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2015年9月 4日 (金)

『なぜ生きる2』のトンデモ邪義17

最近の親鸞会は、物販に力を入れており、なんだかんだと理由をつけて、会員からお金を巻き上げることしか考えていないことが良く判ります。それに気が付いた何十年来の会員が、一人、また一人と親鸞会を去っている程です。

金集めの聖典である『なぜ生きる2』11章には、こんなことが書いてあります。

 かかる三願転入の教えに反する邪義を、覚如上人は吐き捨てるように、こう難じられる。

 親鸞聖人は、
 「『観無量寿経』に説かれる教え(三心)は、方便・自力の教である。『大無量寿経』に説かれている教え(三信)こそが、真実・他力の教である」
 と自力と他力を峻別される。
 その上で「方便より真実へ、自力から他力へ入るのだよ」と教えられている。
 その祖師親鸞聖人の御書を拝見したことのない輩なのだろうか。

 以下はその文証である。

三経のなかに、『観経』の至誠・深心等の三心をば、凡夫のおこすところの自力の三心ぞとさだめ、『大経』の所説の至心・信楽・欲生等の三信をば、他力よりさずけらるるところの仏智とわけられたり。
しかるに、「方便より真実へつたい、凡夫発起の三心より、如来利他の信心に通入するぞ」と教えおきまします、祖師親鸞聖人の御釈を拝見せざるにや(『改邪鈔』末・十九)

一見、尤もらしいと思われる方があると思いますが、これも断章取義です。
『改邪鈔』のこの後には、

まづ能化・所化をたて、自力・他力を対判して、自力をすてて他力に帰し、能化の説をうけて所化は信心を定得するこそ、今師(親鸞)御相承の口伝にはあひかなひはんべれ。

とあります。

つまり

方便より真実へつたい、凡夫発起の三心より、如来利他の信心に通入するぞ
自力・他力を対判して、自力をすてて他力に帰し、能化の説をうけて所化は信心を定得する

です。

高森顕徹会長の訳

「方便より真実へ、自力から他力へ入るのだよ」と教えられている。

こんな意味ではなく、

「自力(方便)と他力(真実)を比較判断して、自力をすてて他力に帰すのだよ」と教えられている。

ということです。

方便を通って真実に入るのではなく、方便は間違っているからそれを捨てて真実に入る、ということです。
これは法然上人が『選択本願念仏集』で仰った

定散を説くことは、念仏の余善に超過したることを顕さんがためなり。もし定散なくは、なんぞ念仏のことに秀でたることを顕さんや。
(中略)
ゆゑにいま定散は廃せんがために説き、念仏三昧は立せんがために説く。

と同じことで、定散を方便、念仏を真実と言い換えてみれば判られると思います。

方便を説くことは、真実の方便に超過したることを顕さんがためなり。もし方便なくは、なんぞ真実のことに秀でたることを顕さんや。
(中略)
ゆゑにいま方便は廃せんがために説き、真実は立せんがために説く。

法然上人のこの有名なお言葉を知っていれば、簡単な話ですが、親鸞聖人の御著書も読んだことがない高森会長では、法然上人のお言葉を知る由もなく、『改邪鈔』の正しい解釈ができる筈もありません。

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『なぜ生きる2』」カテゴリの記事

コメント

「方便より真実へ、自力から他力へ入るのだよ」と教えられている。

こんな意味ではなく、

「自力(方便)と他力(真実)を比較判断して、自力をすてて他力に帰すのだよ」と教えられている。

ということです。

余計判り難い( ´艸`)プププ

投稿: | 2015年9月 5日 (土) 16時58分

名無し 様

では法然上人のお言葉でなら御理解いただけますか。

方便を説くことは、真実の方便に超過したることを顕さんがためなり。もし方便なくは、なんぞ真実のことに秀でたることを顕さんや。
ゆゑにいま方便は廃せんがために説き、真実は立せんがために説く。

方便と真実を比較することで、方便よりも真実がはるかに超過して優れていることを伝えられ、方便の自力を直ちに捨てて真実の他力に帰しなさい。

投稿: 飛雲 | 2015年9月 5日 (土) 17時05分

「自力(方便)と他力(真実)を比較判断して、自力をすてて他力に帰すのだよ」


比較・・・相対のもの!!!

判断とはなんぞや!!!


比較判断・・・その判断が相対のものなら自力すたるのも自力

「他力に帰すのだよ」・・・???マジでそれ他力???

