻撃されるのは、嬉しいことです。なぜなら、私の言っていることに反論できない、つまり賛同せざるを得ないと言っているのと同じだからです。
聖教に依らない妄想のコメントも、荒しにしかなりませんので、それが続くなら当然の措置として削除しスパム設定します。
なお、聖教に基づいた理屈の通る反論なら、いつでも大歓迎です。スパム設定を解除します。

さて、ついでですから、二河白道の譬えについて基本的なことをもう少し説明します。

言うまでもなく、二河白道の譬えは善導大師が作られた話です。『散善義』の中で『観無量寿経』の回向発願心を解釈なされたところで出てくるのですが、この譬えの前に

また一切の往生人等にまうさく、いまさらに行者のために一の譬喩を説きて、信心を守護して、もつて外邪異見の難を防がん。

と仰っています。
信心守護の譬えですから、真実信心についての解説であり、求道の譬えではないことは明白です。

この譬えを親鸞聖人は『教行信証』信巻に引かれていますので、親鸞聖人も、真実信心を顕わされたのが二河白道の譬えとされたのは、疑いようのない事実です。19願の意味があるなら、化土巻に二河白道の譬えを引かれるでしょうが、それはありません。

『教行信証』は高森会長にも会員にも難しすぎるでしょうから、『教行信証』をまとめられた『浄土文類聚鈔』で再度説明しますと、二河白道の譬えの解説があるのは、

問ふ。念仏往生の願、すでに三心を発したまへり。論主、なにをもつてのゆゑに一心といふや。

という問いに対する答えの中です。
答えとして18願の三心(至心・信楽・欲生我国)の説明をされた後に

これによりて師釈を披きたるにいはく、「西の岸の上に人ありて喚ばひてのたまはく、〈なんぢ、一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ〉」と。また〈中間の白道〉といふは、すなはち、貪瞋煩悩のなかによく清浄願往生の心を生ぜしむるに喩ふ。仰いで釈迦の発遣を蒙り、また弥陀の招喚したまふによりて、水火二河を顧みず、かの願力の道に乗ず」と。{略出}
ここに知んぬ、「能生清浄願心」は、これ凡夫自力の心にあらず、大悲回向の心なるがゆゑに清浄願心とのたまへり。しかれば、「一心正念」といふは、正念はすなはちこれ称名なり。称名はすなはちこれ念仏なり。一心はすなはちこれ深心なり。(後略)

(現代語訳)

そこで、 善導大師の 『観経疏』 をひらくと、 次のようにいわれている。
「西の岸に人がいて、 <そなたは一心に正念してまっすぐに来るがよい。 わたしがそなたを護ろう。 水の河や火の河に落ちるのではないかと恐れるな>と喚ぶ声がする」
また次のようにいわれている。
<水の河と火の河の間にある白い道> というのは、 貪りや怒りの心の中に、 往生を願う清らかな信心がおこることをたとえたのである。 浄土へ往生せよという釈尊のお勧めと、 浄土へ来たれと招き喚ぶ阿弥陀仏の仰せにしたがって、 貪りや怒りの水と火の河を気にもかけず、 阿弥陀仏の本願のはたらきに身をまかせるのである」
これによって知ることができた。 「清らかな信心が起こる」 とは、 凡夫が自力で起す心ではない。 大いなる慈悲により回向された心であるから、 清らかな信心といわれているのである。 そして 「一心に正念して」 というのは、 「正念」 とはすなわち称名である。 称名はすなわち念仏である。 「一心」 とは深い心、 すなわち深心である。

と続きます。

白道=能生清浄願心=凡夫自力の心にあらず

と明確に仰っていますから、二河白道の譬えは、他力の真実信心についてです。
このように二河白道の譬えに、19願はどこにも出てきませんから、二河白道の譬えは三願転入の否定の根拠でもあります。
そもそも、『浄土文類聚鈔』にも、19願も三願転入もないのですから、三願転入の教えなるものは、親鸞聖人にはあり得ないのです。

親鸞聖人が仰ってもいないのに、これが本意だと判るというのは、何とかの科学の総裁の霊言と同じです。高森会長の語る霊言を信じるのは勝手ですが、真宗とは無関係な宗教です。絶対の幸福の科学とでも名乗るのが宜しいかと思います。
また高森会長でさえ言っていない妄想コメントを書き込む会員も、霊言の類なのでしょうから、真宗をやめて改宗した方がいいです。

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コメント

確かに本質的には変わりないですね。
何とかの一つ覚えで高森会長がどーのこーの、お聖教を根拠とした反論も出来ないなら真宗でも仏教でもないですね。

投稿: | 2017年2月 1日 (水) 20時23分

絶対の幸福の科学、笑えるけど笑えない

投稿: | 2017年2月 5日 (日) 23時51分

私も獲信してみて改めていかに高森氏の主張が滅茶苦茶な事を言っているのか分かりました。

教義上、獲信出来ないことを良いことによくもまぁ好き放題ホラ話を吹き込めるもんだなと。

投稿: | 2017年2月11日 (土) 20時23分

少々疑問に思ったのですが…。
かつて、大沼法龍師が本願寺に対して痛烈な批判をぶつけていたという事は、このブログをはじめ
あちこちで見聞きしています。
で、その大沼師の著書から盗作に次ぐ盗作を重ねているのが高森会長である、という事もです。
…では、本願寺の関係者の方々は、高森会長から攻撃された際に、「この人の言っている内容はどこかで
聞いた事があるぞ」と思いあたるふしがなかったのでしょうか?何しろ会長ときたら、本願寺に対する悪口
(確か「シニ本願寺、干餓死本願寺」でしたっけ?)まで盗作しているそうですから…。
……別に本願寺を恨む気は毛頭無いのですが(こんな人もしくは団体を相手にしたくなくなる気持ちは分からないでも
ないですから)、もし、高森会長の盗作の事実を本願寺が指摘してくれていれば、と、思ったりもするのですが…、無理な注文というものでしょうか?

それにしても、(もちろん盗作をしないのが一番ですが)「会長はどうせ大沼師や伊藤師の文章を盗むんだったら、いっそその精神性までもそっくり盗み取って
いればよかったのに」なんて、思った事もあります。そうすれば、少なくともカルト呼ばわりされたりはしなかったでしょうに…。

投稿: あずきあらい | 2017年2月12日 (日) 00時47分

あずきあらい 様

大沼師が本願寺派を非難していた時期と、高森会長が本願寺派と論堂をしていた時期がそれなりにずれているので、本願寺派も気が付かなかったかもしれません。
高森会長の目的が、親鸞聖人の教えを正しく伝えることであったなら、大沼師、伊藤師の盗作に精神性も付属してきたでしょうが、会を大きくし、本願寺や華光会を見返したいとの妬みと名誉欲で会長は動いてきたので、表面上の盗作と改竄に終始することになったのだと思います。

投稿: 飛雲 | 2017年2月12日 (日) 14時35分

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