高森顕徹会長が大惨敗し逃亡した三願転入の法論4
「欣慕浄土の善根」というのは、親鸞聖人が19願を説明なされる中で、最重要キーワードと言えますが、高森顕徹会長も講師部員も、全く聞いたことがなかったため、mixiでの法論では完全に意表を突かれた形になりました。難しい話ではないのですが、こんなことさえ知らない無二の善知識なのです。
前回述べた第三深信ですが、この善導大師の解釈について『教行信証』化土巻に
これみな辺地・胎宮・懈慢界の業因なり。ゆゑに極楽に生ずといへども三宝を見たてまつらず。仏心の光明、余の雑業の行者を照摂せざるなり。仮令の誓願(第十九願)まことに由あるかな。仮門の教、欣慕の釈、これいよいよあきらかなり。
(現代語訳)
これらはみな自力の行であって、 辺地・疑城胎宮・懈慢界といわれる方便の浄土に生れる因なのである。 だから、 浄土に生れても仏を見たてまつることができず、 教えを聞くことができず、 菩薩や声聞たちを見ることもできない。 阿弥陀仏の光明は自力の行をまじえるものを照らしおさめることはないのである。第十九願を方便の願とするのは、まことに意味深いことである。釈尊が『観無量寿経』に定善・散善を説かれ、善導大師がこれは浄土を慕い願わせるための方便の教えであると解釈されたおこころが、いよいよ明らかに知られるのである。
とあります。19願、定散二善の実践に励んでも化土往生しかできないが、ではなぜそんな教えを説かれたのかと言えば、欣慕のためである、ということです。
また『三経往生文類』にも、
観経往生といふは、修諸功徳の願(第十九願)により、至心発願のちかひにいりて、万善諸行の自善を回向して、浄土を欣慕せしむるなり。
とやはり同じことを仰っています。
浄土を願っていない聖道門の人には、浄土を願わせる「欣慕浄土善根」が必要です。浄土を願わない者が往生することはないからです。そのための19願、定散二善という方便だと親鸞聖人は繰り返し仰っているのです。
念のため、聖道門と浄土門の定義を『教行信証』化土巻から
この界のうちにして入聖得果するを聖道門と名づく
安養浄刹にして入聖証果するを浄土門と名づく
浄土を願っていない人が聖道門、浄土を願っている人が浄土門ということです。
それを先程の『三経往生文類』のお言葉を使って説明するなら、
万善諸行の自善を回向しないで、浄土を欣慕しないのが聖道門、
万善諸行の自善を回向して、浄土を欣慕するのが19願
となります。同じ善ですが、回向するかしないか、浄土を欣慕するかしないかの差が、聖道門と19願の違いになるのです。
ところが、これを敢えて捻くれた解釈をして誤魔化そうと、最近は
定散二善をすることで、十方衆生が浄土を願うのだ
と訳のわからないことを言っています。前後を反対にしたのです。
浄土を願って善を行えば、その人を19願の行者といい定散二善を修するという
が正しいのです。浄土を願っていなければ、定散二善にはなりません。聖道門の善です。
まとめて言いますと、
浄土を願っていない人とは聖道門の人のことであり、浄土を願って聖道門と同じ善を修すると、19願になり定散二善になるので、聖道門から浄土門へ導く方便の願が19願であり、方便の善が定散二善なのです。
浄土をすでに願っている浄土門の人に、「欣慕浄土の善根」は関係ないのが、親鸞聖人の教えです。
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