真仮を知らざる者達の机上の空論

投稿: | 2015年9月 5日 (土) 18時12分

方便と真実を比較することで、方便よりも真実がはるかに超過して優れていることを伝えられ、方便の自力を直ちに捨てて真実の他力に帰しなさい。

上記一緒、真仮を知らない者達の・・・

投稿: | 2015年9月 5日 (土) 18時14分

>比較判断・・・その判断が相対のものなら自力すたるのも自力

>「他力に帰すのだよ」・・・???マジでそれ他力???

>真仮を知らざる者達の机上の空論

勘違いしているのか故意か知りませんが、


親鸞聖人が、比較判断されて、ですが。

投稿: 飛雲 | 2015年9月 5日 (土) 18時15分

親鸞聖人は、真仮を知らない者ということが、あなたの主張ですか?

投稿: 飛雲 | 2015年9月 5日 (土) 18時16分

コメント


「方便より真実へ、自力から他力へ入るのだよ」と教えられている。

こんな意味ではなく、

「自力(方便)と他力(真実)を比較判断して、自力をすてて他力に帰すのだよ」と教えられている。

ということです。

余計判り難い( ´艸`)プププ

投稿: | 2015年9月 5日 (土) 16時58分

名無し 様

では法然上人のお言葉でなら御理解いただけますか。
???

余計判りづらいの余計を読みました???

「方便より真実へ、自力から他力へ入るのだよ」と教えられている。

の方が判り易いって事

皆さん色眼鏡で見てるから誤解してるけど・・・。

方便=自力
真実=他力

さて、生まれた時から他力の人~~~????
貴方方???

投稿: | 2015年9月 5日 (土) 18時27分

失礼ですが、国語の能力が低いですね。
生まれた時から、他力とは、どんな発想か訳が判りません。

投稿: 飛雲 | 2015年9月 5日 (土) 18時34分

親鸞聖人が、比較判断されて、ですが。

誰???判断って言葉使い始めた人???

投稿: 飛雲 | 2015年9月 5日 (土) 18時15分


親鸞聖人は、真仮を知らない者ということが、あなたの主張ですか?

投稿: 飛雲 | 2015年9月 5日 (土) 18時16分

親鸞聖人は、真仮を知られたから!!!はっきり違いを教えられ!!!
しかし聞く側は、真も仮も、その違いも水際ハッキリ知らないから比較されて初めて耳にする。
自力を教える為に他力、他力を教える為に自力。
しかし、それは、合点

投稿: | 2015年9月 5日 (土) 18時34分


さて、生まれた時から他力の人~~~????
貴方方???


投稿: | 2015年9月 5日 (土) 18時27分


失礼ですが、国語の能力が低いですね。
生まれた時から、他力とは、どんな発想か訳が判りません。

投稿: 飛雲 | 2015年9月 5日 (土) 18時34分

>生まれた時から、他力とは、

そうゆう人は居ないと理解してよろしい???

投稿: | 2015年9月 5日 (土) 18時37分

「方便より真実へ、自力から他力へ入るのだよ」と教えられている。

の方が判り易いって事

皆さん色眼鏡で見てるから誤解してるけど・・・。

方便=自力
真実=他力

生まれた時皆、自力なら・・・

そのままじゃん(*^ー゚)bグッジョブ!!

投稿: | 2015年9月 5日 (土) 18時40分

全く意味不明です。


国語のレクチャーをしてあげます。


生れた時は他力ではない。
親鸞聖人が「方便と真実とを比較して判断されて教えて下された」ので、
親鸞聖人の教えの通りに方便を捨てて他力に帰す。


これだけのこと。

投稿: 飛雲 | 2015年9月 5日 (土) 18時43分

コメント


「方便より真実へ、自力から他力へ入るのだよ」と教えられている。

こんな意味ではなく、

「自力(方便)と他力(真実)を比較判断して、自力をすてて他力に帰すのだよ」と教えられている。

ということです。

余計判り難い( ´艸`)プププ

投稿: | 2015年9月 5日 (土) 16時58分

生まれた時は皆自力、宿縁熟して真実他力に出会えば・・・机上の空論でなくてねΣ(・ω・ノ)ノ!

