『観無量寿経』を一度も読んだことのない高森顕徹会長5
前回、『観無量寿経』に説かれた10種類の機について書きましたが、これを違う見方をすれば、
定善の機に定善を勧め
上品上生・上品中生・上品下生に行福を勧め
中品上生・中品中生に戒福を勧め
中品下生に世福を勧め
下品上生・下品中生・下品下生に念仏を勧められた
ということです。
一言で言えば、
善人に善を勧め、悪人に念仏を勧められた
ということになります。
従いまして、自分が悪人だと思うのであれば、念仏という行を選択するしかないのですが、それを悪人に善を勧められたという頓珍漢なことを言っているのが高森顕徹会長です。
親鸞聖人は『浄土和讃』で
臨終現前の願により
釈迦は諸善をことごとく
『観経』一部にあらはして
定散諸機をすすめけり
と仰り、19願によって釈尊は『観無量寿経』に諸善をすべて顕わされて、「定散諸機」に勧められた、と教えられています。善人に諸善を勧められたと。
一方で、『高僧和讃』には、
極悪深重の衆生は
他の方便さらになし
ひとへに弥陀を称してぞ
浄土にうまるとのべたまふ
とありまして、極悪深重の衆生には、諸善と言う他の方便がなく、ひとえに念仏して、浄土に往生すると源信僧都が仰った、と教えられています。悪人には念仏一つを勧められたのだということです。
当たり前の論理ですが、これが判らずに、訳の判らないヘンテコ理論でトンデモ教義を拵えたのが高森会長です。最近出していませんが、いつもの14項目のほとんどが、『観無量寿経』を読めば判ることなのです。
いつもの14項目
1.獲信していない人の死後はどうなるか
親鸞聖人 六道輪廻(19願・20願の同行は化土往生)
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高森会長 必堕無間2.五逆罪・謗法罪について
親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる
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高森会長 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている3.善人と悪人について
親鸞聖人 善人と悪人とがいる
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高森会長 善人はいない、すべての人は悪人である4.獲信のために善は必要か
親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要
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高森会長 善をしなければ絶対に獲信できない5.白道とは
親鸞聖人 自力の心にあらず
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高森会長 自力6.定散二善について
親鸞聖人 定散二善を捨てよ
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高森会長 定散二善をせよ7.19願について
親鸞聖人 19願を捨てよ
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高森会長 19願を実践せよ8.宿善について
親鸞聖人 過去世の善根の厚薄と、往生・獲信とは関係ない
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高森会長 過去世の善根の薄い者が、そのままで往生・獲信することはありえない9.機の深信について
親鸞聖人 自力では出離できない
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高森会長 逆謗の屍と必ず知らされる10.法の深信について
親鸞聖人 往生ほどの一大事、凡夫のはからふべきことにあらず
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高森会長 浄土往生が火に触ったよりも明らかに知らされる
11.善知識に無条件服従しなければならないか
親鸞聖人 法に従うのであって、人に従うのではない
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高森会長 善知識に無条件服従せよ12.因果の道理について
親鸞聖人 罪福の因果を信じることは自力・仏智不思議を疑う心
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高森会長 因果の道理を深信しなければならない13.三願転入について
親鸞聖人 聖道門の人を浄土門に導く方便が19願であり、19願の勧めはない
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高森会長 全人類は19願から始めなければならない14.「一向専念無量寿仏」について
親鸞聖人 諸善を廃して念仏1つになること
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高森会長 阿弥陀仏1仏に向かって諸善をすることも含む
