親鸞聖人が最重要視されたのに高森会長が全く知らない阿闍世の体験1
親鸞会が映画を作って映画館で上映するということが、会員と退会者でのみ話題になっています。高森顕徹会長がボケていないなら、その意図は某国の核実験・ミサイル発射と同じです。高森会長自身と会の”偉大さ”を演出することと、会員に対して命懸けの求道という刷り込みで求心力を保ち、更なる金集めを目論んでいるだけのことです。
映画がヒットするなんて、上層部は思ってもいないでしょう。
核実験・ミサイル発射を連発する国が豊かな国だと皆さん思いますか。貧しいからこそそういった方法を使うのです。親鸞会も全く同じです。かなり苦しいことは目に見えています。
ところで、親鸞聖人が最も重要視した獲信の体験は、阿闍世の話です。高森会長がアニメまで作って必死に宣伝した韋提希の話は、親鸞聖人の御著書のどこにも紹介されていません。一方で高森会長が全く話したことのない阿闍世の獲信については、『教行信証』信巻の約4割を割いて長々と紹介されています。
この一点を見ただけでも、高森会長が親鸞聖人の教えに疎いことが判ります。
親鸞聖人が阿闍世について紹介された意図は、下品下生の者が10回の念仏を臨終に称えて往生するという、聖道門の論理からは考えられない阿弥陀仏の救いについて、その実例が阿闍世だからです。
韋提希は下品下生ではありません。下品下生とは、五逆の者です。韋提希は親を殺してはいません。阿闍世は父親を殺しています。
韋提希の獲信について親鸞聖人が紹介説明されても、下品下生の者が往生することの証明はできませんので、下品下生の者である阿闍世を親鸞聖人は取り上げられているのです。
もう一度言いますと、下品下生の者でさえも往生できることを証明する実例は、阿闍世しかいないのです。
それと阿闍世の話は、高森会長の邪義をあぶりだした根拠にもなっています。以下の多くが、阿闍世の話が説かれた『涅槃経』からも言えます。
いつもの14項目
1.獲信していない人の死後はどうなるか
親鸞聖人 六道輪廻(19願・20願の同行は化土往生)- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -- - - - -高森会長 必堕無間
2.五逆罪・謗法罪について
親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -高森会長 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている
3.善人と悪人について
親鸞聖人 善人と悪人とがいる- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -高森会長 善人はいない、すべての人は悪人である
4.獲信のために善は必要か
親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -高森会長 善をしなければ絶対に獲信できない
5.白道とは
親鸞聖人 自力の心にあらず- - - - - - - - - - - - - -高森会長 自力
6.定散二善について
親鸞聖人 定散二善を捨てよ- - - - - - - - - - - - - -高森会長 定散二善をせよ
7.19願について
親鸞聖人 19願を捨てよ- - - - - - - - - - - - - -高森会長 19願を実践せよ
8.宿善について
親鸞聖人 過去世の善根の厚薄と、往生・獲信とは関係ない- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -- - - - - - - - - - - - - - -高森会長 過去世の善根の薄い者が、そのままで往生・獲信することはありえない
9.機の深信について
親鸞聖人 自力では出離できない- - - - - - - - - - - - - - - - - -高森会長 逆謗の屍と必ず知らされる
10.法の深信について
親鸞聖人 往生ほどの一大事、凡夫のはからふべきことにあらず- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -高森会長 浄土往生が火に触ったよりも明らかに知らされる
11.善知識に無条件服従しなければならないか
親鸞聖人 法に従うのであって、人に従うのではない- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -高森会長 善知識に無条件服従せよ