投稿: | 2015年9月 5日 (土) 18時45分

ちなみに、

自力とは、自分の力で往生しようと思うこと。

生れた時に、自力ではない。

高森会長の言葉を使うなら無力。

無力から、往生しようという気持ちが起きてはじめて自力となる。

自力では助からないから、他力に帰しなさい。

これだけのこと。

投稿: 飛雲 | 2015年9月 5日 (土) 18時46分

生れた時は他力ではない。
親鸞聖人が「方便と真実とを比較して判断されて教えて下された」ので、
親鸞聖人の教えの通りに方便を捨てて他力に帰す。


これだけのこと。


投稿: 飛雲 | 2015年9月 5日 (土) 18時43分
(;´д`)トホホ…「これだけ」が「これだけ」とハッキリしてないから・・・貴方みたいに(A;´・ω・)アセアセ

投稿: | 2015年9月 5日 (土) 18時49分

>生まれた時は皆自力、宿縁熟して真実他力に出会えば・・・机上の空論でなくてねΣ(・ω・ノ)ノ!

無知の証拠ですね。


『唯信鈔文意』

自力のこころをすつといふは、やうやうさまざまの大小の聖人・善悪の凡夫の、みづからが身をよしとおもふこころをすて、身をたのまず、あしきこころをかへりみず、ひとすぢに具縛の凡愚・屠沽の下類、無碍光仏の不可思議の本願、広大智慧の名号を信楽すれば、煩悩を具足しながら無上大涅槃にいたるなり。

(現代語訳)
自力の心を捨てるということは、大乗・小乗の聖人、善人・悪人すべての凡夫、そのような色々な人々、さまざまなものたちが、自分自身を是とする思いあがった心を捨て、わが身をたよりとせず、こざかしく自分の悪い心を顧みたりしないことである。それは具縛の凡愚・屠沽の下類も、ただひとすじに、思いはかることのできない無礙光仏の本願と、その広く大いなる智慧の名号を信じれば、煩悩を身にそなえたまま、必ずこの上なくすぐれた仏のさとりに至るということである。

『一念多念証文』

自力といふは、わが身をたのみ、わがこころをたのむ、わが力をはげみ、わがさまざまの善根をたのむひとなり。

(現代語訳)
自力というのは、わが身をたのみとし、わが心をたのみとすることであり、自分の力を頼って行にはげみ、自分がつくるさまざまな善を頼りにする人のことである。

『末灯鈔』

まづ自力と申すことは、行者のおのおのの縁にしたがひて余の仏号を称念し、余の善根を修行してわが身をたのみ、わがはからひのこころをもつて身・口・意のみだれごころをつくろひ、めでたうしなして浄土へ往生せんとおもふを自力と申すなり。

(現代語訳)
まず自力ということは、行者がそれぞれの縁にしたがって、阿弥陀仏以外の仏の名号を称え、あるいは念仏以外の善を修めて、自身をたのみとし、自らのはからい心で、身・口・意の三業の乱れをとりつくろい、立派に振舞って浄土に往生しようと思うことを自力というのです。

『教行信証』化土巻

定散の専心とは、罪福を信ずる心をもつて本願力を願求す、これを自力の専心と名づくるなり。

(現代語訳)
定善の専心・散善の専心とは、罪を恐れ自分の善をあてにする心で本願力を願い求めるのであり、これを自力の専心というのである。

親鸞聖人は自力についていろいろの言い方をされています。

・みづからが身をよしとおもふこころ
・わが身をたのむ
・わが心をたのむ
・あしきこころをかへりみる
・余の仏号を称念する
・余の善根を修行する
・身・口・意の三業の乱れをとりつくろう
・めでたうしなす
・罪福を信ずる心をもつて本願力を願求す

