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2016年6月21日 (火)

謗法罪の定義さえ知らない高森顕徹会長

幸福の何とかという宗教団体の真似をして映画館でアニメを上映したものの、その程度の評価しか受けていないのは予想通りで、会員歴の長い会員も呆れて、親鸞会を辞めていく人も出ている程です。

前回まで述べてきたように、親鸞聖人は阿闍世の獲信の物語を長々と紹介されましたが、その後に、阿闍世の造った五逆罪の定義と、18願で除かれているもう一つの罪である謗法罪の定義について解説をされています。

信巻で『往生論註』を引かれています。

 問うていはく、たとひ一人は五逆罪を具して正法を誹謗せざれば、経に得生を許す。また一人ありてただ正法を誹謗して、五逆もろもろの罪なきもの往生を願ぜば、生を得るやいなやと。
 答へていはく、ただ正法を誹謗せしめて、さらに余の罪なしといへども、かならず生ずることを得じ。なにをもつてこれをいふとならば、『経』にいはく、〈五逆の罪人、阿鼻大地獄のなかに堕して、つぶさに一劫の重罪を受く。誹謗正法の人は阿鼻大地獄のなかに堕して、この劫もし尽くれば、また転じて他方の阿鼻大地獄のなかに至る。かくのごとく展転して百千の阿鼻大地獄を経〉と。仏、出づることを得る時節を記したまはず。誹謗正法の罪、極重なるをもつてのゆゑなり。また正法はすなはちこれ仏法なり。この愚痴の人、すでに誹謗を生ず、いづくんぞ仏土に願生するの理あらんや。たとひただかの安楽に 生ぜんことを貪じて生を願ぜんは、また水にあらざるの氷、煙なきの火を求めんがごとし。あに得る理あらんやと。

(現代語訳)

 問うていう。経には、ある人がたとえ五逆の罪を犯しても、正しい法を謗らないなら往生することができるとある。では、ただ正しい法を謗るだけで、五逆などの罪を犯さないものが浄土の往生を願うなら、往生することができるのであろうか。
 答えていう。ただ正しい法を謗るだけで、他に罪は何一つなくても、決して往生することはできない。なぜかといえば、経に、<五逆の罪を犯した人は無間地獄に堕ちて、一劫の間その重い罪の報いを受ける。正しい法を謗った人は無間地獄に堕ちて、一劫が尽きると、また続いて他の無間地獄に堕ちる。このようにして次々と、数多くの無間地獄をめぐるのである>と説かれていて、仏はこの人がいつ地獄から出ることができるのかを明らかにされていない。それは、正しい法を謗る罪がもっとも重いからである。また正しい法というのは、すなわち仏法である。この愚かな人は、すでに仏法を謗っているのであるから、どうして仏の浄土の往生を願うはずがあろうか。たとえ、浄土は安楽なところだから生れたいという貪りの心で往生を願っても、その願いは、水でない氷や煙の出ない火を求めるのと同じであって、往生することができるはずはないのである。

親鸞会の会員にとっては、目から鱗が落ちるような内容かもしれません。
簡単に言えば、

五逆罪を造って、謗法罪を造っていないなら救われる。
五逆罪を造らず、謗法罪を造っているなら救われない。
その理由は、謗法罪を造っている者は、往生を願わないから。
たとえ往生を願っているといっても、浄土で楽がしたいという気持ちなら往生できない。

ということです。

ここから親鸞会の邪義がいくつか明白になります。

五逆罪と謗法罪は、造っている人もあれば、造っていない人もある。
謗法罪を造っている人は決して救われないので、謗法罪を造っているまま救われることはあり得ない。
絶対の幸福だとかいう幻想的な楽を追い求めている人は救われない。

