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2015年11月 7日 (土)

『なぜ生きる2』のトンデモ邪義25

高森顕徹会長が意味不明な言動をとると、”深い御心”と会員は思考停止しますが、実は高森会長には深い思慮はなく、単なるその場しのぎの思いつきでしかありません。
正本堂の建設も、突然の思いつき、あんしん弁当を作ったのも、外部業者にお金を渡すよりも、親鸞会内部でお金を循環させれば、親鸞会が潤う筈、という高森会長の単純な思いつきが始まりです。法輪閣や同朋の里の購入も、使う目的なしに、なんとなく思いつきで購入し、後付けで信心の沙汰が大事、と言っただけです。

このような高森会長の”深い御心”で始まったものが、現在どうなっているかを見ると、”浅い御心”でしかないことも分かられると思います。

さて、『なぜ生きる2』13章にも”深い御心”での解釈にこうあります。

 まず釈迦はイダイケ夫人に善を勧められている。「定善」と「散善」である。

『観無量寿経』を読んだことがないのですから、正しいことを知らないのは当然でしょう。

実際、『観無量寿経』ではこうなっています。

仏、韋提希に告げたまはく、「なんぢはこれ凡夫なり。心想羸劣にして、いまだ天眼を得ざれば、遠く観ることあたはず。諸仏如来に異の方便ましまして、なんぢをして見ることを得しむ」と。ときに韋提希、仏にまうしてまうさく、「世尊、わがごときは、いま仏力をもつてのゆゑにかの国土を見る。もし仏滅後のもろもろの衆生等、濁悪不善にして五苦に逼められん。いかんしてか、まさに阿弥陀仏の極楽世界を見たてまつるべき」と。

(現代語訳)

さらに釈尊は韋提希に仰せになった。「そなたは愚かな人間で、力が劣っており、まだ天眼通を得ていないから、はるか遠くを見とおすことができない。しかし仏には特別な手だてがあって、そなたにも極楽世界を見させることができるのである」
そのとき韋提希が釈尊に申しあげた。「世尊、わたしは今、仏のお力によってその世界を見ることができます。でも、世尊が世を去られた後の世の人々は、さまざまな悪い行いをして善い行いをすることがなく、多く苦しみに責められることでしょう。そういう人たちは、いったいどうすれば阿弥陀仏の極楽世界を見ることができるでしょうか」

如何でしょうか。釈尊は韋提希に対して、「そなたの力では浄土を観ることは無理だ」と釘を刺されています。この釈尊のお言葉を承けて韋提希は、「私は釈尊のお力によって浄土を観ることができましたが、釈尊入滅後の衆生が浄土を観る方法を教えてください」と、自分のことではなく、後の衆生のために定善をお説きくださいと韋提希が釈尊にお願いをされたということです。

つまり、韋提希は最初から定善ができるとは思っていませんし、しようという気もなかったということです。
もちろん、釈尊は韋提希に定善を勧められていないのです。「そなたにはできない」と仰っていながら、「やってみろ」と釈尊が勧められたという理屈は成り立ちません。

善導大師はこれを『玄義分』に

娑婆の化主はその請によるがゆゑにすなはち広く浄土の要門を開き

(現代語訳)

娑婆の教化の主である釈迦仏は、 その韋提希の請いをもととして広く浄土の要門を開かれ

と仰っていますし、親鸞聖人も『教行信証』化土巻にも引かれています。

ちなみに、定善は誰もできないのではなく、極一部の衆生にはできることですので、その極一部の衆生のために、釈尊は定善を説かれ勧められたということです。

なお、散善は定善ができなくても他の善のできる善人に対して釈尊は説かれ勧められています。

『観無量寿経』を読めばすぐに判ることですが、高森会長は読んでいないから適当なことを言っているだけです。”深い御心”でいつまでも誤魔化すことはできませんから、古い幹部会員でも親鸞会を次々と去っていくのです。

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コメント

いつも歯切れのよいご教授有難うございます。
今回のエントリーの内容とは離れますが、蓮如上人以来の大善知識と親鸞会会員が崇める高森顕徹会長は、観経で説かれる「下品中生」にかなり該当するのではないかと思ったりします。
「下品中生といふは、あるいは衆生ありて、五戒・八戒および具足戒を毀犯せん。かくのごときの愚人は、僧祇物を偸み、現前僧物を盗み、不浄説法して、慚愧あることなく、もろもろの悪業をもつてみづから荘厳す。」
現代語訳「 次に下品中生について説こう。五戒や八斎戒や具足戒などを犯し破っているものがいる。このような愚かな人は、教団の共有物を奪い、僧侶に施されたものをも盗み、さらに私利私欲のために教えを説いて少しも恥じることがなく、いろいろな悪い行いを重ねてそれを誇ってさえいる。」
1親鸞会脱会者の勝手な思いですが。

投稿: どら焼き | 2015年11月 7日 (土) 23時22分

日本にいるインチキ宗教者はほとんど半島由来の人材
高森会長は北系じゃないかな

投稿: | 2015年11月 8日 (日) 06時36分

歎異抄の座談会で、「一章の最初は二種深信だ」と会長が言ったので、「どういうことでしょうか?」という質問が出た。
それに対し会長は何故か平生業成の話をし、詩吟をして誤魔化した。
聞いていて意味不明だったが、心の底に「どういう御心なんだろう、何か深い意味があるのでは」という思いがあった。
結局深い御心は無かった。

正本堂は昔から考えていたという話だがどうだろう。深い御心ではなく「大勢の人の前で説法したい」という名誉欲かも知れない。

投稿: | 2015年11月 8日 (日) 09時43分

深い御心が分かってない!とよく言う偉そうな講師陣が嫌いで仕方なかったな…とくにK玉

投稿: | 2015年11月 8日 (日) 14時10分

どら焼き 様

高森会長は、下品中生だと私も思います。


名無しの皆様

正本堂自体は、昔から願望はあったのですが、今の正本堂は突然の思いつきで始まりました。

「深い御心」=何も考えていないただの思いつき

こういうことです。

投稿: 飛雲 | 2015年11月 8日 (日) 14時16分

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