投稿: 飛雲 | 2015年9月 5日 (土) 18時49分

ちなみに、

自力とは、自分の力で往生しようと思うこと。

生れた時に、自力ではない。

高森会長の言葉を使うなら無力。

無力から、往生しようという気持ちが起きてはじめて自力となる。

自力では助からないから、他力に帰しなさい。

これだけのこと。

投稿: 飛雲 | 2015年9月 5日 (土) 18時46分

投稿: | 2015年9月 5日 (土) 18時50分

>(;´д`)トホホ…「これだけ」が「これだけ」とハッキリしてないから・・・貴方みたいに(A;´・ω・)アセアセ

親鸞会お得意の体験談ですね。

あなたの根拠は体験談だけです。

投稿: 飛雲 | 2015年9月 5日 (土) 18時51分

ちなみに、

自力とは、自分の力で往生しようと思うこと。

生れた時に、自力ではない。

高森会長の言葉を使うなら無力。

無力から、往生しようという気持ちが起きてはじめて自力となる。

自力では助からないから、他力に帰しなさい。

これだけのこと。

投稿: 飛雲 | 2015年9月 5日 (土) 18時46分
Σ(゚д゚lll)アブナッ !飛雲三世を知らず

投稿: | 2015年9月 5日 (土) 18時51分

いつもいいますが、聖教上の根拠をもって、反論されるのなら、大いに歓迎します。

しかし、体験談や妄想を根拠にコメントを続けられても、迷惑なだけですので、コメントを禁止しておきました。

投稿: 飛雲 | 2015年9月 5日 (土) 18時53分

親鸞会も相当にレベルが落ちましたね。

まさに、根拠は体験談のみ。

自力の定義も知らなければ、もちろん他力の定義も知らない。

>生まれた時は皆自力

キリスト教徒もイスラム教徒も皆自力なんだってさ。あほくさ。

しかも言語能力は小学生並。

これでは余りにもお粗末。

投稿: 自慢できるのは体験談だけ | 2015年9月 5日 (土) 19時26分

今度はタブレットを売るとか聞きました。

さて、お聖教はもとの文脈が大事なのかなと思います。今回の内容で言うと、

○凡夫自力の心行をおさへて仏智証得の行体といふ、いはれなき事

という章です。
観経の信心を真実と思い「煩悩成就の凡夫の妄心をおさへて金剛心といひ、行者の三業所修の念仏をもつて一向一心の行者とす」という自力的な誤りを、「観経の信心な方便だ。方便は捨て物である」と正されているのが今回の記事に引用されたお言葉で、
なぜ2にあるような「方便を通れというお言葉だ」という解釈は出てこない、と理解しています。

投稿: | 2015年9月 5日 (土) 20時02分

Σ(゚д゚lll)アブナッ !さま

さよなら親鸞会で回答できずに逃げてこられた方か、それとも同じ主張の方ですか?この絵文字は会からの通達ですか?頭があるならもう少し使いましょう。もしよければ、さよなら親鸞会の回答待ちの質問【953】にご回答下さい。

投稿: てんだら | 2015年9月 5日 (土) 20時29分

さよなら親鸞会の投稿、ホントに見苦しい。理解力が欠落し過ぎてるから法論でもなんでもなくただの荒らし。相手するだけ無駄。

投稿: | 2015年9月 5日 (土) 20時52分

>臨終現前の願により
 釈迦は諸善をことごとく
 『観経』一部にあらわして
 定散諸機をすすめけり

『観無量寿経』の顕説(方便)は、「定散諸機」に勧められたものだということです。「定散諸機」とは定善の機、散善の機のことで、いわゆる善人です。


あなたは善人ですか?極重の悪人ですか?

最初から極重の悪人である人はいると思いますか?

投稿: | 2015年9月 8日 (火) 18時18分

しかるに、いま『大本』(大経)によるに、真実・方便の願を超発す。また『観経』には、方便・真実の教を顕彰す。『小本』(小経)には、ただ真門を開きて方便の善なし。ここをもつて三経の真実は、選択本願を宗とするなり。また三経の方便は、すなはちこれもろもろの善根を修するを要とするなり。
(教行信証化土巻)

仏教で方便とは、私たちを真実に近づけ、真実を体得させるのに絶対必要なもの。

かなめ【要】

1 ある物事の最も大切な部分。要点。「組織の要となる人」「肝心要」

投稿: | 2015年9月 8日 (火) 18時24分

最後の名無し 様

>あなたは善人ですか?極重の悪人ですか?

さあ、どうでしょう。というよりも、そんなことは無意味な質問です。
ちなみに、善知識方は、誰一人、御自身のことを極重の悪人とは仰っていません。

「われら五逆をつくらず」とは、法然上人、聖覚法印、そしてそれを写された親鸞聖人のお言葉でもあります。

最初から極重の悪人とか、途中から極重の悪人とか、それがなんなのでしょうか?


