『なぜ生きる2』のトンデモ邪義5
『なぜ生きる2』9章に、重要なキーワードとして、
生起=極悪人の十方衆生
本 =阿弥陀仏の十八願
末 =阿弥陀仏の十九願・二十願
と書かれていますが、トンデモ邪義です。
元々は、18願成就文の「聞其名号」を解釈された『教行信証』信巻の
「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。
の「仏願の生起本末」ことです。
これは当然ながら
「其名号」=「仏願の生起本末」
です。高森顕徹会長も、ここまでは判っていながら、
末 =阿弥陀仏の十九願・二十願
とは、どんな思考なのかと思います。
『正像末和讃』の誡疑讃に19願と20願について書かれてあります。抜粋すると
不了仏智のしるしには
如来の諸智を疑惑して
罪福信じ善本を
たのめば辺地にとまるなり仏智の不思議をうたがひて
自力の称念このむゆゑ
辺地懈慢にとどまりて
仏恩報ずるこころなし罪福信ずる行者は
仏智の不思議をうたがひて
疑城胎宮にとどまれば
三宝にはなれたてまつる仏智疑惑のつみにより
懈慢辺地にとまるなり
疑惑のつみのふかきゆゑ
年歳劫数をふるととく自力諸善のひとはみな
仏智の不思議をうたがへば
自業自得の道理にて
七宝の獄にぞいりにける
19願と20願の人は仏智の不思議を疑っているのです。言い換えると18願を疑っていることになります。
「仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」で、本末の18願に疑いがない状態と18願を疑って信じる19願と20願に疑いがないとは何のことかです。
もっと簡単に言うと、18願に疑いがなく、18願に疑いがあることに疑いがない、という完全な矛盾になるのです。「其名号」ですから18願だけ。
説明するのもバカらしい話です。
参考までに『一念多念証文』では
「聞其名号」といふは、本願の名号をきくとのたまへるなり。きくといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞」といふなり。またきくといふは、信心をあらはす御のりなり。
とあります。「本願をききて疑うこころなき」です。どこに18願を疑う19願と20願が入りこむ余地があるでしょうか。
勉強不足だけでなく、思考が狂っているとしか言いようがありません。
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