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2015年7月 9日 (木)

『なぜ生きる2』のトンデモ邪義5

『なぜ生きる2』9章に、重要なキーワードとして、

生起=極悪人の十方衆生
本 =阿弥陀仏の十八願
末 =阿弥陀仏の十九願・二十願

と書かれていますが、トンデモ邪義です。

元々は、18願成就文の「聞其名号」を解釈された『教行信証』信巻の

「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。

の「仏願の生起本末」ことです。
これは当然ながら

其名号」=「仏願の生起本末

です。高森顕徹会長も、ここまでは判っていながら、

末 =阿弥陀仏の十九願・二十願

とは、どんな思考なのかと思います。
『正像末和讃』の誡疑讃に19願と20願について書かれてあります。抜粋すると

不了仏智のしるしには
 如来の諸智を疑惑して
 罪福信じ善本を
 たのめば辺地にとまるなり

仏智の不思議をうたがひて
 自力の称念このむゆゑ
 辺地懈慢にとどまりて
 仏恩報ずるこころなし

罪福信ずる行者は
 仏智の不思議をうたがひて
 疑城胎宮にとどまれば
 三宝にはなれたてまつる

仏智疑惑のつみにより
 懈慢辺地にとまるなり
 疑惑のつみのふかきゆゑ
 年歳劫数をふるととく

自力諸善のひとはみな
 仏智の不思議をうたがへば
 自業自得の道理にて
 七宝の獄にぞいりにける

19願と20願の人は仏智の不思議を疑っているのです。言い換えると18願を疑っていることになります。

仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」で、本末の18願に疑いがない状態と18願を疑って信じる19願と20願に疑いがないとは何のことかです。

もっと簡単に言うと、18願に疑いがなく、18願に疑いがあることに疑いがない、という完全な矛盾になるのです。「其名号」ですから18願だけ。

説明するのもバカらしい話です。

参考までに『一念多念証文』では

「聞其名号」といふは、本願の名号をきくとのたまへるなり。きくといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞」といふなり。またきくといふは、信心をあらはす御のりなり。

とあります。「本願をききて疑うこころなき」です。どこに18願を疑う19願と20願が入りこむ余地があるでしょうか。

勉強不足だけでなく、思考が狂っているとしか言いようがありません。

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