何度でも言いますが、聖教に基づいた議論なら大いに歓迎しますが、体験談や妄想はお断りです。

投稿: 飛雲 | 2015年9月 8日 (火) 18時25分

教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)』の補註

 方便とは、仏が衆生を救済するときに用いられるたくみな方法をいう。
その中に真実と権仮とがある。
真実の方便とは、仏の本意にかなって用いられる教化の方法で、随自意の法門をいう。
それは、大智を全うじた大悲が巧みな方法便宜をもって衆生を済度されるというので、
善巧方便ともいう。阿弥陀仏を方便法身というときの方便がそれである。
 権仮方便とは、未熟な機は直ちに仏の随自意真実の法門を受けとれないから、
その機に応じて、仮に暫く誘引のために用いられる程度の低い教えをいう。
機が熟すれば真実の法門に入らしめて、権仮の法門は還って廃せられる。
このように暫く用いるが、後には還って廃するような随他意の法門を権仮方便という。
「方便化身土」といわれるときの方便がそれである。
 親鸞聖人は四十八願の中で、往生の因を誓われた第十八願、第十九願、第二十願のうち
第十八願のみが真実願であり、第十九願、第二十願は方便願であるとされた。
第十八願は、他力回向の行信によって、真実報土の果を得しめられる真実願であり、
第十九願は、自力諸行によって往生を願うものを、臨終に来迎して方便化土に往生せしめることを誓われたものであり、
第二十願は、自力念仏によって往生を願うものを、方便化土に往生せしめることを誓われた方便願であるといわれるのである。
そしてこの三願は、聖道門の機を浄土門に誘うために第十九願が、
自力諸行の機を念仏の法門に導き、さらにその自力心を捨てしめて
第十八願の他力念仏往生の法門に引き入れるために第二十願が誓われたとされている。

投稿: 飛雲 | 2015年9月 8日 (火) 18時28分

>臨終現前の願により
 釈迦は諸善をことごとく
 『観経』一部にあらわして
 定散諸機をすすめけり

『観無量寿経』の顕説(方便)は、「定散諸機」に勧められたものだということです。「定散諸機」とは定善の機、散善の機のことで、いわゆる善人です。


定散諸機=弥陀の救いを求めて定散二善を実践している機

あなたの理屈では、定散二善を実践している機に定散二善が勧められた、

つまり、定散二善を実践している機のために定散二善を釈迦が説かれたことになりますが、よろしいでしょうか?

投稿: | 2015年9月 8日 (火) 18時59分

>そしてこの三願は、聖道門の機を浄土門に誘うために第十九願が、

その通りですが、十九願の誓いの相手は、
十方衆生ですが、あなたは漏れていますか?

投稿: | 2015年9月 8日 (火) 19時04分

問い
親鸞聖人は、「臨終現前の願により 釈迦は諸善をことごとく 『観経』一部にあらはして 定散諸機をすすめけり」(浄土和讃)と仰っています。釈尊は『観無量寿経』を通して、獲信のために諸善を全ての人に勧められている、と親鸞聖人は教えられているではないですか。


答え
しっかり読んでください。「定散諸機をすすめけり」です。定散諸機に対して諸善を勧められた、と仰っているのですが、何を勘違いしているのですか。何度も言ってきたように、逆悪の機に対する定散諸機です。
法然上人の「善人をすすめ給へる所をば善人の分と見、悪人を勧め給へる所をば我分と見て」(勅修御伝)、存覚上人の「上根の機には諸行を授け、下根の機には念仏をすすむ。」(持名鈔)と同じことを親鸞聖人が仰った根拠です。

問い
「定散諸機をすすめけり」であって、「定散諸機にすすめけり」ではありません。「定散諸機をすすめけり」とは、定散諸機になるように勧められた、ということで、獲信のために全ての人に善を勧められたのではないですか。


答え
同じ『浄土和讃』に「至心・信楽・欲生と 十方諸有をすすめてぞ」とあります。あなたの理屈ならば、十方諸有になるように勧められた、となりますが、よろしいですか。まずは古文の勉強をしましょう。
なお、下輩である逆悪の機について善導大師は、「仏法・世俗の二種の善根あることなし。ただ悪を作ることを知るのみ。」(観無量寿経疏)と定義されています。「善根あることなし」ですから、定散諸機になれない者が逆悪の機です。

投稿: 飛雲 | 2015年9月 8日 (火) 19時05分

Q.19願に「十方衆生」とあるから、19願は我々に関係がない筈がない、と親鸞会では教えていますが?

A.完全なトリックですね。

聖道門の人は、18願に「十方衆生」とあっても、自分たちが18願に関係あるとは思っていません。18願の「十方衆生」とは、下劣根機、つまり悪人のことだと思っています。19願の「十方衆生」とは、上根機、つまり善人のことだと思っています。

一方で、浄土門の善知識方は、19願に「十方衆生」とあるから、全ての人に関係があることだとは言われていません。
先に述べたように、法然上人は19願についてほとんど言及さえされていませんでしたので、聖道門から非難されたくらいです。蓮如上人の『御文章』を読んでも、19願について書かれたところはありません。

高森会長のたとえを使えば、ある国の大統領選挙に立候補した人が、「私が大統領に当選したら、所得税を撤廃します」と公約したとします。国民全員と約束したのですが、国民全員に直接関係があるのではありません。所得税を払っていない人には、関係のないことです。
これが、「国民全員に、定額給付金を出します」となれば、関係のない人はありません。国民全員との約束ではあっても、約束の内容によって、国民全員に関係があるかないかが分れるのです。

高森会長が、人集め金集めのために19願を利用する口実として、「十方衆生」を持ち出しただけのことです。


Q.では、親鸞聖人には19願についての言及がありますが、どのようなものですか?