12.因果の道理について
親鸞聖人 罪福の因果を信じることは自力・仏智不思議を疑う心- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -高森会長 因果の道理を深信しなければならない
13.三願転入について
親鸞聖人 聖道門の人を浄土門に導く方便が19願であり、19願の勧めはない- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -高森会長 全人類は19願から始めなければならない
14.「一向専念無量寿仏」について
親鸞聖人 諸善を廃して念仏1つになること- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -高森会長 阿弥陀仏1仏に向かって諸善をすることも含む
阿闍世の話は長いので、順番に説明していきますが、最初になぜ親鸞聖人は阿闍世を取り上げたのかです。
それについては阿闍世の話に信巻でこう仰っています。
それ諸大乗によるに、難化の機を説けり。いま『大経』には「唯除五逆誹謗正法」といひ、あるいは「唯除造無間悪業誹謗正法及諸聖人」(如来会・上)とのたまへり。『観経』には五逆の往生を明かして謗法を説かず。『涅槃経』には難治の機と病とを説けり。これらの真教、いかんが思量せんや。
(現代語訳)
さて、さまざまな大乗の教典によると、救われがたい人々について説かれている。いま『無量寿経』には、「ただし、五逆の罪を犯したり、正しい法を謗るものだけは除かれる」と説かれ、『如来会』には、「ただし、無間地獄に堕ちるような悪い行いの罪をつくったり、正しい法および聖者たちを謗るものだけは除かれる」と説かれている。また『観無量寿経』には、五逆のものの往生は説かれているが、謗法のものについては説かれていない。『涅槃経』には、治しがたい病の人々とその病とが説かれている。これらの仏の教えについて、どのように考えたらよいであろうか。
18願だけを読んでそのまま解釈すると五逆、謗法のものは救われないという結論になってしまいます。しかし、『観無量寿経』には五逆のものの救いが説かれていますので、五逆のものでも救われることが判ります。更には阿闍世の獲信によって実際に父殺しの五逆罪を犯した阿闍世が、実際に救われることが説かれています。
逆に言えば、『観無量寿経』と『涅槃経』によらなければ、五逆のものの救われることを経典上では証明できないのです。
ということは、五逆謗法の者とそうでないがいることが大前提だということです。
具体的にいえば、阿闍世は五逆の者ですが、韋提希は五逆の者ではないということです。
まあ、親鸞会の邪義など、聖教のどこを読んでも簡単に証明できますがね。
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コメント
飛雲自己を知らず。
下品下生
さるべき業縁のもよおせばいかなるふるまいもすべし。
どこをどう学問されているのか、机上の空論に至れり。
投稿: 飛雲三世を知らず。 | 2016年5月 3日 (火) 18時57分
智覚禅師、高玉禅師は、上品上生の方だと親鸞聖人が仰ってます。
親鸞会、親鸞聖人のお言葉を知らず。
親鸞聖人が、ご自身のことも含めて、全人類が下品下生だとは、全く仰っていませんし、われら五逆をば造らず、と書かれますが、そんなことさえ知らずに、厚顔無恥な会長ですよ。
投稿: 飛雲 | 2016年5月 3日 (火) 19時02分
私は、元親鸞会会員です。(30年以上在籍し ある程度の幹部でした)
親鸞会でほ、 「高森会長の話しに都合のいい親鸞聖人のお言葉」しか 教えていませんでした。
親鸞会の教えは、「高森会長の教え」であって、「親鸞聖人の教え」では ありませんでした。
「飛雲自己を知らず(たとえ意見が違うとは言え、失礼な言い方ですね。親鸞聖人は こんな失礼なこと 喜ばれますか?)」様。
私は 高森会長の言葉だけ聞いて、親鸞会を信じて ずっとずっと 人生の大切な時間とお金を使っていました。
でも ある「きっかけ」から 自分の頭で親鸞聖人の教えを確認してみました。
教行信証 を読むのは 大変でも、御文章なら 読めます。
御文章 を 自分の頭で、自分の心で 読んでみて下さい。
「凡夫往生の手鏡」と 昔 高森会長も言っていました。
「三願転入しなければ アリ一匹助からない」と言うのが、親鸞聖人の教えならば
御文章にも、「三願転入せよ」と書いてなければならないと思いますが、御文章に 三願転入は書いてありますか?
