高森顕徹会長が大惨敗し逃亡した三願転入の法論5
退会者のブログを盗作して、近年に親鸞会が重要視するようになった『一念多念証文』の
おほよそ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり。これを要門といふ。これを仮門となづけたり。
この要門・仮門といふは、すなはち『無量寿仏観経』一部に説きたまへる定善・散善これなり。定善は十三観なり、散善は三福九品の諸善なり。これみな浄土方便の要門なり、これを仮門ともいふ。この要門・仮門より、もろもろの衆生をすすめこしらへて、本願一乗円融無碍真実功徳大宝海にをしへすすめ入れたまふがゆゑに、よろづの自力の善業をば、方便の門と申すなり。
ですが、これは、もともと『教行信証』化土巻の
宗師(善導)の意によるに、「心によりて勝行を起せり。門八万四千に余れり。漸・頓すなはちおのおの所宜に称へり。縁に随ふものすなはちみな解脱を蒙る」(玄義分)といへり。
しかるに常没の凡愚、定心修しがたし、息慮凝心のゆゑに。散心行じがたし、廃悪修善のゆゑに。ここをもつて立相住心なほ成じがたきがゆゑに、「たとひ千年の寿を尽すとも、法眼いまだかつて開けず」(定善義)といへり。いかにいはんや無相離念まことに獲がたし。ゆゑに、「如来はるかに末代罪濁の凡夫を知ろしめして、相を立て心を住すとも、なほ得ることあたはじと。いかにいはんや、相を離れて事を求めば、術通なき人の空に居て舎を立てんがごときなり」(同)といへり。
「門余」といふは、「門」はすなはち八万四千の仮門なり、「余」はすなはち本願一乗海なり。
(現代語訳)
善導大師の説かれた『観経疏』によれば、「衆生の心にしたがって釈尊はすぐれた行をお説きになった。その教えは八万四千を超えている。漸教も頓教もそれぞれ衆生の資質にかなったものであり、縁にしたがってその行を修めればみな迷いを離れることができる」(玄義分)といわれている。
しかし、はかり知れない昔から迷い続けてきた愚かな凡夫は、定善の行を修めることができない。心を乱さず思いを一つに集中して浄土の相を観ずる行だからである。散善の行も修めることができない。悪い行いをやめて善い行いをすることだからである。このようなわけで、仏や浄土の相を観じて思いを一つに集中することさえできないのだから、『観経疏』には、「たとえ千年という長い寿命を費やしても、真実を見る智慧の眼が開かない」(定善義)といわれている。ましてすべての相を離れ、真如法性をそのまま観ずることなど決してできない。だから、『観経疏』には、「釈尊は、はるかに遠く、末法の世の煩悩に汚れた衆生のことを、仏や浄土の相を観じて思いを一つに集中することなどできないと見通しておられる。ましてすべての相を離れて真如法性を観じようとするなら、それは、神通力のないものが空中に家を建てようとするようなものであり、決してできるはずがない」(定善義)といわれている。
『観経疏』に「その教えは八万四千を超えている」(玄義文)といわれているのは、「教え」とは八万四千の方便の教えであり、自力聖道門のことである。「超えている」のは本願一乗海の教えであり、他力浄土門のことである。
を視点を変えて仰ったものです。
意味は、機に応じて釈尊は「八万四千の法門」を説かれました。その教え通りに如実に修行できれば解脱することができるのですが、そんな者は甚だ少ないのです。それで、『観無量寿経』で、定散二善を説かれたのですが、「常没の凡愚」には、定善も散善もできないので、そんな「常没の凡愚」のために、「八万四千の仮門」の他に「本願一乗海」である真実の法門、弘願があることを教えられている、ということです。
一言で言えば、化土巻では、仏教を、
「門」はすなはち八万四千の仮門なり、
「余」はすなはち本願一乗海なり。
の二つに分けて教えられているだけですが、これを『一念多念証文』では、
「八万四千の法門」を「本願一乗円融無碍真実功徳大宝海」に導くための方便という解釈で仰ったのです。つまり、聖道門と19願は、18願に導くための方便、ということですが、ポイントは、聖道門です。聖道門抜きの「八万四千の法門」はあり得ませんので、もし、全人類が必ず「八万四千の法門」を通って「本願一乗円融無碍真実功徳大宝海」に入るのならば、聖道門を通る必要があるということになります。
要するに、19願と言うのは、聖道門との関係抜きでは語ることができないのです。
「八万四千の法門」とは、ほとんど聖道門と同義語といっても過言ではありませんが、聖道門から19願に誘引して、18願に導く、という以上のことは仰っていないことになります。
ですから、どんな屁理屈を使っても、『一念多念証文』の御文は、浄土門の人も含めた全人類は19願を必ず通って18願に入る、という意味にはなりません。
聖道門を19願に誘引する「浄土の方便の善」=「欣慕浄土の善根」を裏づける根拠でしかないのです。
鈍い高森顕徹会長も、この辺で自己矛盾に気が付いたようで、起死回生の詭弁を捻りだしてきます。もちろん、簡単に返り討ちにあいます。
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