『なぜ生きる2』のトンデモ邪義6
コメント欄で、お粗末な理屈を捏ねている講師部員か幹部会員がいますが、お粗末以前に、真宗のイロハのイも知らないことが、当ブログの読者ならよくお判りかと思います。
聖教に基づいた議論ならいくらでもしますが、根拠のない自分勝手な理屈をいくら言われても、相手にはしません。
さて、前回の続きで、『なぜ生きる2』9章にこうあります。
阿弥陀仏の本心(十八願)は、十方衆生(すべての人)は罪悪深重の極悪人だから、一大事の後生の大荷物、とても持てるものではないから「そのまま任せ」と呼んでおられる。
だが、後生の重荷も知らず、わが身の分際も分からぬ十方衆生(すべての人)は、”ふざけるな、オレはそんな悪人じゃないぞ”と、ふてぶてしい。
”なんとかすれば、なんとかなれる”と自信満々だから、素直に弥陀の仰せには従えないのである。これを自力の心という。
この自力の心(自惚れ心)を捨て切れない十方衆生(すべての人)は、弥陀の本願(十八願)を疑い反発して、果てしない流転を重ねているのである。
これも少し考えれば判ると思いますが、すべての人が罪悪深重の極悪人だとは、七高僧も親鸞聖人も覚如上人も蓮如上人も仰っていません。善知識方が仰っていることは、罪悪深重の極悪人【でも】、十八願で救われるということです。
言葉の定義で言えば、極悪人とは五逆の罪を造った下品下生のことを指します。
『教学聖典(2)』の問24を見るとおもしろいです。
問
我々の実機を七高僧は何と言われているか示せ。
答
龍樹菩薩──儜弱怯劣
天親菩薩──普共諸衆生
曇鸞大師──造罪の人
道綽禅師──若し悪を造ることを論ずれば
何ぞ暴風駛雨に異ならん
善導大師──機の深信
源信僧都──予が如き頑魯の者
法然上人──愚痴の法然房・十悪の法然
となっていますが、どれ1つとっても罪悪深重の極悪人の意味はありません。
尤も、この問答自体も間違っていて、七高僧方の仰っているのは、こういう者がいて、そうでない者がいるという話です。
法然上人は、愚痴と十悪ですから、下品上生の軽度の悪人よりも下の意味にはなりません。高森顕徹会長は、自己矛盾にさえ気が付かない愚かさです。
一応言っておきますが、正しいかどうかは別として自分のことを極悪人と思うことは全く構いませんが、救われたら極悪人と知らされる、と教えたら、完全な邪義です。
龍樹菩薩と天親菩薩は、機の深信にあたるお言葉すら残されていません。聖道門で出離された龍樹菩薩は、儜弱怯劣ではありません。
ところで
”ふざけるな、オレはそんな悪人じゃないぞ”と、ふてぶてしい。
”なんとかすれば、なんとかなれる”
これは聖道門の修行をしている人の心です。悪人に対して説かれた方便が18願であり、念仏だ、自分は善人だから、修行によって出離し成仏を目指すのだ、というのが聖道門の人が思っていることです。
たとえば承元の法難のきっかけとなった『興福寺奏状』には、
善導一期の行ただ仏名に在らば、下機を誘ふるの方便なり。
とあり、また法然上人がお亡くなりになってから明恵高弁の書いた『摧邪輪』には、
往生宗所引の念仏の善の証文には称名の外に無量の余行あり、一一出すに邊あらず、若し彼を撥すれば念仏の深義また成ずべからず、若し汝の言う所の如く一文を守らば称名行は是れ下劣根機の為に説く所也。
(中略)
称名一行は下根の一類の為に授ずくる所也。汝何ぞ天下の諸人を以て皆下劣の根機と為す乎。無礼之至り称計す可からず、此の文証を引くに依りて称名行を執らずに非ず、唯是汝之一門、称名を以て無上殊勝の行と為し、余行を撥して下劣と為す。
と激しい口調で言っています。
ですから
この自力の心(自惚れ心)を捨て切れない十方衆生(すべての人)は、弥陀の本願(十八願)を疑い反発して、果てしない流転を重ねているのである。
は正しくは
この自力の心(自惚れ心)を捨て切れない聖道門の人は、弥陀の本願(十八願)を疑い反発して、果てしない流転を重ねているのである。
こういうことです。
親鸞聖人の教えを聞きたいと思っている人で
”ふざけるな、オレはそんな悪人じゃないぞ”と、ふてぶてしい。
”なんとかすれば、なんとかなれる”と自信満々
こんな人はいません。
親鸞会の会員でもし、
”ふざけるな、オレはそんな悪人じゃないぞ”と、ふてぶてしい。
”なんとかすれば、なんとかなれる”と自信満々
と思っている人がいたなら、その人は親鸞聖人の教えに興味ない、高森教の人だということです。
一般の人は、自力で出離できる能力もないが、極悪人まではいかない。法然上人が仰った愚痴・十悪、その程度の煩悩具足の凡夫だということです。
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コメント
日々の顕正お疲れ様です。
ご提示された教学問題はおっしゃる通りどこにも「罪悪深重の極悪人」という意味はありません。かといって、問題も確かに「我々の実機」となっております。
私なんかはそうでしたが、ここで、
「全人類の姿は極悪最下なのだから、これら七高僧はこのような柔らかい表現でおっしゃっているんだ」
とか認識せられていたのだと思いました。
親鸞会でも「曲がった松は曲がっている」と真っ直ぐに見ることを教えられているはずですが、高森会長の手に掛かれば、会員はどんなに曲げて見せられた珍釈も「正しい聖人の教え」と捉えてしまいます。
どう考えてもマインドコントロールですよね。。あな恐ろしや。。
投稿: 元◯◯会長 | 2015年7月13日 (月) 22時28分