『歎異抄』について
第1章
1.「ただ信心を要とす」の「信心」とは
親鸞聖人 「ただ念仏で往生できる」と信じた心
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高森会長 「助かった」とハッキリした心2.「本願を信ぜんには他の善も要にあらず」とは
親鸞聖人 本願に救われるには善は不要
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高森会長 救われたなら善は不要だが、救われる前には善が勧められている3.「悪をもおそるべからず」とは
親鸞聖人 本願に救われるのに、悪が妨げになることはない
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高森会長 悪を恐れ不安になるのは、地獄一定の悪人と知らされていないからだ第2章
4.「ただ念仏して」の「ただ」とは
親鸞聖人 念仏一行
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高森会長 びっくり仰天5.「総じてもつて存知せざるなり」とは
親鸞聖人 念仏が浄土に生れる因なのか地獄に行く因なのかを知る智慧を持っていない
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高森会長 知り過ぎた知らん6.「弥陀の本願まことにおわしまさば」は仮定か断定か
親鸞聖人 仮定
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高森会長 断定第3章
7.「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」とは
親鸞聖人 善人ではなく悪人のために18願を建てられた
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高森会長 「悪人」とは、全人類のことであり、「人間」の代名詞にほかならない
『観無量寿経』を読んだことがなくても、真宗学を少しでも学べば、こんな間違いはしないでしょう。
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コメント
いつもありがとうございます。
親鸞会では、親鸞聖人の布教、自信教人信の活動をもって、
善の勧めの根拠としています。
親鸞聖人と同じ布教は出来ませんが、
他力信心の人は、如来二種の廻向をひろめよ、とあります。
浄土真宗では、これらはどういう位置付けなのでしょうか?
よろしければ教えて頂きたいと思います。
投稿: | 2015年5月27日 (水) 18時11分
親鸞聖人は『御消息』の中で
悪をこのむひとにもちかづきなんどすることは、浄土にまゐりてのち、衆生利益にかへりてこそ、さやうの罪人にもしたがひちかづくことは候へ。それもわがはからひにはあらず、弥陀のちかひによりて御たすけにてこそ、おもふさまのふるまひも候はんずれ。当時はこの身どものやうにては、いかが候ふべかるらんとおぼえ候ふ。よくよく案ぜさせたまふべく候ふ。
(現代語訳)
悪を好む人に親しく近づくようなことは、 浄土へ往生した後に、 すべてのものを救うために再びこの迷いの世界にかえってこそ、 はじめてそのような罪を犯した人にも親しく近づくことがあるのです。 それも、 自らのはからいによるのではありません。 阿弥陀仏の本願のはたらきによる救いであるからこそ、 思い通りに振舞うこともできるでしょう。 煩悩をそなえている今のわたしたちのようなものでは、 どうすることができるでしょうか。 よくお考えになっていただきたいと思います。
と仰っています。
誰でも彼でも布教活動をすることは凡夫の我らには無理なことです。
「浄土にまゐりてのち、衆生利益にかへりてこそ」「おもふさまのふるまひも候はんずれ」なのです。
仏になって、戻ってきてから思うような衆生済度ができるのです。
蓮如上人も宿善無宿善の機を選んで、無宿善の機には話をするな、とまで仰っています。
要するに、浄土真宗では自分の能力の範囲内でできることをせよ、ということになり、具体的には念仏を称えることでも、周りの人への布教にもなりますので、そのように心がければよろしいかと思います。
破邪の闘士・顕正の菩薩とかいう掛け声倒れの親鸞会で言っている布教は、浄土真宗の布教とは全く違うことを知っておかれるべきでしょう。
投稿: 飛雲 | 2015年5月27日 (水) 18時59分
早速のお答え感謝します。
人々を思うままに救うのは還相の働きなんですね。
浄土真宗の布教が少し分かってきました。
親鸞聖人の布教も、阿弥陀仏の本願の働き、なのだと思います。
投稿: | 2015年5月27日 (水) 23時03分
勧誘行為を強要されていた学生時代を思い出しました。ウザくて執拗な勧誘方法もさることながら、常に叱責する担当講師&先輩&パワハラK玉講師長、本当に苦痛でした。鬱状態のようになった同期もいました。
法蔵菩薩の願心がどうのこうのとK玉氏がよく屁理屈を並べていましたが、聖教には正反対の根拠がこれだけあるのかと思いました。脱会できて良かった…
投稿: | 2015年5月28日 (木) 00時55分