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2016年9月 6日 (火)

思い込みが激しく勘違い連発の高森顕徹会長の18願解釈

『宗教問題15』について、いくつかのブログで取り上げられていますので、皆さんすでに御存知のことと思います。事の顛末についてはそちらを読んで頂ければ結構ですが、ここから判ることは、高森顕徹という人物が、如何に思いこみが激しく、勘違いの連続で、状況判断が全くできず、先を読む能力が欠落しているということです。

これまでの親鸞会の運営についてもそうですし、教義についてもそのまま当てはまります。大沼法竜師の著書を読んで、聖教に書かれていない味わいを、教義の真髄のように思いこみ、宿善や三願転入についても、親鸞聖人における善の位置づけを完全に勘違いし、本願寺との法論では状況判断ができないことから法論に勝ったつもりになり、退会者との法論で負け続けた悔しさから書いた『なぜ生きる2』が悲惨な状況になることさえ見通すことができないのです。

思いこみ教義の典型が18願の「唯除五逆誹謗正法」といえます。

高森顕徹会長は、18願が大事と言いながら、18願をまともに学んだことも調べたこともないことは、聖教を調べると簡単に判ります。

法然上人の著された『選択本願念仏集』に、18願文を引用された箇所があります。

 『無量寿経』の上にのたまはく、「たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、心を至し信楽して、わが国に生ぜんと欲して、乃至十念せんに、もし生ぜずといはば、正覚を取らじ」(第十八願)と。
 『観念法門』に上の文を引きていはく、「もしわれ仏にならんに、十方の衆生、わが国に生ぜんと願じて、わが名号を称すること下十声に至らんに、わが願力に乗りて、もし生ぜずは、正覚を取らじ」と。
 『往生礼讃』に同じき上の文を引きていはく、「〈もしわれ仏にならんに、十方の衆生、わが名号を称すること下十声に至るまで、もし生ぜずは、正覚を取らじ〉と。かの仏いま現に世にましまして仏になりたまへり。まさに知るべし、本誓重願虚しからず、衆生称念すればかならず往生することを得」と。

気付かれたかと思いますが、法然上人は18願文で、「唯除五逆誹謗正法」を省略されています。法然上人が引用されている善導大師の2文は、善導大師が18願を言い換えられたものですが、共に「唯除五逆誹謗正法」に当たる部分がありません。

これが何を意味するかを常識的に考えれば、18願を解釈する上で「唯除五逆誹謗正法」について省略しても問題がないということです。つまりは、18願での救いを求めている一般の人には、「唯除五逆誹謗正法」は関係ないということになります。

参考までに、現在の中国でも浄土系の寺院では当然ながら阿弥陀仏の本願は重要視されていますが、18願文を紹介する際に「唯除五逆誹謗正法」を省略していることがあります。善導大師の影響なのかどうか、その理由は判りませんが、中国でも「唯除五逆誹謗正法」はその程度の位置付けだということです。

ところが大沼師が「唯除五逆誹謗正法」を我々の実機と表現したことから、高森会長はそれをそのまま鵜呑みにしてしまったという経緯です。大沼師は聖教上の根拠を示しての解釈ではないので、単なる味わいであったのですが、それを高森会長が思いこみと勘違いで何の疑問も持たずに60年間布教してきたというおめでたい話です。

こんな低級善知識に振り回され、頑なに信じよう信じようとしている健気な会員が哀れでなりません。

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コメント

高森会長の使っていない根拠は根拠として認めない(笑)から、いつまでも親鸞会教義から抜け出せない会員が哀れです。単に高森会長が勉強していないから出さないだけなのに。伊達にバ○会長なんて揶揄されてません

投稿: | 2016年9月 7日 (水) 00時37分

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