「浄土真宗」の教えを聞いているつもりでも 「高森会長の教え」に都合のいい 親鸞聖人の言葉の「一部」だけを 聞かされているのです。
どうかご自分で、親鸞聖人の教えを お確かめ下さい。
「三願転入せよ」「宿善を求めよ」と、
親鸞聖人、蓮如上人がおっしゃっておられるのか。
「親鸞聖人、蓮如上人が おっしゃっていなくても 高森会長が正しい 」と思って「高森教」の信者 として 生きて行くというのであれば、それは 「飛雲 自己を知らず様」の人生ですから、ご自由にされたらいいと思います。
でも 親鸞聖人の教えで 救われたい という気持ちで、高森会長の教えを聞きておられるのでしたら、どうぞ、 しっかり ご自分で確認されて 目を覚まして頂きたいです。
投稿: RC | 2016年5月 3日 (火) 22時36分
訂正
「自己を知らず様」ではなく
「三世を知らず様」でした。
投稿: RC | 2016年5月 3日 (火) 22時38分
RC様
コメント有難うございました。
聖教を読んだことのない会長と会員のために、上記の根拠を出しておきます。
『教行信証』信巻
禅宗の智覚、念仏の行者を讃めていはく(楽邦文類)、「奇なるかな、仏力難思なれば、古今もいまだあらず」と。
律宗の元照師のいはく(同)、「ああ教観にあきらかなること、たれか智者(智顗)にしかんや。終りに臨んで『観経』を挙し、浄土を讃じて長く逝きき。法界に達せること、たれか杜順にしかんや。四衆を勧め仏陀を念じて、勝相を感じて西に邁きき。禅に参はり性を見ること、たれか高玉・智覚にしかんや。みな社を結び、仏を念じて、ともに上品に登りき。業儒、才ある、たれか劉・雷・柳子厚・白楽天にしかんや。しかるにみな筆を秉りて、誠を書して、かの土に生ぜんと願じき」と。
ここで親鸞聖人が仰っていることは、智覚禅師のことです。智覚禅師が念仏の行者を褒め称えられたことを紹介された上で、智覚禅師は上品上生の往生を遂げられた方であったと仰っているのです。これには伏線がありまして、法然上人を非難した『興福寺奏状』に、智覚禅師のことを上品上生の往生を遂げた方とあったことです。
つまり、聖道門の主張は、智覚禅師は上品上生の往生を遂げたと伝えられているが嘘か、ということです。
それに対して親鸞聖人が、智覚禅師は上品上生の往生を間違いなく遂げられた方ですよ、その智覚禅師が念仏の行者を褒め称えられているのです、と法然上人の教えられたことの正当性を主張されたという経緯です。
法然上人も、智覚禅師のことを上品上生の往生を遂げられた方と仰っていますし、上品上生の善人が存在することを否定された善知識は、おられません。
そんな訳のわからない珍しきことを言っているのは、高森会長だけでしょう。
尤も、智覚禅師のことなど、高森会長が知っている可能性は限りなく0%に近いでしょう。『教行信証』を初め、親鸞聖人の御著書を全く読んだことがないのですから。
投稿: 飛雲 | 2016年5月 3日 (火) 22時53分
歴代の善知識で、ご自身のことを下品下生、五逆謗法の者とは、どなたも仰っていない。
歴代の善知識で、善人が存在しないと仰った方は、おられない。
歴代の善知識は、われらは五逆を造っていないと仰っている。
以上の事実から、飛雲さんの仰っていることが正しいという結論以外に導き出せない。
親鸞会は、机上の空論にもなっていない、妄想でしかない。
学問の範疇にも属さない、基地外の寝言レベル。
投稿: 元々 | 2016年5月 4日 (水) 05時34分
法然上人
われら罪業重しと云へども、いまだ五逆をばつくらず。(往生大要鈔)
五逆をもつくらさるわれらを、弥陀の名号を称念せむに往生うたかうへからず。(浄土宗大意)