A.親鸞聖人も、19願の「十方衆生」については、聖道門の人と同じで、上根機と解釈されています。
それは、『大無量寿経』の異訳経からもいえますが、まとめると以下になります。

  大無量寿経19願の十方衆生
平等覚経 諸佛國人民有作菩薩道者(諸々の仏国の菩薩道をなす者)
大阿弥陀経 八方上下無央數佛國諸天人民若善男子善女人有作菩薩道(諸々の仏国の菩薩道をなす善男人善女人)
尊号真像銘文 「唯除五逆誹謗正法」がないから、五逆・謗法の者は除かれている
化土巻・要門釈 半満・権実の法門(聖道門)を断念した人
西方指南抄 諸行の人
浄土和讃 定散諸機

要するに、19願の「十方衆生」とは善人のことであるというのが、聖道門、浄土門共に共通した見解なのです。
従って、高森会長の解釈は、浄土門でないことはもちろんですが、聖道門とも違っているのです。

18願は悪人正機
19願は善人正機

ということです。このことを法然上人は判りやすく教えておられます。
『勅伝』に

上人の給はく、「口伝なくして浄土の法門を見るは、往生の得分を見うしなふなり。其故は極楽の往生は上は天親竜樹をすゝめ、下は末世の凡夫十悪五逆の罪人まですすめ給へり。しかるをわが身は最下の凡夫にて、善人をすゝめ給へる文を見て、卑下の心おこして、往生を不定におもひて、順次の往生を得ざるなり。しかれば善人をすゝめ給へる所をば善人の分と見、悪人を勧め給へる所をば我分と見て得分にするなり。かくのごとくみさだめぬれば、決定往生の信心かたまりて、本願に乗じて順次の往生をとぐるなり。」

とあります。善人に勧められた教えと、悪人に勧められた教えを区別されていることを知った上で、我々最下の凡夫は、悪人に勧められた教えを聞いていくことで、信心決定し、往生ができるのです。
高森会長の教えは、まさしく「口伝なくして浄土の法門を見るは、往生の得分を見うしなふなり」なのです。
まともに真宗の先生について仏教の勉強をしたことがないから、阿弥陀仏の本願を独自のデタラメ解釈に陥り、浄土門でも聖道門でもなくなった新興宗教と化しているのです。

投稿: 飛雲 | 2015年9月 8日 (火) 19時08分

今のあなたの機は?

投稿: | 2015年9月 8日 (火) 19時09分

さあ?

投稿: 飛雲 | 2015年9月 8日 (火) 19時10分

親鸞会の教えを信じて広める人は自己責任でどうなっても仕方ないと思います。他人の話を聴かない人は会長を信じて地獄に喜んで堕ちていく自力の信心に臨終まで気づかないでしょう。豊田商事の永野会長が善のススメに従い、1億3千万円以上財施しながら、最後は所持金711円になりながらも極楽往生を願い、惨殺された後、会長からは知らぬ存ぜぬの箝口令が出され、会員の後生は自己責任であることが明らかになりました。この事実がありながらも信じるならば何も手出しはできません。後は阿弥陀様のお仕事です。

投稿: | 2015年9月 8日 (火) 20時49分

親鸞聖人の教えには、信前、信後問わず、
善の勧めは、あります。

なぜなら浄土真宗は、仏教だからです。

投稿: 雲飛 | 2015年9月 8日 (火) 22時41分

叫べども 叫べども 何故に届かぬこの六字 「ゼ・ン・ノ・ス・ス・メ」 は無いからよ
BY 森高

投稿: 会長!六字違いですから!残念! | 2015年9月 8日 (火) 23時42分

それ、当流門徒中において、すでに安心決定せしめたらん人の身のうへにも、また未決定の人の安心をとらんとおもはん人も、こころうべき次第は、まづほかには王法を本とし、(中略)そのほか仁義をもつて本とし、また後生のためには内心に阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、自余の雑行・雑善にこころをばとどめずして、一念も疑心なく信じまゐらせば、かならず真実の極楽浄土に往生すべし。(御文章)

親鸞聖人の教えには、信前、信後問わず、
倫理道徳の善の勧めは、あります。
後生のためには、布施等の善を捨てよです。

投稿: 飛雲 | 2015年9月 9日 (水) 06時12分

>善人に勧められた教えと、悪人に勧められた教えを区別されていることを知った上で、我々最下の凡夫は、悪人に勧められた教えを聞いていくことで、信心決定し、往生ができるのです。

あなたは、最下の凡夫ですか?
最初から最下の凡夫ですか?