高森顕徹会長の言っていることと、曇鸞大師、親鸞聖人の仰っていることがまるっきり反対なので、会員は信じられないと思いますが、これが現実です。

では謗法罪とは何かということについて、この後このようにあります。

 問うていはく、なんらの相か、これ誹謗正法なるやと。
 答へていはく、もし無仏・無仏法・無菩薩・無菩薩法といはん。かくのごときらの見をもつて、もしは心にみづから解り、もしは他に従ひてその心を受けて決定するを、みな誹謗正法と名づくと。

(現代語訳)

 問うていう。正しい法を謗るとは、どのようなことをいうのか。
 答えていう。仏もなく仏の教えもなく、菩薩もなく菩薩の教えもないというような考えを、自分自身でおこしたり、他の人に教えられて、その通りと心に定めることを、みな正しい法を謗るというのである。

これも簡単に言えば、

謗法罪とは、仏教を信じることなく否定すること。

要するに異教徒のことを謗法罪の人というのです。

異教徒は往生を願いませんから異教徒のままで救われることはあり得ないのは筋の通った話です。
全人類が謗法の者という話は、親鸞聖人の教えからはあり得ないのです。

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コメント

高森会長がろくに聖教を読んでいないことがよく分かります。
聖教の内容について議論するなんてほぼゼロで、高森会長の下らない説法を一言一句覚える行為が尊重されてとんでもなく苦痛だったな…。

投稿: | 2016年6月21日 (火) 23時54分

たとえ積極的に否定してこなくても
数多くのキリスト教やイスラム教の人全てが謗法罪なのでしょうか。
もちろんそのまま往生できないのはわかってますが

投稿: | 2016年6月21日 (火) 23時58分

親鸞聖人や仏教を否定する気はありません。ただ知りたいだけです。

投稿: | 2016年6月22日 (水) 00時10分

仮の話ですが、異教徒であっても、仏教を尊重し、仏の教えが正しいと思っているなら、謗法罪には当たらないと思います。要するに、 否定するかどうかです。

投稿: 飛雲 | 2016年6月22日 (水) 05時33分

いわゆる「阿弥陀には隔つる思いなけれども蓋ある水に月は宿らじ」ですか。

投稿: | 2016年6月23日 (木) 23時10分

過去あの団体はずっと謗法罪を法謗罪と言ってましたね。
そのことからもデタラメな知識でやっていたことが窺い知れます。

投稿: | 2016年6月25日 (土) 02時33分

初めてコメントします。自分から見ると、世の中には、所詮この世には神も仏もないと思っている人もけっこういると思います。悪行はしていなくても仏教に否定的な人間はたくさんいる気がするんです。自分は未成年なのでこう思うんですが、特に若い世代は、どうせ神様仏様なんていないと思ってる連中が多数いると思います。そういう人はずっとそのまま生きて他界すると、やはり法謗罪として無間地獄に堕ちるんでしょうか?

投稿: | 2016年6月29日 (水) 23時56分

上の人へ

飛雲さんが謗法罪としか書かれていないのに、法謗罪と敢えて書くのは、親鸞会の会員の証しですね(笑)

投稿: 上の人へ | 2016年6月30日 (木) 02時35分

入門コースとしてはなかなかですが、繰り返されると頭に残るようになります。例えば、因果律は大変奥が深いですが、ごく入門を繰り返されると「それが全て」になります。

投稿: | 2016年6月30日 (木) 08時34分

親鸞会はいろんな活動をしている。浄土真宗といえど、生活態度が問われる。自覚の問題は、宗派を超えていると思う。一人(いちにん)の自覚自証あっての話ではなかろうか?

投稿: 親鸞会に多くの若い人が集まるのは何故だろう? | 2016年7月 4日 (月) 02時07分

何が言いたいのか意味不明ですが、2000畳はいつまで経っても埋まりませんね。
正本堂の落慶の時が最大で、あれから右肩下がりです。

同世代の池田なんとかさんの教団とは、雲泥の差ですし、ずっと若い大川なんとかさんの教団にも、一瞬で抜き去られて真似して映画作ったりしても何も変わってませんが。
意味不明のコメントは以後削除します。

投稿: 飛雲 | 2016年7月 4日 (月) 05時50分

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