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2016年1月 8日 (金)

『なぜ生きる2』のトンデモ邪義35

親鸞会を非難すると、以前は必死になって親鸞会の正当性を主張してきました。ところが今では、親鸞会を非難すると、非難したことに抗議してきます。つまり、自分たちが正しいことをしているという自信がなく、他人を非難することは悪いことだと喚き散らすだけです。親鸞会は落ちるところまで落ちたという感じです。

それはそのまま、親鸞会のトップである高森顕徹会長の自信のなさを反映したものです。

2年前には高森会長の自信作であった『なぜ生きる2』ですが、15章にはこんなことも書いています。

 本気で善に向かうと、ぞくりとするような横顔が見えて自己嫌悪感を懐かせる。ゆるがず真面目に自己と対峙しないと、知り得ぬ心の相であろう。

 以下は、その文証である。
悪業をば恐れながら、すなわち起こし、善根をばあらませども、得ること能わざる凡夫なり」        (『口伝鈔』上・四)

「悪業を恐れる心」が、どうして起きるのか。「善根をあらます心」が、どうして現れ、「得ること能わざる凡夫(人間)」と知らされるのだろう。
 すべては弥陀の修諸功徳の願力(十九願)であり、たゆまぬ釈迦の廃悪修善の教導からである。
 弥陀の十九願の光明が「善根をあらませども得ること能わざる」人間の実態を照らしだされるのだ。

ここまで根拠もない話を創作するには、書いた当時は自信に満ち溢れていたのかもしれません。しかし、完全な妄想です。

実際に『口伝鈔』の前後を見れば、一目瞭然です。少し長いですが、覚如上人が親鸞聖人のお言葉として書かれた部分です。

上人[親鸞]仰せにのたまはく、
「某はまつたく善もほしからず、また悪もおそれなし。
善のほしからざるゆゑは、弥陀の本願を信受するにまされる善なきがゆゑに。悪のおそれなきといふは、弥陀の本願をさまたぐる悪なきがゆゑに。
しかるに世の人みなおもへらく、善根を具足せずんば、たとひ念仏すといふとも往生すべからずと。またたとひ念仏すといふとも、悪業深重ならば往生すべからずと。
このおもひ、ともにはなはだしかるべからず。
もし悪業をこころにまかせてとどめ、善根をおもひのままにそなへて生死を出離し浄土に往生すべくは、あながちに本願を信知せずともなにの不足かあらん。
そのこといづれもこころにまかせざるによりて、悪業をばおそれながらすなはちおこし、善根をばあらませどもうることあたはざる凡夫なり。
かかるあさましき三毒具足の悪機として、われと出離にみちたえたる機を摂取したまはんための五劫思惟の本願なるがゆゑに、ただ仰ぎて仏智を信受するにしかず。
しかるに善機の念仏するをば決定往生とおもひ、悪人の念仏するをば往生不定と疑ふ。
本願の規模ここに失し、自身の悪機たることをしらざるになる。
おほよそ凡夫引接の無縁の慈悲をもつて修因感果したまへる別願所成の報仏報土へ五乗ひとしく入ることは、諸仏いまだおこさざる超世不思議の願なれば、たとひ読誦大乗・解第一義の善機たりといふとも、おのれが生得の善ばかりをもつてその土に往生することかなふべからず。
また悪業はもとよりもろもろの仏法にすてらるるところなれば、悪機また悪をつのりとしてその土へのぞむべきにあらず。

 しかれば機に生れつきたる善悪のふたつ、報土往生の得ともならず失ともならざる条勿論なり。さればこの善悪の機のうへにたもつところの弥陀の仏智をつのりとせんよりほかは、凡夫いかでか往生の得分あるべきや。
さればこそ、悪もおそろしからずともいひ善もほしからずとはいへ」。

(石田瑞磨著『親鸞全集』の現代語訳)