投稿: 雲飛 | 2015年9月 9日 (水) 09時17分

生まれた時から最下の凡夫である機は、いますか?

投稿: 雲飛 | 2015年9月 9日 (水) 09時25分

最下の凡夫の意味を知らないのに、愚かな質問をしない方がいいですよ。

最下の凡夫が何を意味するか、自分で調べてきてください。

一応言っておきますが、最下の凡夫の中に、極重の悪人がいるのですよ。

投稿: 飛雲 | 2015年9月 9日 (水) 09時50分

>下は末世の凡夫十悪五逆の罪人まですすめ給へり。しかるをわが身は最下の凡夫にて、

あなたは、最下の凡夫ですよね?
それともまだ善人ですか?

投稿: | 2015年9月 9日 (水) 09時55分

>大無量寿経19願の十方衆生
平等覚経 諸佛國人民有作菩薩道者(諸々の仏国の菩薩道をなす者)
大阿弥陀経 八方上下無央數佛國諸天人民若善男子善女人有作菩薩道(諸々の仏国の菩薩道をなす善男人善女人)
尊号真像銘文 「唯除五逆誹謗正法」がないから、五逆・謗法の者は除かれている
化土巻・要門釈 半満・権実の法門(聖道門)を断念した人
西方指南抄 諸行の人
浄土和讃 定散諸機
要するに、19願の「十方衆生」とは善人のことであるというのが、聖道門、浄土門共に共通した見解なのです。

あなたは、五逆・謗法の者でよろしいでしょうか?

投稿: 雲飛 | 2015年9月 9日 (水) 09時58分

さあ?

投稿: 飛雲 | 2015年9月 9日 (水) 09時59分

???

投稿: 雲飛 | 2015年9月 9日 (水) 10時04分

何度でも言っておきますが、

聖教の御文に基づいて反論されるのなら大いに歓迎です。
しかし、個人の体験談や妄想を書かれても、それと親鸞聖人の教えとは関係ありませんので、コメントを禁止します。

ふざけたHNもです。

投稿: 飛雲 | 2015年9月 9日 (水) 10時08分

可哀想に、騙されている事が分からずにさも自分が分別があるように振る舞う
ふざけたHNさん。
罪福心の意味をよく調べてください。
そして、御本典、御開山聖人のご消息をもう一度ちゃんと読んでください。
どれだけ自分を責めても何も得られません。
向かっている方向が違うのですよ。

横から失礼しました

投稿: 菊花 | 2015年9月 9日 (水) 17時33分

自分自身がが19願、20願から漏れている根拠を出せないのに、19願、20願は要らぬと言う自惚れている退会者。

投稿: ケイスケ | 2015年9月 9日 (水) 18時09分

書いてますが、読めませんか?

投稿: 飛雲 | 2015年9月 9日 (水) 18時11分

大無量寿経19願の十方衆生
平等覚経 諸佛國人民有作菩薩道者(諸々の仏国の菩薩道をなす者)
大阿弥陀経 八方上下無央數佛國諸天人民若善男子善女人有作菩薩道(諸々の仏国の菩薩道をなす善男人善女人)
尊号真像銘文 「唯除五逆誹謗正法」がないから、五逆・謗法の者は除かれている
化土巻・要門釈 半満・権実の法門(聖道門)を断念した人
西方指南抄 諸行の人
浄土和讃 定散諸機


本当に、上記の通りなら、19願は自分には要らぬというあなたは、五逆・謗法の者になりますが、それは認められますか?

投稿: ケイスケ | 2015年9月 9日 (水) 18時17分

日本語の勉強をされた方が宜しいかと。

投稿: 飛雲 | 2015年9月 9日 (水) 18時20分

風邪薬は風邪を引いた病人に、同様に19願は諸々の菩薩道を励む人に建てられた(これが応病与薬)。諸々の菩薩道を修められないから18願の法門に入る。弥陀の本願は五逆謗法の衆生も救いの対象とするが、十方衆生を五逆謗法の者と知らせる本願ではない(五逆謗法でない者もいるから)それだけのこと。

投稿: | 2015年9月 9日 (水) 19時08分

悪人は観無量寿経の下品だと聞きます。
下品の中には五逆の人もいますし、そうで無い人もいます。
そして、善人であれ悪人であれ念仏の功徳によらなければ報土往生は叶わない、というのが浄土真宗の教えではありませんか?

