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2015年5月 4日 (月)

『観無量寿経』を一度も読んだことのない高森顕徹会長3

親鸞会が大好きな善導大師の御文の代表が、「外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮を懐くことを得ざれ。」、「二種深信」、「二河白道の譬喩」です。しかし、高森顕徹会長をはじめとして、講師部員、会員も、これが『観無量寿経』上品上生で説かれた三心の解釈であることを知りません。

釈尊は定善を一通り説かれた後、散善・九品について説かれます。そこにある、

一つには至誠心、二つには深心、三つには回向発願心なり。三心を具するものは、かならずかの国に生ず。

わずかこれだけの御文に、善導大師は着目せられて、信心について『観無量寿経疏』の中で、最も力を入れられ、非常に詳しく解釈をなされました。

上の3つはそれぞれ、至誠心についての解釈の一部が、「外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮を懐くことを得ざれ。」、深心についての解釈の一部が「二種深信」、回向発願心についての解釈の一部が「二河白道の譬喩」です。この3つが揃って真実の信心となり、必ず往生できると教えられた方が善導大師で、『往生礼讃』でも

この三心を具すれば、かならず生ずることを得。もし一心も少けぬれば、すなはち生ずることを得ず。

と仰っています。至誠心・深心・回向発願心の三つが揃えば必ず往生できるが、一つでも欠けると往生できない、ということです。

それを更に詳しく解説なされたのが親鸞聖人です。

この基本的なことすら高森会長は知りません。なぜなら、『観無量寿経』も『観無量寿経疏』も『教行信証』も、どれ一つとして読んだことがないからです。

ただし、無知な高森会長でも、『教行信証』の最低限の構成については知っているようで、教巻・行巻・信巻・証巻・真仏土巻は真実について、化土巻だけが方便について書かれている、と一応は教えています。これ自体は、珍しく正しいのですが、それならば、高森会長が19願に関連していると言っている「外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮を懐くことを得ざれ。」と二河白道の譬喩が、何巻に引かれているかも知っているでしょうか。会員の方が知っていると思いますが、読み替えがあっても共に信巻です。化土巻には全くありません。

まとめると

至誠心釈「外に賢善精進の相を現じ、…」-信巻=真実(≠方便
回向発願心釈「二河白道の譬喩」-信巻=真実(≠方便)

要するに、どんな屁理屈をつけようが、「外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮を懐くことを得ざれ。」も「二河白道の譬喩」も、真実の信心、他力の信心を顕わされたとしか親鸞聖人は見做されていない訳で、19願とは無関係です。

親鸞聖人の言い方ではそうだが、善導大師は19願のことを仰っている

とかなんとか、ヘンテコな詭弁を近年思いついて言ってみたものの、その矛盾を私が指摘すると黙ってしまうお粗末さです。

高森会長の思いつき、行き当たりばったりの詭弁が通用するほど、退会者は甘くありません。

せめて、『観無量寿経』くらいは、一通り目を通してから出てきなさい、と言いたいところですが、高森会長や講師部員程度の日本語能力では、百回読んでも現代語訳もできないでしょう。

悔しいと思う高学歴の講師部員でも幹部会員でもいるなら、いつでも法論に応じますので、遠慮なく仰ってください。

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