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2016年2月11日 (木)

『なぜ生きる2』のトンデモ邪義40

先日、親鸞会の自称獲信者と、法論をしました。厳密には、法論といえるようなレベルではなく、相手が体験談を延々と述べ続けるだけでした。5年前にも、同人物とやりあっていますので、最初から結果は判っていましたが、数回のやり取りであっけなく逃亡してしまいました。ここに紹介するまでもない内容ですが、簡単に報告だけしておきます。

さて、高森顕徹会長も自称獲信者も、二種深信を、地獄一定と極楽一定が同時に知らされることという、異教徒のような体験と説明していますが、そうではないことを前回説明しました。

ところで今日の真宗では、二種深信を、自力無功、他力全託と説明しますが、これは存覚上人の『六要鈔』にある二種深信の解説によっています。

「無有」等とは、正しく有善・無善を論ぜず、自の功を仮らず、出離は偏に他力に在ることを明かす。聖道の諸教は盛んに生仏一如の理を談ず。今の教は自力の功なきことを知るに依りて、偏に仏力に帰す。これに依りて、この信は殊に最要なり。
「無疑」等とは、「若不生者不取正覚」、正覚既に成ず、故に無疑という。「即得往生住不退転」一念誤ることなし、故に無慮という。

何のことか判りにくいかもしれませんが、前半が機の深信の説明で、後半が法の深信の説明です。
善導大師、親鸞聖人の仰っている内容を深く掘り下げて、

機の深信を「自の功を仮らず」
「自力の功なきこと」
法の深信を「出離は偏に他力に在る」「偏に仏力に帰す」

とまとめられています。

もちろん存覚上人の解釈にも、高森会長や親鸞会の自称獲信者の体験に合うようなことはどこにもありません。

それでは、お待ちかねの第三深信について述べます。

『散善義』にある第三深信

また決定して深く、釈迦仏この『観経』に三福九品・定散二善を説きて、かの仏の依正二報を証讃して、人をして欣慕せしむと信ず。

を親鸞聖人は『教行信証』信巻と化土巻で引かれています。

『観無量寿経』の定散二善および19願は浄土を「欣慕」、つまり願い慕わせるためだけで捨て去るべきものという意味と、聖道門から浄土門へ導くという方便の役割を説明されていることになります。念のために説明しておきますと、浄土を願わせるのですから、浄土を願っていない人、つまりは聖道門の人のために、『観無量寿経』の定散二善および19願という方便があるのだ、ということです。

親鸞聖人は、同じ化土巻で

如来の異の方便、欣慕浄土の善根なり。

と仰っています。

存覚上人は『六要鈔』でこの解説を

『観経』の所説は定・散・弘願の三門なり。而るに定散を説くことは弘願を顕わさんが為なり。『選択集』に云わく「また定散を説くことは、念仏の余善に超過せることを顕さんが為なり。もし定散なくは、何ぞ念仏の特に秀たることを顕さん。例せば法華の三説の上に秀でたるが如し。もし三説なくは、何ぞ法華の第一なることを顕さん。故に今定散は廃のために而も説き、念仏三昧は立のために而も説く」已上。故に定善を請するは随他の教を顕わす。その定善の外に、仏は散善を開して散動の機に応ず。その散機の中に、なお廃悪修善に堪えざるあり。仏はその機の為に念仏の行を説く。この義に依るが故に、初に微咲する所は、定機に約すといえども、仏の本懐は遂に念仏に在り。今この解釈はこの義を顕わすなり。

とされています。

判りにくいかもしれませんが、簡単に言うと、『選択本願念仏集』の「また定散を説くことは、念仏の余善に超過せることを顕さんが為なり。もし定散なくは、何ぞ念仏の特に秀たることを顕さん。」の意味ということす。

更には「定善の外に、仏は散善を開して散動の機に応ず。その散機の中に、なお廃悪修善に堪えざるあり。仏はその機の為に念仏の行を説く。」と、善人に定散二善を説かれ、廃悪修善のできない悪人のために念仏は説かれたとの解説もつけられています。

6年前のmixiでの三願転入の法論では、ここが最大のウイークポイントでした。今でもそれは変わりません。

第三深信についてまとめると、

19願諸善は聖道門の善人のために建てられて、その意義は、聖道門の人を浄土門に導きいれるための方便。
一方で、廃悪修善のできない悪人には、19願諸善は関係なく、18願念仏を最初から説かれて勧められている。

こういうことです。

親鸞聖人の教えられていることはどこを読んでも同じですが、それを故意に捻じ曲げているのが高森会長なのです。

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コメント

その親鸞会の自称獲信者は何のために飛雲さんに会いに来られたのでしょうか?
自説を認めてほしかったのでしょうか。。

投稿: YGM | 2016年2月12日 (金) 09時32分

YGM様

会いに来たのではなくて、メッセージでのやりとりです。
ネット上のある場所で、退会者と僧侶に対して法論的なことをしていたので、私が親鸞会の間違いを端的に示したら、すぐに引っ込んだのですが、その後怒りが治まらなかったのでしょう。私に直接メッセージを送ってきたので、そこで更に追い打ちをかけるように親鸞会の間違いを送ったら、時間がほしいと言ったきり、音信不通になったという経緯です。
認めてもらいたかったというよりも、絶対に自分が正しいのにネット上で恥をかかされたので、他の人に見えないところで恨みをぶつけたかったのでしょうが、理論も根拠もない体験談しか言えないので、法論にもなりませんでした。

投稿: 飛雲 | 2016年2月12日 (金) 12時12分

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