聖人が仰せられたことには、
「わたしは決して、善を行ないたいとも思わないし、また悪を犯すことも恐れはしない。
善を行いたいとも思わないわけは、阿弥陀仏の本願を頂いて信ずる以上に勝れている善はないからであり、悪を恐れないというのは、阿弥陀仏の本願のはたらきをさまたげる悪は無いからである。
ところが世間のひとはつねに「善のたねをたくわえなければ、たとい念仏を称えるとしても、浄土に生れることはできない」と思い、また「たとい念仏を称えるとしても、罪悪が重ければ、浄土に生れることはできない」と思っている。
しかし、この考えは二つともはなはだしく間違っている。
もし、心のままに悪事をとどめ、思いどおりに善のたねをそなえて、この生死をくりかえす迷いから逃れ出て、浄土に生れることができるときは、強いて阿弥陀仏の本願を信じ、納得しなくても、なんの不足があろうか。
しかしこれがいずれも意のままにならないために、罪を恐れながらも、恐れる心のはしからこれを犯し、善のたねをたくわえたいと願っても、そうすることができない愚かなものなのである。
こうした、貪りと怒りと心の暗い愚かさとにまみれ、罪悪を犯す素質だけしかもたない、自分の力では迷いから逃れ出る途の絶えた素質のひとを救い取るために、五劫という永いあいだ、熟思に熟思を重ねた末、たてられた本願であるから、ただ仰いで、この阿弥陀仏の智恵を信ずるよりほかにはない。
ところが、善を行える素質をもったものが念仏を称えるのを見ると、かならず浄土に生れることができると思い、悪人が念仏するのを見ると、生れるとはかぎらないと疑うから、
ここに本願の面目は失われ、また自分が悪しか行えないことが素質のものであることを知らないで終わるのである。
おおよそ、愚かなものを救おうとする絶対平等の慈悲をもって、修行の結果、その目的のとおりに、成就することができた真実の仏の浄土に、どんな教えを奉ずるものもすべて等しく導きいれようという阿弥陀仏の誓いは、阿弥陀仏以外の諸仏のいまだかつておこしたことのない、どのような世界にもなかった、思惟を超えた誓いであるから、たといつねに大乗の経典を読み、勝れた教えを理解することができる素質のよいひとであっても、生れつきそなわっている善だけで、その浄土に生れることは許されない。
また悪い行為は、もともと仏の教えからは捨てられるものであるから、罪悪を犯す素質だけしかもたないものが悪をますます重ねることによって、その浄土に行くというものでもない。

こうしたわけだから、生れつき素質としてそなえている善・悪のいずれも、真実の浄土に生れるための好条件にも悪条件にもならないということは、もちろんである。
したがって、この善・悪の素質をそなえたままで、与えられたところの阿弥陀仏の智恵をますますはげしくたのむよりほかに、愚かなものにどうして浄土に生れるための好条件があるだろうか。あるはずがないのである。
だからこそ、「悪を犯すことも恐れはしない」ともいい、「善を行いたいとも思わない」ともいったのである。」

如何でしょうか。
親鸞会の考えはまさしく

善根を具足せずんば、たとひ念仏すといふとも往生すべからずと。またたとひ念仏すといふとも、悪業深重ならば往生すべからずと。

これです。善が間に合わないと教えてはいますが、善をせずしては救われない、19願を実践せずしては救われないというその心は、これです。それを親鸞聖人は完全に否定されています。

このおもひ、ともにはなはだしかるべからず。

親鸞聖人が完全否定された理由が

悪業をばおそれながらすなはちおこし、善根をばあらませどもうることあたはざる凡夫なり。

です。
善に向かうことを否定されているのに、善に向かったらこれが判るとかという話ではありません。もし、高森会長の言う自己嫌悪感を懐かないと救われないのであれば、「読誦大乗・解第一義の善機」は、救われません。というより、高森理論では「読誦大乗・解第一義の善機」が存在することはあり得ない話になっていますが、親鸞聖人は、その存在を認めておられます。
善に向かおうともしない、廃悪修善をする気の起こらない者でも、何の障りもなく、平等にそのまま救うために、阿弥陀仏が五劫の思惟をされて、善悪関係なく救う本願を建てられたのです。

しかれば機に生れつきたる善悪のふたつ、報土往生の得ともならず失ともならざる条勿論なり。

善をしたとかしないとか、往生には何の関係もないのです。

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コメント

飛雲様、本年もご教授よろしくお願いいたします。
まさに高森会長は断章取義の達人であり、高森理論はどこまでも頓珍漢であることを今回のエントリーでも教えていただきました。
因果の道理ばかりを有り難がって聞いてきた講師部や幹部会員は、善悪の呪縛に取りつかれているので、「某はまつたく善もほしからず、また悪もおそれなし」の親鸞聖人の心はまず理解できないでしょう。
「今年も親鸞学徒は因果の道理を深信し、光に向かって進ませていただきましょう」の思いこそ、阿弥陀仏の本願を計らう心であり、「そのまま救う」の本願を撥ねつけている心であることが親鸞会会員は解らないのですね。
なんまんだぶ なんまんだぶ

投稿: どら焼き | 2016年1月10日 (日) 15時40分

なんとひどい断章取義。。。
気付けなかった自分が情けない

投稿: | 2016年1月12日 (火) 21時36分

どら焼き 様

こちらこそ、よろしくお願いいたします。
現会員どころか講師部員でも、この程度のことも知りません。トップが無知の塊ですから、下の者はもっと酷い無知です。


名無し 様

断章取義を故意にしている場合と、知らずに大沼師等からの盗作で曲解している場合があります。今回は後者のような気がします。

投稿: 飛雲 | 2016年1月13日 (水) 21時01分

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