投稿: | 2015年9月 9日 (水) 21時20分

さっき書いた者です。ケイスケさんの仰りたい事がようやく分かりました。

19願には唯除五逆誹謗正法が無いから五逆謗法は除かれている。
ならば19願を不要という人は五逆謗法だ。

この論理の欠陥はどこかというと、
◯五逆謗法は除かれている
という事と、
◯五逆謗法以外は除かれていない
はイコールでは無いという事です。

19願からは五逆謗法の者は除かれている。これは、五逆謗法に焦点があるというよりは「19願の十方衆生には漏れている者がいる」と言いたいのであって、実際には「善人が対象である」ということです。

投稿: | 2015年9月 9日 (水) 22時08分

こういう親鸞会の非常識な態度をコメント欄で見て、
退会を決意したものですが、コメント欄を見て本当に辞めて良かったなぁ〜と思います。

知人がさよなら親鸞会のコメント欄を見て、
親鸞会の非常識さに気づいて辞めるそうです。

その調子で退会者を増やす運動頑張ってください。

投稿: 辞めて正解だったと… | 2015年9月10日 (木) 10時39分

親鸞会退会者です。
正しい浄土真宗の御教えを一から学び直しているところです。

『悪人正機』の正しい意味を知りたいのですが、
正機=悪凡夫=善が出来ない者
傍機=善凡夫=19願の善が出来る者
と、このような理解でよろしいのでしょうか?

間違っていたら教えて下さい。
どうぞよろしくお願い致します。

投稿: もん | 2015年9月10日 (木) 17時12分

もん 様

>傍機=善凡夫=19願の善が出来る者

仰りたいことはよくわかりますので、着眼点としては良いのですが、正確に言えば、

傍機=善凡夫=善が出来る者

です。
厳密に言えば、聖道門の善と19願の善は浄土を願うかどうかの違いがありますので、
「19願の善」と限定する言い方は正しくはないです。
世俗の善(倫理道徳の善)も同様で、浄土を願えば19願の善ですが、願わなければただの世俗の善です。

投稿: 飛雲 | 2015年9月10日 (木) 17時19分

飛雲様

早速のご返答ありがとうございます。
一から浄土真宗を学ぶ為に、この秋から中央仏教学院の入門課程に入学したのですが、『悪人正機』の所でいきなりつまずいてしまいました。

傍機=善凡夫=聖道門の善(現世での成仏を目指す為の善)が出来る人+19願の善(来世に浄土に生まれる為の善)が出来る人
という理解でよろしいのでしょうか?

基本的な事も理解できていないので何度も申し訳ありませんが、よろしくお願い致します。

投稿: もん | 2015年9月10日 (木) 18時42分

中央仏教学院で、悪人正機をどのように説明しているかは判りませんが、私は親鸞会関係者向けの説明をしていますので、中央仏教学院の説明と異なることがあるかもしれません。その点はご了承ください。

>傍機=善凡夫=聖道門の善(現世での成仏を目指す為の善)が出来る人+19願の善(来世に浄土に生まれる為の善)が出来る人
という理解でよろしいのでしょうか?


聖道門の善とは、大乗仏教では現世でさとりを開いて出離し最終的に仏を目指し、小乗仏教では出離を目指すということです。現世で成仏を目指すかどうかは宗派によって異なります。

19願の善は、来世に化土往生できる善ということです。浄土というと普通は報土を指すので注意が必要です。「報土に生まれる為の善」となると阿弥陀仏と同じ善ができなければ報土に生れることはできません。

投稿: 飛雲 | 2015年9月10日 (木) 18時58分

飛雲様

ご回答下さいまして、どうも有り難うございました。

親鸞会を出てみたら、自分がいかに無知であったかを知らされ、焦っています。

自分なりに色々調べてはいるのですが、なにぶん基本的な知識もあやしいので、すぐ頭が混乱してしまうのです。
これでも親鸞会の学階は講師だったのですけどね(笑)。

また質問させて頂くかもしれませんが、その時は、どうかよろしくお願い致します。

投稿: もん | 2015年9月10日 (木) 20時52分

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