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2015年4月

2015年4月28日 (火)

『観無量寿経』を一度も読んだことのない高森顕徹会長2

高森顕徹会長は、釈尊が韋提希に定善をやらせてみた、ということを言っていますが、これまた『観無量寿経』を読んだことがない証拠の1つです。

釈尊が定善を説かれる経緯について、『観無量寿経』では、

仏、韋提希に告げたまはく、「なんぢはこれ凡夫なり。心想羸劣にして、いまだ天眼を得ざれば、遠く観ることあたはず。諸仏如来に異の方便ましまして、なんぢをして見ることを得しむ」と。ときに韋提希、仏にまうしてまうさく、「世尊、わがごときは、いま仏力をもつてのゆゑにかの国土を見る。もし仏滅後のもろもろの衆生等、濁悪不善にして五苦に逼められん。いかんしてか、まさに阿弥陀仏の極楽世界を見たてまつるべき」と。

(現代語訳)

さらに釈尊は韋提希に仰せになった。
「 そなたは愚かな人間で、力が劣っており、まだ天眼通を得ていないから、はるか遠くを見とおすことができない。しかし仏には特別な手だてがあって、そなたにも極楽世界を見させることができるのである 」
そのとき韋提希が釈尊に申しあげた。
「 世尊、わたしは今、仏のお力によってその世界を見ることができます。でも、世尊が世を去られた後の世の人々は、さまざまな悪い行いをして善い行いをすることがなく、多く苦しみに責められることでしょう。そういう人たちは、いったいどうすれば阿弥陀仏の極楽世界を見ることができるでしょうか 」

とあり、この後、釈尊は定善を説かれます。
簡単に言えば、韋提希の能力では浄土を見ることのできないことを釈尊は宣告された上で、釈尊のお力によって浄土を見ることのできた韋提希が、釈尊入滅後の衆生を心配して、衆生が自分の力で浄土を見る方法を釈尊に尋ねたということです。

つまり、すでに浄土をみている韋提希にとっては、定善はする必要もなく、できるとも最初から思っていなかったのです。

この定善のできる人とできない人との違いにつて善導大師は、『定善義』で次のように仰っています。

ただ万事ともに捨てて、なほ失意・聾盲・痴人のごとくなれば、この定かならずすなはち得やすし。もしかくのごとくならざれば、三業縁に随ひて転じ、定想波を逐ひて飛ぶ。 たとひ千年の寿を尽せども、法眼いまだかつて開けず。

(現代語訳)

ただよろずの事をともにすてることが、 失意の人・聾・盲・無智の人のようになれば、 この定は必ず成じやすい。 もしこのようにしなければ、 身口意業が所縁の境にしたがって移り、 禅定の想も波のように動いて、 たとい千年の命をかけても智慧の眼は開けない。

世間から隔離されたところで、五感を停止させることができれば簡単にできるが、そうでなければできない、ということです。したがって世俗の中にいる韋提希には到底無理なこととです。

それに定善十三観は、日想観ができたら水想観、水想観ができたら地想観というようにステップアップしていくものです。日想観ができなかったら水想観、水想観ができなかったら地想観ではありません。
実際『観無量寿経』には

この想成ずるとき、一々にこれを観じて、きはめて了々ならしめよ。

地想成じをはりなば、次に宝樹を観ぜよ。

等とあります。もし韋提希が日想観を実践しようとしてできなかったとするのなら、水想観は韋提希とは完全に無関係に説かれたことになります。

これくらいのことは読めば判るでしょうに。

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2015年4月22日 (水)

『観無量寿経』を一度も読んだことのない高森顕徹会長1

19願について何も知らないのが高森顕徹会長ですが、もちろん『観無量寿経』の内容も知りません。高森会長は『観無量寿経』を一度も読んだこともないのですから、当然でしょう。

『観無量寿経』の初めに頻婆娑羅王について説かれています。釈尊は目連と富楼那とを頻婆娑羅王の元に遣わして、王の求めに応じて八戒を授けられています。その後、頻婆娑羅王は亡くなりますが、その際に

一々の光、頻婆娑羅の頂を照らす。そのとき大王、幽閉にありといへども心眼障なく、はるかに世尊を見たてまつりて頭面、礼をなし、〔王の心は〕自然に増進して阿那含と成る。

と説かれていますように、頻婆娑羅王は阿那含という小乗仏教のさとりを獲ています。

『序分義』には

いまこの光口より出でてただちに王頂を照らすは、すなはちその小果を授くることを明かす。
(中略)
まさしく父の王、光の頂を照らすことを蒙りて心眼開くることを得て、障隔多しといへども自然にあひ見る。 これすなはち光によりて仏を見たてまつるは、意の期するところにあらず、敬を致し帰依するにすなはち第三の果を超証することを明かす。

(現代語訳)

今この光明が口から出てただちに王の頂を照らすのは、 すなわちその小乗のさとりを授けられることを明かすのである。
(中略)
まさしく父の王が、 仏の光明が頂を照らすのを受けて心眼が開け、 いろいろ妨げは多いけれども、 自然に仏と相見ることを明かす。 これは、 仏の光明によって仏を見たてまつることが、 王の予期したところではない。 そこで、 つつしんで敬い帰依して、 とび超えて第三の不還果をさとったのである。

と善導大師は解説なされています。

釈尊は頻婆娑羅王に浄土のことさえ説かれておらず、小乗仏教(聖道仏教)を説かれたのです。

一方で韋提希は『観無量寿経』で

やや、願はくは世尊、わがために広く憂悩なき処を説きたまへ。われまさに往生すべし。
(中略)
世尊、このもろもろの仏土、また清浄にしてみな光明ありといへども、われいま極楽世界の阿弥陀仏の所に生ぜんことを楽ふ。やや、願はくは世尊、われに思惟を教へたまへ、われに正受を教へたまへ

等と釈尊に申し上げているように、浄土を願ったのですから、頻婆娑羅王とは違います。
『序分義』でも

これ如来夫人の極楽に生ぜんと願じ、さらに得生の行を請ずるを見たまふに、仏の本心に称ひ、また弥陀の願意を顕すをもつて、この二請によりて広く浄土の門を開けば、

(現代語訳)

これは如来が韋提希夫人を見られるのに、 極楽に往生しようと願い、 さらに往生を得るための行を請うことが、 釈迦仏の本心にかない、 また弥陀の願意を顕わすことを明かすのである。 この韋提希の二つの願いによって広く浄土の法門をあらわされた。

とされ、韋提希の願いに応じて釈尊が浄土の教えを初めて説かれたのです。

これが対機説法です。頻婆娑羅王と韋提希とは機が違い、できる行が違うので、違う教えを説かれたということです。

判りやすく言えば、聖道門の行のできる人には聖道門を説かれ、浄土を願った人には浄土門を説かれた、ということです。聖道門が無意味な教えでないことは、『観無量寿経』中の頻婆娑羅王を通してでも判ります。

『観無量寿経』の最初の部分だけでも、高森顕徹会長の邪義というか無知が明白になります。

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