『なぜ生きる2』のトンデモ邪義3
『なぜ生きる2』6章にこうあります。
もし三願転入の弥陀の救いが、親鸞聖人や一部の人に限定されることならば、十九願の人々に、折れず曲がらず速やかに二十願に進めよの、聖人の励ましは『教行信証』になかったであろう。
それが幾たびも見かけるのだ。総ての人々よ。十九の願から二十願に進んでおくれ。必ず十八願・選択の願海へ転入させて頂けるのだから。
以下は、その文証である。
「それ濁世の道俗(すべての人)、速に円修至徳の真門(二十願)に入りて、難思往生を願うべし」(『教行信証』化身土巻・末)
特定の人を「濁世の道俗」とは言われない。三願転入は、すべての人の道程だから「濁世の道俗」と言われているのである。
この詭弁を詭弁と見抜くかどうかが、会員と退会者との差になるのかもしれません。
ここは、親鸞聖人が20願を勧められたお言葉についてです。それは高森顕徹会長も認めるところですが、肝心要の19願を勧められたお言葉がないのです。親鸞聖人は「濁世の道俗」に20願を勧められているから、三願転入はすべての人の道程だ、という理屈です。
20願は果遂の誓いですから、20願から18願という道程は親鸞聖人も仰っています。
『浄土和讃』には、
定散自力の称名は
果遂のちかひに帰してこそ
をしへざれども自然に
真如の門に転入する
とあるのも同様です。
しかし、19願を必ず通るかどうかについては、ここでは関係のない話です。
20願への入り方でいえば、
1.外道・無宗教から20願に入る
2.聖道門から20願へ入る
3.19願から20願へ入る
という3通りがあります。
なぜ3が必須の道程になるのか、根拠も説明もありません。
親鸞聖人も七高僧も覚如上人も蓮如上人も仰っていないのですから、当然、そんな理屈が通る筈もありません。
19願を勧められた親鸞聖人のお言葉はなく、20願は勧められた親鸞聖人のお言葉はある
この事実が、三願転入は、すべての人の道程とならないことを証明する最大の根拠になります。
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