聖覚法印
五逆の罪人すら、なほ十念のゆゑにふかく刹那のあひだに往生をとぐ。いはんや罪五逆にいたらず、功十念にすぎたらんをや。(唯信鈔)
われら、罪業おもしというとも、五逆をばつくらず。(唯信鈔)
これが嘘だというのが親鸞会ですね。
参考までに親鸞聖人は唯信鈔を何度も書き写されて同行に与えられていますので、唯信鈔は親鸞聖人の著書といっても過言ではありません。
法然上人、聖覚法印、親鸞聖人が
《われら五逆をばつくらず》
と仰っても、自己を知らない、三世を知らないと罵るのが親鸞会だとハッキリしましたね。
投稿: 無学 | 2016年5月 4日 (水) 09時05分
参考までに『法然上人絵伝』には、九品往生人のことが実名と根拠入りで記されています。
法然上人がこのように教えてこられたのを疑う人はいませんよ。
上品上生 智覚禅師(新修往生伝)
上品中生 尼善慧(戒珠集)
上品下生 侍従所監藤原忠季(後捨遺往生伝)
中品上生 大原沙彌(戒珠集)
中品中生 少将義孝(保胤往生伝有夢告)
中品下生 沙門智縁(戒珠伝)
下品上正 釈法敬(戒珠伝)
下品中生 覚真阿闍梨(続本朝往生伝)
下品下生 釈慧進(新修往生伝)
投稿: 無学 | 2016年5月 4日 (水) 15時31分
親鸞会の教学聖典にある
愚痴の法然房・十悪の法然
これは、法然上人が御自身は下品下生でないことを告白なされた証拠ですけど、理解できないのでしょうね。
無知の会員のために
下品上生 十悪
下品中生 破壊
下品下生 五逆
ですからね、少しはお勉強しましょう。
投稿: 無学 | 2016年5月 4日 (水) 15時42分
親鸞聖人重視???
観無量寿経の正客は???
イダイケでは???
もししからば、南都・北嶺(なんと・ほくれい)にもゆゆしき学生(がくしょう)たち、おほく座せられて(おわせられて)さふらうなれば、かのひとにもあひたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。
それを読んで、京都、奈良でさぞかし学んだであろう飛雲等
親鸞聖人の皮肉、
>智覚禅師、高玉禅師は、上品上生の方だと親鸞聖人が仰ってます。
これもまたしかり
投稿: | 2016年5月 5日 (木) 09時15分
ブログを読んでいないか、読む能力がないのかどちらかでしょう。
阿闍世の話は『涅槃経』です。『観無量寿経』については、親鸞聖人は引用された箇所は殆どないです。韋提希の話もないです。
法然上人が智覚禅師は上品上生の往生人と仰って、同じことを仰ったのが親鸞聖人。
もう一度、法然上人が仰ったことをそのまま教えられたのです。
法然上人は皮肉でも何でもなく、上品上生から下品下生の往生人について認めておられます。
熊谷次郎直実は、上品上生の往生を再度目指すとまで言ったくらいです。
それで、全人類が下品下生だと仰った根拠でも見つかりましたか?
ないから妄想を書くしかないのでしょうけど。
何でも皮肉だとか、そんな意味ではないとか、誰も言っていないこと、書いていないことを本当はこうだとかいうのは、幸福の科学や創価学会と同じですね。
投稿: 飛雲 | 2016年5月 5日 (木) 09時23分
教行信証に皮肉が書いてあるとか、さすがカルトの発想。
対面で仰ったことと、根本聖典を同じレベルで考える愚かさに笑える。
投稿: (笑) | 2016年5月 5日 (木) 10時29分
そのうち高森会長は苦し紛れに「あれは親鸞聖人がギャグで仰ったものだ」とか言い出しそうですねw
無二の善知識を名乗る人物が「お聖教を読んだことがない」ことのほうが、よっぽどギャグなんですが(笑)
投稿: K | 2016年5月 6日 (金) 16時08分